【奈良の歴史旅まとめ】人気観光スポットとグルメ情報をその歴史とともにご紹介
京都へ遷都されるまでの日本では、都として栄えていた奈良。日本史では欠かせない聖徳太子や645年の大化の改新なども有名ですね!
今回は、奈良市をはじめとした橿原、宇陀、斑鳩、さらには吉野まで、奈良に眠る記憶をたどる歴史旅をご紹介します!
この記事の目次
奈良について
奈良市は、本州の中西部にある奈良県の県庁所在地です。世界遺産の東大寺や興福寺などもあり、奈良の中では一番の観光スポットとなっています。
大阪からのアクセスはJR大和路快速に乗って約50分で到着。東京からは新幹線で京都まで行き、京都から近鉄京都線で近鉄奈良駅まで1本で行くことができる非常にアクセスが便利な観光地です!
奈良は、東大寺の大仏など、歴史があふれた町の印象ですが、その理由は、当時奈良がシルクロードの最終地点だったことに関係します。
ヨーロッパやアジア諸国の影響を受けながら独自の日本文化を発展させてきました。いつしかシルクロードを通って入ってきた文化を天平文化と言われるようになります。
奈良には、現存日本最古の木造建築物群である法隆寺だけでなく奈良公園・鹿など沢山の魅力がたくさん。
さっそく歴史旅に出発です!
奈良の歴史的背景
奈良県には古墳時代(250年 – 538年)・飛鳥時代(538年~710年)・奈良時代(710年~794年)に中央政府がおかれていました。
ここでは、それぞれの時代の歴史旅をご紹介!
古墳時代
古墳時代は、奈良県を中心とする「地域連合国家」である大和政権が確立した時代と言われています。大和政権の成立がいつかとはまだわかっていないそうです。
朝鮮や中国との交流の中で「渡来人(とらいじん)」も日本にやってきており、「鉄器」や「焼き物」「機織り」「金・銀・銅などの工芸品」「土木技術」などを日本に伝えました。
他には「儒教」や「仏教」。「暦」や「医」も伝わったのだそう。「漢字」もこの頃から使われるようになり、文書の記録も残せるようになりました。
飛鳥時代
桜井市・天理市には最初期の古墳群やヤマト王権の初期の大王豪族の古墳が、その後の政治的中心となる飛鳥には天皇制が確立した時代の陵墓が、奈良市北部の佐紀には巨大な前方後円墳群などが存在します。
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飛鳥時代、聖徳太子が摂政になり、冠位十二階や十七条憲法を制定するなど天皇中心の国家体制を築きます。小野妹子などの遣隋使を始めたのもこの時代で、積極的に隋の文化や制度などを学ぶことになります。
一方で、蘇我一族の専横が原因となって中臣鎌足や中大兄皇子による大化の改新にまで発展。ちなみに中臣鎌足は、多武峰で中大兄皇子と「大化改新」の談合を行います。後にこの山を「談い山」「談所ヶ森」と呼び、談山神社がそこに鎮座します。
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飛鳥時代に聖徳太子の手によって法隆寺が建立されたことなどでよく知られる、古い歴史を持つまち斑鳩。こちらも飛鳥時代をめぐるには欠かせないスポットです!
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奈良時代
飛鳥時代の都では、排水での不備や臣下が宮殿を見下ろすといった立地の悪さや、飛鳥地方周辺の旧豪族らの力をそぐなどの目的から都を奈良の平城京へ移します。
平城京は710年に藤原京から遷都しました。奈良盆地の北端部に位置し、現在の奈良市から大和郡山市にあたります。
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【奈良時代に栄えた天平文化について】
天平文化とは、遣唐使から伝えられた唐の文化の影響を色濃く受けたもので、貴族を中心とした華やかな文化のことです。
建築では、唐招提寺金堂や東大寺法華堂、法隆寺伝法堂など仏教に関するものが多く建立されました。
その代表ともいえる東大寺。実は東大寺ができた理由は、聖武天皇の時代に社会的な不安が多かったことなのだそう。聖武天皇が即位してから、地震・日食が続き、神亀5年(728)皇太子の死などがありました。
そうした中で、天平15年(743年)東大寺は創建されました。大仏鋳造は747年に始まり、749年の約3年にもおよびました。
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世界遺産に登録された主な建物はこの後ご紹介させていただきます!
奈良にゆかりのある人物
聖徳太子
奈良県を語る上で外せない聖徳太子。
教科書や奈良の法隆寺といえば聖徳太子と何気なく幼いころからよく耳にするこの名前。
しかし実はよく知らないのが現実ではないでしょうか。
そこで今回は、聖徳太子について勉強したいと思います!
聖徳太子は、冠位十二階(かんいじゅうにかい)や十七条の憲法などの、文書にまとめた日本初の憲法を作ったとされる人物で、同時に7人(10人説もある)の話を聞けるなどの、伝説を聞きますよね。
ちなみに聖徳太子が建てたとされる7つの建築物はこちら!
法隆寺
葛木尼寺(諸説あり不詳)
法起寺(池後寺)
蜂丘寺(現広隆寺)
橘寺
中宮寺
四天王寺
すごい規模のお寺ばかりですね!
一度、聖徳太子のお寺巡りをするのも楽しそうですね!
中大兄皇子(天智天皇)
中大兄皇子は、大化の改新を主導した人物。
蘇我入鹿を殺害して「大化の改新」と言われるようになる政治を動かしました。
蘇我入鹿を殺害しなければならなかった理由は、聖徳太子が亡くなった後、聖徳太子の築いた天皇中心の政治がくずれはじめたからとされています。
ちなみに、「平成」などの元号の文化はこの時にうまれました。
日本で初めての元号「大化」を使ったことにちなんで、中大兄皇子の政治改革は、「大化の改新」とよばれているのです!
志賀直哉
聖徳太子、中大兄皇子と並んで出てくるには驚きの名前ですが、志賀直哉も実は奈良にゆかりがあることをご存知でしょうか。
志賀直哉は、1925年(大正14年)から13年間も奈良に暮らしています。
奈良市高畑という地は、鎌倉時代から春日大社の関係者たちの豪邸が並んでいた閑静なエリアでしたが、江戸末期の大火、明治初期の廃仏毀釈によって衰退してしまいます。
売り払われた屋敷跡が寂しい姿になっていたのだとか。しかし、大正から昭和初期にかけて、画家や作家などの芸術家が次々と移り住み、芸術村のような様相を呈していたそうです。
そこに志賀直哉も住んでいたのですね。
ちなみに志賀直哉にとって、ひとつの場所で長くとどまったのは異例で、様々な文章から奈良の土地への深い愛着が感じられるそうですよ!
志賀直哉旧家を旅した詳しい記事はこちら▶▶
奈良の主な観光スポット
【奈良の観光スポット 世界遺産編】
奈良観光には欠かせない!東大寺「奈良の大仏」
東大寺にある奈良の大仏は、奈良時代の758年に建てられましたが、戦火で2度にわたって消失。現在の建物は、江戸時代の1709年に建てられたものです。
興福寺
興福寺は、「五重塔」や「阿修羅像」などで有名な存在となっていますが、その創建理由はご存知でしょうか。
創建の由来とされているものは、有名な歴史上の事件である「大化の改新」を行った人物として有名な藤原(中臣)鎌足が重い病気になってしまった際に、その病気が治るように鎌足の夫人である鏡大王(かがみのおおきみ)が、天智天皇8年(669年)に釈迦三尊像を本尊として、山背国山階(現京都市山科区)に創建することになった山階寺(やましなでら)と呼ばれるお寺とされています。
春日大社
春日大社(かすがたいしゃ)は、今からおよそ1300年前奈良に都ができた頃、藤原不比等(ふじわらふひと)が日本の国の繁栄と国民の幸せを願って武甕槌命(たけみかずちのみこと)を茨城県の鹿島神宮から呼び寄せられた事からはじまります。
ちなみに、奈良公園にたくさん居る鹿たち。この春日大社にも関係があるのです。
奈良では鹿が神の使いとされていますが、その由縁は武甕槌命が茨城県鹿島神宮から神山箕御蓋山にこられた時に白鹿に乗られていたことからです。奈良公園の鹿はその子孫にあたるのです。
なんだかそう考えると、歴史が深い、ただの鹿とは思えなくなりますね。
元興寺
元興寺は、『佛法元興之場、聖教最初の地』の言葉より起こったとされます。さらになんと飛鳥寺→法興寺→飛鳥大寺→元興寺と名称を変えてきました。
朝廷および天皇家が仏教を容認し、唐式の仏教政策を取り入れてから、遡って意味付けされたのだといえます。因みに、法興寺は『佛法興隆』の言葉からきており、法隆寺とは対の名称といえるそうです。
蘇我氏の氏寺としては蘇我稲目であり、蘇我馬子を本願とします。
薬師寺
薬師寺の創建の歴史を辿っていくと天武天皇9年(680年)に藤原京(現在の奈良県橿原市)に建立された「薬師寺」に由来します。なんと、薬師寺は奈良時代より前にできたお寺をもとにしているのです。
この藤原京にあった「薬師寺」は、当時の天武天皇が、後に持統天皇となる「皇后さま」の病気が治ることを祈って建立したものとされていますが、実際には薬師寺の建設がはじまってすぐに天武天皇は亡くなってしまい、病気回復を祈られた側である「皇后様=持統天皇」やそれ以降の天皇の代にその建設が推進されていくことになります。
その後文武天皇2年(698年)頃にはほぼお寺は完成し、お坊さんたちが実際に住みはじめることになり、「薬師寺」は本格的なお寺としてしっかりと運営がなされていくことになりました。
和銅3年(710年)、元明天皇の時代には藤原京から現在の奈良市内、「平城京」へと遷都が行われます。ここからついに有名な奈良時代が幕を開ける訳ですが、興福寺などと同様に、薬師寺もまた遷都に合わせ藤原京の地から平城京へと移転してくることになりました。
そうして現在の位置にうつされたのです。
唐招提寺
唐招提寺(とうしょうだいじ)は、奈良市五条町にある寺院で、 南都六宗の1つである律宗の総本山です。
鑑真が建立しました。
鑑真は、中国の人物ですが、なぜ日本でお寺を建てているのでしょうか。
鑑真は、中国で仏教の「戒律」を伝え、研究する宗派である「律宗」のお坊さんとして経験を積み、一定の地位を築き上げていました。日本から長い航海を経てようやくたどり着いた「栄叡」と「普照」に、「日本に来て仏教(律宗)の教えを伝えてほしい」とお願いされます。
しかし簡単には、日本に渡ることはできませんでした。なんと鑑真一行は、5回も渡航を失敗。10年経っても日本に行くことができなかったのです。そして、その途中で、疲れがたたったのか、両眼を失明してしまう悲劇にも見舞われます。
そのため、鑑真の銅像は目をつむっているものしかないのですね。
【奈良の観光スポット 神社仏閣編】
橿原神宮
初代天皇であると伝えられる神武(じんむ)天皇が、橿原宮で即位したという「日本書紀」の記述に基づき、1890年4月2日、橿原神宮が創建されました。
なんと「神武天皇の御聖徳を後世に残したい」という民間有志の請願に感銘を受けた明治天皇が、元京都御所の賢所(かしこどころ)と神嘉殿を下げ渡され、この地に建てられたのだとか。
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橿原市の観光スポット、初代天皇の神武天皇が眠る橿原神宮を紹介!
藤原京
約1300年前、北は耳成山、南東は香具山、南西は畝傍山と大和三山に守られながら、日本初の本格的な都、藤原京が造られました。藤原京は、694年の遷都から約16年の間、都として栄えました。
いまでは、柱の跡のみが残っていますが、藤原宮からは見事に大和三山を拝めることができ、その風景は「重要眺望景観」にも指定されているほど。
藤原京を旅した詳しい記事はこちら▶▶
【奈良の観光スポット 自然編】
天川
国内唯一の女人禁制の場所をご存知でしょうか。
それは、奈良県吉野にある大峯山です。なんと女性がこの女人結界門をくぐり、大峯山に入山することは約1300年前から現在に至るまで許されておらず、世界遺産 大峯山寺は国内で唯一の女人禁制となっているのです。
日本でひとつの場所、女人結界門にぜひ訪れてみては?
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秘められた歴史の宝庫 天川村に今も残る修験道の伝説に迫る 歴史旅
奈良の主なグルメスポット
奈良にはグルメがたくさん!盆地という環境から夏場は蒸し暑く、冬は厳しい寒さが特徴の奈良県。さらに海の無い奈良の魚の保存方法など、特徴的で、様々な食文化が発展しました。
今回はその中から、HISTRIPが訪れた絶品グルメをご紹介します!
あゆ
昔から修行の場として有名で、よそから修行に来る人が多かった天川村。助けあいで食べ物を分けたりとそういった文化が強く残るこの地で食する心のこもったあゆのお料理は絶品です!
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絶品・鮎の炉端焼きに舌鼓!心温かい店主が営む 天川村の名店 亀清
吉野くず
吉野大峰山で修行する山伏たちが広めたとされる、吉野本葛。
山伏たちが、修行の際、自給自足の糧として葛の根を掘りその葛根を精製した澱粉を、日本各地から来た修験者や参拝者たちによって各地に持ち帰られ、吉野葛が全国に知られるきっかけになりました。
そんな人々が繋いだ葛を本場、吉野で食してみませんか!
吉野くずの詳しい記事はこちら▶▶
太田酒造
1869年から酒造業を営む老舗、太田酒造。
ここでは、奈良漬け体験や酒蔵見学もできます!
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日本酒発祥の地「斑鳩」を代表する酒蔵、太田酒造で奈良漬け体験
そうめん
日本の麺文化のルーツである三輪そうめんをご存知でしょうか。1200年以上前に飢饉と疫病に苦しむ民を救おうと、日本最古の神社 三輪明神 大神神社で祈願をした狭井穀主が神の啓示を受けて、小麦を育てて粉を水で引き延ばして糸状にしたのがそうめんの始まりだそうです。
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奈良桜井のランチにぴったり そうめん発祥の地で味わう三輪そうめん
カキの葉寿司
海の無い奈良で、近海の魚を塩漬けにして殺菌作用のある柿の葉でくるんだ保存食、柿の葉寿司。ネタとシャリに程よく移った柿の葉の香りがクセになる味です!
ちなみに、日本国内に木の葉を使った寿司はいくつか存在するそうですよ。別名「謙信寿司」といい、上杉謙信も食べていたとされる、長野県飯山市を中心に伝わる笹寿司などもそのひとつです。
実際に奈良に行ってみました
ここまで奈良の代表的な歴史を紹介してきました。
今回は、奈良駅から興福寺、元興寺、ならまちをまわります。
まず訪れたのは、JR奈良駅のすぐ隣にあるJR奈良駅旧舎(奈良市総合観光案内所)。
1943年から使われていた和洋折衷建築。
内部には、平城京の大御殿を復元する際に使用された朱塗りの現物モデル4本が展示されています。
営業時間:9:00~21:00
電話番号:0742-27-2223
続いて訪れたのは興福寺と猿沢池。JR奈良駅から徒歩20分(近鉄奈良駅から徒歩5分)
猿沢池に映る五重塔はとても素敵ですね。
ちなみに澄まず・濁らず・出ず・入らず・蛙はわかず・藻は生えず・魚が七分に水三分
このように猿沢池には昔から伝わる七不思議があるそうです。
通称「五十二段」とよばれるこの石段は、猿沢池から興福寺の南大門跡へと続く階段。五十二段あります。
これは大乗仏教の教えの中にあるもので、菩薩の修行の階位は一番下の信心・念心・精進心から始まり、一番上の妙覚までの五十二段階に分かれているというもの。妙覚に達した菩薩はあらゆる煩悩を断じ尽し悟りを開いた仏とされるのだそうです。
続いて訪れたのは元興寺。
元興寺境内には石のお地蔵さんや石塔などが約2,500以上遺されています。毎年8月、人々が灯明皿に願いを書き、献灯する「地蔵会万灯供養」は、長い間忘れられていたこれらの石塔を供養したことに始まります。
「浮図田(ふとでん)」の光景はとても美しいです。
元興寺の元境内であるならまちを散策します!
実は現在の元興寺はかなり小さくなりました。現在のならまちは、もともと元興寺の境内でした。
ならまちで元興寺の境内だった“証”を探索するのも旅歩きのおすすめ。旧伽藍の礎石は道端など随所で発見することができます。とくに、奈良町物語館で公開している金堂礎石は、室町時代の土一揆で焼亡した金堂の名残。地中から発掘された礎石に歴史への感慨が深まります
かつて伽藍の名がそのまま町名となり、遺されているものも多くあります。「高御門町(たかみかどちょう)」は、かつての元興寺の中大門があった場所。平城京の四条大路の通っていたところでもあります。
ちなみにならまちは、奈良の旧市街。平城京の東に張り出した部分で、外京としてはじまりました。
藤原一族の氏寺として飛鳥から移転してきた興福寺、東大寺、春日大社が並ぶ場所で、重要な門前町でもありました。
平安末期、平重衡により南部焼き討ちにあい、壊滅的な被害を受けますが、興福寺や東大寺の復興とともに復興されていきました。
16世紀はじめの人口は、なんと2万5千人にも及びました。有力寺社の門前町というだけあり、筆、墨、蚊帳、布団、刀、酒、醤油などの生産や流通により栄えました。
江戸時代に入り1613年、ならまちは幕府の直轄領になりました。
ならまちを旅した記事はこちら▶▶
古都 奈良の新名所 ならまちへ行くなら抑えておきたいスポット紹介
おススメ周辺エリア
奈良へ行く際に通る観光地、大阪と京都。
ぜひ観光の工程に入れてみてください!ここでは、大阪と京都の観光スポットをご紹介します。
聖徳太子が建てたお寺 四天王寺
聖徳太子が四天王寺を建てられるにあたって、「四箇院の制」をとられたことが『四天王寺縁起』に示されているそうです。
四箇院とは、敬田院(きょうでんいん)、施薬院(せやくいん)、療病院(りょうびょういん)、悲田院(ひでんいん)の4 つのこと。
敬田院は寺院そのものであり、施薬院と療病院は薬局・病院にあたり、悲田院は病者や身寄りのない老人などのための社会福祉施設にあたるのだそうです。
四天王寺を旅した記事はこちら▶▶
パワースポットがたくさん! 大阪府天王寺区の神社仏閣巡りの旅
大阪を観光するならここ!市民が守った大阪城
石山本願寺の跡地に建造された大阪城。 1580年、織田信長は石山合戦で本願寺顕如の石山本願寺を焼失させ、その後、丹羽長秀に摂津を預けます。 意思を継いだ豊臣秀吉が大阪城を築城。豊臣秀吉の死後、石田三成が関ヶ原の戦いで敗れ、徳川家康が1603年に江戸幕府を開きますが、大阪城の豊臣秀頼は摂津・河内・和泉を支配していました。
秀吉が建てた大阪城の石垣はすべて埋められ、現在は徳川家康が建てた石垣の上に大阪城が建ちます。
大阪城を旅した記事はこちら▶▶
大阪城には楽しいスポット満載!歴史や景色を思いっきり満喫しよう!
大阪の仁徳天皇陵
奈良の古墳を楽しむなら一緒に大阪の仁徳天皇陵もぜひお立ち寄りを!
堺市役所の21階から見ることができますよ!
仁徳天皇陵を旅した記事はこちら▶▶
田舎と都会の要素をあわせもつ自由都市~大阪にも世界文化遺産を~
奈良に行くならここ!histripおススメスポット
一向宗の寺院を中心に町が形成されていった寺内町、今井町
なんとこの今井町、防衛のために周囲を環濠で囲み、直交する街路を備えていました。大坂本願寺と同じ自治の町として栄えました。1570年、織田信長が一向宗の本山であった大坂本願寺を攻撃すると、今井町は信長に敵対。当然、矛先は今井町へ。信長は半年かかっても今井町を攻め落とすことができず、ついには武装解除を条件に今井町の自治権を認めたのだとか。信長もうならせたまち、今井町には、商人や旅人の息遣いがいまにも聞こえてきそう!その景色は何度でも通いたくなりますよ。
樫原市今井町の詳しい情報はこちら
今井町を旅した記事はこちら▶▶
桜が有名な吉野も、実は修験道として栄えた歴史を持ち、春以外に行くと、厳かな雰囲気を感じることができます!
吉野を旅した記事はこちら▶▶
世界遺産の宝庫!厳かな雰囲気漂う奈良県吉野で大人旅しませんか?
奈良の歴史旅はいかがでしたか。
奈良はとても広いですが、遷都が多くあり、各時代の魅力がそのままその地域に残り、文化を紡いでいます。
日本のはじまりである奈良を散策してみませんか。