ヤマトタケルと愛妻家の聖地 群馬県嬬恋村の噴火と再興の歴史
草津の温泉から、白根山、長野の善光寺、上田城、避暑地の軽井沢、上信越の様々な名所に行くにはきっと嬬恋村を通ることになるでしょう。バスや、電車、自家用車などで、嬬恋村を通ることはあっても、嬬恋村をメインに訪れる方は、少ないかもしれません。しかし、交通が発達したがゆえに、見落としてしまっている、知られざる「嬬恋村」の優しさと素晴らしさをお送りします!
・嬬恋村の観光HP http://www.vill.tsumagoi.gunma.jp/kankou/
この記事の目次
嬬恋 幽玄の山々 四阿山と浅間山 自然が織り成す絶景と脅威の姿
嬬恋村に訪れると多くの自然が、訪れる人々を歓迎してくれるでしょう。
幽玄な山々や、そこに自生する草花、紅葉などは四季折々を通じて、雅な姿で我々を楽しませてくれます。
またトレッキングや、ハイキング、スキーヤーにとっても聖地として、親しまれています。
それだけでなく、そびえたつ山々は、自然だけでなく目で見ることはできない地下からも、温泉という形で私たちに多くの恩恵をもたらしてくれています。
しかし、そんな美しくも雄大な自然が、我々にとってありがたい存在だけではないことを、嬬恋の歴史は教えてくれています。
所在地 : 四阿山 377-1614 群馬県吾妻郡嬬恋村田代、浅間山 長野県北佐久郡軽井沢町
嬬恋 鎌原観音堂 浅間山噴火、東日本大地震、時代を超えた助け合い
嬬恋村には鎌原観音堂と呼ばれるお堂があります。
その昔、長野県と群馬県の境にそびえる浅間山が噴火した際に、嬬恋村は大きな被害を受けました。
溶岩流そのものによる被害にとどまらず、溶岩流が川や池に流れ込んだことにより、大規模な水蒸気爆発が起こりました。
そして、その爆発が誘発する形で、土石流が多発し、当時の嬬恋村は6mもの土砂の下に埋まってしまったとされています。
そのような大規模な被害が、起きた当時現在の福島の人々が、義援金を募り、嬬恋村に送ったといわれています。
そして、その義援金をもとに、再興を果たした現在の嬬恋村は、この史実の恩に報いるために、東日本大震災の際に、嬬恋村独自の義援金を、福島に送ったそうです。
どれだけ過去の恩でも忘れることのない、嬬恋村の人々の「お互いさま」の精神に触れてみてはいかがでしょう?
所在地 : 377-1524 群馬県吾妻郡嬬恋村鎌原492
嬬恋 グラジオラス コスモス 見るだけじゃない、食べる花々!?
先に紹介したように、嬬恋村は自然とともに、その歴史を歩んできた村です。
そんな嬬恋村の人々は、花を見るだけではなく食文化の中にも取り入れていました。
嬬恋村の多くの料亭では、花を使ったてんぷらを食べることができます。
さわやかな苦みと、食べた後に残る、それぞれの花の香りは、ほかのどんな天ぷらでも味わうことができない、独特なものです。
四季折々に様々な花を味わうことができます。
皆様もぜひ、その美しい姿の味を確かめてみてください。
嬬恋 信州街道、内陸へ続く塩の道 交通の要所としての大笹関所
嬬恋村には、大笹関所(おおざさせきしょ)という関所の跡があります。
この関所は、その昔、真田信之の長男に当たる真田信利が、幕府に許可を得て開設したものです。
大笹関所は、善光寺平から江戸へと渡る信州街道を守る、重要な役目を果たしておりました。
信州街道は、その昔内陸だったために塩が取れなかった信州に、塩を送るための道としても利用されており、軍事的にも、日常的にも、とても重要な道でした。
そんな信州街道の安全を守っていた、大笹関所の立派ないでだちをご覧あれ!!
所在地 : 377-1613 群馬県吾妻郡嬬恋村大笹
嬬恋 鎌原観音堂 囲炉裏が残る風景 未来に残したい古き良き姿
鎌原観音堂のとなりには、ひっそりとした古民家があります。
そこでは、何かのイベントごとの際に多くの方が利用し、集まっています。
小さなかやぶき屋根に、囲炉裏が備え付けられており、とても風情があり、ゆったりと自分の時間を過ごすことができます。
そんな嬬恋の小さな、素晴らしさが、日常の喧騒の中にも確かに存在する幸せに気づかせてくれます。
皆様もぜひ、幸せを感じる心を探しに来てみませんか?
所在地 : 377-1524 群馬県吾妻郡嬬恋村鎌原492
自然とともに生きている嬬恋村は、普段は気が付くことのできない幸せや、驚きに気づかせてくれます。
観光地や、歓楽街もいいですが、日常の中にあるささいな幸せを気づかせてくれる嬬恋にぜひ訪れてみてください。