古き良き町「桶川」歴史と食をたどっておすすめスポットを巡る旅
都心から電車に揺れること約1時間。古くは中山道の宿場町の一つ、桶川宿があった「桶川駅」(埼玉県)
べに花の郷として知られていますが、実は知られていない特産品が桶川にはあります。
特産品をたどって、ここ「桶川」の歴史をのぞいてみませんか。
この記事の目次
べに花の郷、桶川 「中山道宿場館」で、べに花始まりの歴史に迫る
桶川宿は、江戸から10里(現在の約40km)の距離に位置した、6番目の宿場町でした。
ここ桶川宿の歴史は、やはり「べに花」なしには語れないでしょう。
桶川のべに花は、天明・寛政年間(1781~1801年)に、江戸商人が山形の「最上紅花」の種子をもたらしたことから生産が始まったと言われています。
最上地方に比べて温暖な桶川では、ひと月早い6月に収穫されました。そのため、早場(はやば)ものとして高値で取引されたそうです。
取引値は、米の2倍の値が付いたと言います。
天保年間から幕末にかけては、本場「最上紅花」に次ぐ生産量を誇るようになりました。
とても良い色が出ると口伝いに広まり、「桶川臙脂(おけがわえんじ)」のブランド名が付くほど有名になったと言われています。
桶川宿の商人によって買い集められた紅花は、紅染や口紅の材料として使われた高価なものでした。
当時、べに花は人々の生活を彩っていたことでしょうね。
中山道に面した場所にある「中山道宿場館」では、ボランティアガイドの方にお願いすると、中山道を一緒に散策しながら案内してくれます。
桶川の奥深い歴史から、地元民ならではの情報まで、楽しくおしゃべりしながら知ることができます。
中山道を散策する際は、是非こちらに立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
桶川市指定文化財!「矢部家住宅」「稲荷神社」はべに花商人ゆかりの地
桶川宿発展に大きく関わったべに花商人のいた問屋が、中山道沿いに今もなお残っています。ここ「矢部家住宅」は、樋川宿に残る唯一の土蔵造りの店蔵です。
主には穀物問屋を営んでいましたが、べに花の商いも行っていました。
黒漆喰の重厚な構えは、見るものを圧倒させます。
色あせているところや瓦が欠けているところから、時代と共に生きてきたことが伺えます。
そんな矢部家商人たちにゆかりのある場所が、「稲荷神社」です。
境内にある、べに花商人寄進の石燈籠に刻まれた24人のべに花商人の中に名を連ねています。
石燈籠は、桶川宿とべに花商人たちにより、1857年(安政4年)に修験道の寺・南蔵院の不動堂に寄進されたと言います。
その後、南蔵院廃寺、関東大震災での倒壊を経て、今の位置に修復されました。
桶川宿の繁栄を伝える、貴重な手がかりになっています。
ちなみに稲荷神社には、当時の人々が力比べをするのに使ったとされる、大きな「力石」があります。重さはなんと610kg!力石としては、日本一。
こんなにも大きくて重い石を、一体どうやって持ち上げたのでしょう。当時は、若者たちの力比べを見て、多くの見物客が声をあげて賑わっていたのでしょうね。
歴史的建造物の一つ かつて桶川の人々を救った 「島村家住宅土蔵」
中山道に残るもう一つの問屋が、「島村家住宅土蔵」です。
桶川宿本陣遺構近くに店を構えた、穀物問屋木嶋屋の総本家で、1836年(天保7年)に建てられたと伝えられています。
建築当時、人々は天保の大飢饉により苦しい生活を送っていました。
困窮にあえぐ人々に土蔵の建築工事の仕事を与え、その報酬が多くの民を飢えから救ったそうです。
そんなことから、「お助け蔵」と呼ばれ親しまれたと言われています。
日本に残る土蔵では珍しい、木造3階建て。
屋根瓦には、細かいところまで装飾が施されています。
現在は黒漆喰壁がトタンで覆われていますが、今もなお、当時の面影が残っています。
全国菓子博覧会「総裁賞」受賞 桶川の歴史ある老舗和菓子屋「おき川」
島村家土蔵から中山道に出ると、向かい側には郷土銘菓で有名な、「おき川」というお菓子屋さんがあります。
おすすめは、お店と同じ名の「おき川」。
名前の由来は、1872年(明治5年)に桶川宿本陣で開校した「興川(おきがわ)学校」。
桶川で初めてできた学校で、法令に定める学校としては日本最古の学校ともいえるそうです。
先代が、漢字では難しすぎると言って平仮名で「おき川」としたことから、この名が付きました。
お味は「小倉餡」「抹茶餡」「胡桃餡」の3種類。
人気の「小倉餡」は、中のあんこが少し粘り気があってずっしりしているのに、しつこくなく、すっきりとした甘さです。
小豆の粒はしっかりしていますが、かといって豆が主張しすぎず、粒あんが苦手な方でも美味しくいただけます。
そして周りの皮はしっとりとしていて、上質なお菓子です。
“あんは小豆から煎らなければ本来の味ではない”という先代のこだわりから、製餡の機械を取り入れて素材の味を大切に作り上げています。
桶川の他のお店では、餡を豆から煎るのは珍しいそうです。
時代と共に、味や素材も変えているのだとか。
戦争直後、甘いものは高価で中々手に入らなかったため、人々は甘さに飢えていました。そのため、昔は今よりも甘くしていたそうです。
時代に少しずつ合わせながらも、昔ながらの伝統を継承することを大切にしているのですね。
旅の思い出に、こちらでお土産を買うのはいかがでしょうか。
桶川名物「うどん」 地元で人気の「いしづか」で、絶品うどんを堪能
樋川の町を歩いていると、至る所にうどん屋さんを見かけます。
というのも、昔、小麦を作った農家が多かったからだそうです。
かつて、荒川河川敷には「氾濫土(やどろ)」と呼ばれる粘土質の土がたくさん積もっていました。
この肥沃な氾濫土を、台地上の畑まで運んで撒くことで確かな土壌を作りました。
そうすることで、小麦がたくさん採れて、柔らかくて甘い粉ができたといいます。
先ほどご紹介した「おき川」の方がおすすめしてくれたのが、「おき川」から1分ほどの場所にある、手打ちうどん「いしづか」。
店内は落ち着いた和の雰囲気で、心が安らぎます。
おすすめは、「牛肉汁うどん」と「かしわ天ぶっかけうどん」
麺は注文が入ってから茹でるというこだわり。
こちらは「牛肉汁うどん」。うどんは艶があり、太くてしっかりしています。
そして、何といっても抜群のコシ。噛む度にモチッとした食感で、弾力があります。
つゆは醤油のしょっぱさが効きつつも、甘みがあります。つゆの下まで沢山入っている国産牛が柔らかくて美味しい!贅沢な逸品です。
こちらは「かしわ天ぶっかけうどん」。
うどんの上には存在感のある鶏肉の天ぷらが。衣はサクッと、お肉は柔らかくてジューシー。
優しい味わいで、とっても美味です。
どちらもお値段が1000円以下とは思えない、本格的なお味です。
お店の方は気さくに話しかけて下さり、人のあたたかさに触れて旅の疲れも癒されます。
是非、お昼には「いしづか」に立ち寄ってみませんか?
人気スポット「べに花ふるさと館」 時を経ても桶川市民を彩るべに花
江戸時代、樋川の発展を支えた紅花ですが、実は明治時代になると表舞台から消えてしまいました。
化学染料が使われるようになったからです。
そこから100年を経て平成になると、
“かつて経済的繁栄をもたらした紅花で、今文化的な成熟をもたらそう”という市民の思いから、紅花は蘇りました。
そんな中、「べに花ふるさと館」は、“地域の人々が交流し、文化を創造する場”として、人々の心のよりどころになっています。
こちらは、廿楽(つづら)氏という江戸時代桶川で有力農民だった氏族の民家を改築してできました。
野菜の直売や手打ちうどん教室、紅花染教室、陶芸教室なども行っていて、地元の方々が集う場としても親しまれています。
また、母屋では食事ができ、「手打ちうどん」は地元の方お墨付き。うどんを目当てに来る方も多いそうです。
桶川で紅花の旬は6月中旬~6月下旬ですが、楽しめるのはその時期だけではありません。
町を歩いていると、あちこちのお店に紅花のドライフラワーが飾られており、
見頃時の鮮やかさとはまた違った姿を見ることができます。
ドライフラワーを布の袋に詰めてお風呂に入れると、美肌にも効果的だそうですよ。
活気ある中山道を離れて歩いてみれば、のどかな田園風景を楽むことができます。
はたまた、町を歩いていれば、思いがけず地元の方のあたたかさに触れることができます。
桶川には、今回ご紹介できなかった地域の魅力がまだまだあります。
歴史をたどり、地域の人に触れ、ここ「桶川」の町を旅してみませんか?