壮大な自然と数々の文化の跡!島崎藤村らが愛した大磯の魅力に迫る!
大磯宿は、江戸時代には宿波町として栄え、明治以降は別荘地や避暑地として多くの有名人を集めました。そこで、今回は大磯に歴史を残した偉人たちの偉業や生きざまが感じられる名所を紹介します。また、四季によって変化する自然を楽しむことが出来る場所でもあるので、ぜひご自身のカメラで素敵な写真を撮ってみてください。
この記事の目次
海水浴は医療?心地よい潮風感じる大磯照ヶ崎海岸は日本初の海水浴場
照ヶ崎海岸は、明治18年、初代軍医総監松本順が最初の海水浴場を開いた場所です。現在では夏のレジャーとして人気を集めている海水浴ですが、当時は医療として広まったものだったんです。松本順は、国民の健康増進と体力の向上を図るため海水浴が良いと解き、そのころ有名であった歌舞伎役者を大勢連れてきたんだとか。朝方に訪れると大磯のマスコットキャラクターにもなっているアオバトの群れが海水を飲みに来る様子が観察できます。
俳人気分を味わえる!鎌倉時代の有名な歌人西行法師も訪れた鴫立庵
「こころなき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮れ」。西行法師がこのあたりの海岸を吟遊してこの名歌を残したのは、ご存じでしょうか?鴫立庵(しぎたつあん)は、俳界では京都の落柿舎、滋賀の無名庵と並び日本三大俳諧道場とされています。小田原の名家外郎家の子孫と言われる崇雪(そうせつ)が草庵(そうあん)を結んだことが始まりで、1695年に俳人の大淀三千風が入庵し、第1世庵主となりました。
崇雪が建てた鴫立沢の標石の裏には「著盡湘南清絶地(ああ、しょうなんせいぜつち)」と刻まれており、”清らかですがすしく、このうえもない所、湘南とはなんと素晴らしい所”といった意味が込められていて、これが湘南という言葉の始まりとされています。庵内には80以上ものに墓碑・句碑・記念碑といった石造物が安置されています。多くの俳人が訪れ感動を歌にしたこの地で、自分の歌を詠んでみるのは如何でしょうか。
美しい自然の中に日本家屋の懐かしさあり。詩人島崎藤村の愛した書斎
島崎藤村の旧宅は、大正後期から昭和初期にかけて建築されました。藤村は大磯の温暖な地をこよなく愛し、この地に住む事を決めました。割竹垣に囲まれた小庭、そしてわずか三間の古びた平屋建ての民家で、少し天井の低い茶室風に作られた4畳半の小座敷を藤村は書斎として使っていたそうです。「この書斎を離れるときは自分がこの世を離れる時だ」と言うほどに気に入っていたんだとか。
藤村が最期に口にした言葉は、「涼しい風だね」だったそうです。ここでは、藤村が最期の時に感じた「涼しい風」を私たち自身も感じことができます。
自然あふれる大磯城山公園。茶室「城山庵」でいただく抹茶は格別の味
大磯城山公園の辺りまでは、少し歩くのでバスを使うと良いでしょう。大磯城山公園の旧三井別邸地区にある茶室「城山庵(じょうざんあん)」は、三井家別荘時代に置かれた国宝の茶室「妙庵(みょうあん)」にちなんで建てられました。
では抹茶とともに可愛らしい季節の和菓子を味わうことができます。建物の前には洗練された日本庭園があり、茶室で外の景色をみながら口にする抹茶は、格別においしくいただけます。この茶室のある地区では自然が多く四季が楽しめる他、伊豆半島と紺緑の相模湾を一望することができる展望台や、周辺地域の歴史・文化・風土をテーマにした展示をみることができる大磯町郷土資料館があります。11月の末期には、もみじのライトアップもされているので、この時期を狙って訪れると一味違った紅葉の魅力を感じることができるでしょう。
兜門の先に広がる美しい風景!吉田茂の意趣が注ぎ込まれた日本庭園
大磯城山公園の旧吉田茂邸地区の兜門をくぐると一面に芝生が広がり開放感が溢れています。細く曲がりくねる遠路を歩いていると自然と歩みは緩やかになり、ところどころで立ち止まって花木や紅葉を楽しむことを促されます。心字池(しんじいけ)や築山(つきやま)のある日本庭園、松林、バラ園、サンルーム、そしてカナリーヤシといったように、海外赴任生活の長かった吉田茂の多様視や様式に捉われない人間性が反映されています。
吉田茂の銅像は、日米講話条約締結の地サンフランシスコと首都ワシントンの方角に顔を向いています。銅像付近は眺望が良く、あたりを一望することができます。
大磯は、ゆったりとした時の流れの中で自然を直に感じることができ、四季の移り変わりによって全く違う姿が楽しむことができます。
また、偉人たちが残した建造物や歴史は、生きた証となって現代に生きる私たちに何かを伝えてくれることでしょう。ぜひ、多くの偉人たちが愛した地を訪れてみませんか?