奈良県「宇陀松山」観光ガイド 主な観光スポットとその歴史をご紹介
奈良県宇陀市松山をご存じですか。宇陀松山は、宇陀松山城の「城下町」、町屋が並ぶ「商家町」、日本最古の薬草園がある「薬の町」、と様々な顔を持っています。
古い町並みの散策がしたい。歴史ある町でどっぷり文化に触れたいそんな方におすすめの町あるき。宇陀松山の町の変遷を追ってご案内します。
この記事の目次
重伝建 宇陀松山の町並み散策が何倍も楽しくなる歴史をご紹介
宇陀松山とは、奈良県北東部の宇陀山地に位置するまち。宇陀川に沿って緩やかに湾曲して南北に伸びる通りに江戸時代から昭和前期にかけて建てられた建造物が連続します。かつては宇陀松山城の城下町でしたが、歴史の変遷により商家町が発展しました。江戸時代末期には薬屋が多く建ち並び薬の町として宇陀は広く知られるようになります。
さっそく宇陀松山の町並みを散策してみましょう。
現在でも約200軒もの町屋が立ち並び、当時の商家町として栄えていた町の姿が思い浮かびます。
その江戸時代から変わらない美しい町並みは、2006年に「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されているほど。
商家町として栄えた宇陀松山は、元々は宇陀松山城の城下町として栄えたまちでした。
しかし、豊臣家の家臣が宇陀松山城に住んでいたときに転機をむかえます。
家臣たちは宇陀松山城の改修と合わせて城下町の整備にも積極的に取り組み、その整備の一環として、宇陀松山の周辺から「税の免除」を売りにして有力な商人を集めたのです。
当時の税金は所得ではなく建物の「間口の広さ」を基準に課せられていたため、京都や奈良などの町屋では税金の負担を軽くするために「うなぎの寝床」と呼ばれるように間口が非常に狭く、奥に長く広がっています。
ところが宇陀松山では間口を広くしても税の免除が受けられたことから、間口も奥行きもどちらも広い町屋が多く、独特の町並みをつくっています。
その宇陀の町並みの特徴は、美しい格子の並びに見てとることができます。
間口の広さから、格子が頻繁に途切れずにより長く並んで連続しているため一層美しく見えるのです。
太い木材と細い木材が交互に並ぶ「親子格子」や間隔が狭く細い木材が並ぶ「千本格子」など、よく見ると格子自体にも違いがあるのでぜひ立ち止まって見てみてくださいね。
森野旧薬園で「薬のまち 宇陀松山」繁栄の証、薬草の栽培を見学
薬のまちとして知られた宇陀は、山地に位置することから町の周囲には自然があふれ、薬草が豊富に取れる地域でした。ゆえに江戸時代の末頃、宇陀松山地区には薬を取り扱う家が多くありました。この界隈には約50軒もの町家が薬を扱っていたといいます。宇陀松山が薬のまちとして知られる理由はここにみられるのですね。さっそくその痕跡をたどって宇陀松山を散策します。
まず訪れたのは、森野吉野葛本舗の裏山にある「森野旧薬園」。日本でもっとも歴史が長い薬草園だそうです。
中へ入ると、まず森野旧薬園の歴史について学ぶことのできる2階建ての資料館があります。資料館で歴史に触れた後、いよいよ薬園へ。
山で栽培されているため、すこし山登りのような形になりますので歩きやすい靴がおすすめです。
薬草にはそれぞれ名称が記載されているので、薬草に詳しくない方でも分かりやすくなっています。
一番の見どころは1729年に江戸幕府から賜った「天台烏薬(てんだいうやく)・ナンキンハセ・カンゾウ・ニンジンボク・ニッケイ・サンシュユ」の6種類の薬草。
これらの薬草は江戸時代に森野吉野葛本舗第11代当主であった森野賽郭が薬草の研究に励み、その報酬として幕府から貴重な中国産の薬草が下付されたもので、そのことがきっかけとなり「森野薬園」が開かれたのです。
1926年にはその歴史と今も残る貴重な薬草園であることから、国の史跡に認定されました。
森野旧薬園からは宇陀の町並みも見渡すことができます。重伝建にも指定されている町並みは、眺めるだけで心落ち着きますよ。
お帰りの際には吉野葛発祥の店「森野吉野葛本舗」で、お土産を買うのをお忘れなく!
市指定文化財 薬の館 江戸時代当時の暮らしを体感
森野旧薬園を見学した後、薬の館を訪れました。薬の館は薬問屋を代々営んでいた細川家の邸宅を改修した資料館で、薬で商いをしていた当時の暮らしや、製薬の町として知られていたまちの文化・歴史を知ることができます。
宇陀松山は良質な薬草が育つ土壌であったため、江戸時代には47軒が薬に関わる商売をしていました。
その宇陀松山で薬問屋を代々営んでいた細川家は、現アステラス製薬(株)である藤沢薬品工業(株)の創始者、藤澤友吉の母方の実家でもあります。
建物の中に入ると、その細川家や宇陀松山の薬についての資料や当時の薬の看板が展示されています。
看板にはいまも愛用されている薬の名前もあるので、知っている薬の看板を探してみるのも面白いですね。
また江戸時代の暮らしが分かる竈(かまど)やお風呂などの調度品も残されています。来たことがない場所であるのに、なぜかほっと落ち着く空間です。
薬の館では係の方が丁寧に説明をしてくださり、ゆっくりと見ることができるのも魅力のひとつ。
なんとお話では新選組の山崎丞もここに泊まったのだとか。
宇陀市指定文化財にも指定されている薬の館で、宇陀松山の歴史や当時の暮らしを体感してみませんか。
絶景スポット 奈良県景観資産にも選ばれた宇陀松山城跡
最後は宇陀の城下町が誕生するきっかけになった宇陀松山城跡に向かいます。
宇陀松山の東側に位置する宇陀松山城跡は、大規模な石垣や礎石が残る城郭遺構のひとつです。
宇陀松山城跡へは春日神社の横にある山道を進んでいくため、歩きやすい靴・服装がおすすめです。歩きやすいように木の杖が置かれており、自由に使えますよ。
山道を進んで石段を登り切った先には、大峰山脈の素晴らしい景色が眺望できます。宇陀松山城跡からの景色は「奈良県景観資産」に選ばれているほど。見晴らしがよく宇陀松山の町並みも一望です。
今は一見すると商家町の印象を強く受けますが、その前には城下町として栄えていたのですね。
宇陀松山城は戦国時代に宇陀を領有した秋山氏の「秋山城」がはじまりといわれています。1585年には豊臣秀長の大和郡山入部によって秋山氏は宇陀を去ることとなり、秋山城は豊臣家支配下の諸将の居城となりました。それから関ヶ原の合戦後に福島孝治が入城しますが、孝治は大坂夏の陣で内通の疑いをかけられて廃城に終わります。廃城となって取り壊されたこともあり、石垣も礎石も近年の発掘調査で見つかったもので、城郭の全容とはいかないものの近世の城郭機構を垣間見ることができます。
なんと秋から冬の早朝には雲海が発生する日があるのだとか。周辺の山から望む雲海に包まれる宇陀松山城跡、一度はこの目で見たいですね。
宇陀松山の魅力、感じていただけましたか。
薬の町、城下町、商家町、いろんな顔を持つからこそ、宇陀松山はたくさんの人々の心を掴むのかもしれません。
町歩きや城跡からの景色を楽しむ際には、ぜひその背景を思いながら奥深き宇陀松山を楽しんでください。