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世界遺産高野山で体験 1200年大切に紡がれてきた精進料理とお香

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    世界遺産和歌山県高野山。
    厳格な空間ではそこで過ごすだけで身が清められるようですね。
    1200年続き大切に紡がれてきた伝統を実際に体感することで、さらに心も身体も清めることができるのではないでしょうか。
    高野山が誇る精進料理とお香を巡る旅へ出かけましょう。

     

     

     

    自宅を高野山の神聖な空間へ 香老舗 高野山大師堂で最高のお土産

     

     
    奥の院からの帰り、刈萱堂(かるかやどう)のすぐ近くに一軒のお香のお店があります。

     

     

    (お香.jpg alt:alt 香老舗高野山大師堂、日本はもちろん、世界からも注文されるお香専門店)

     

     
    お店のお香は高野山で取れた木を使ったお香や、古来から伝わる天然漢方香料を調合して作られたお香など沢山の種類のお香が並んでいます。
    またお店のお香は、高野山の寺院はもちろん、世界からも注文が来るほど。
    取り扱っているお香は高野山の木の葉を使ったお香3種類、それぞれ、杉、槇、そして檜で作られたお香があります。
    天然漢方から作られたお香には沈静作用があり、気持ちを落ち着かせる事ができます。
    またこちらには、塗香(ずこう)が置いており、外国人観光客はこれを見て驚き、どう使うのかを店の方に尋ねられるそうです。
    塗香は、数種の香木と香原料を混ぜて粉末にし、さらに細末の抹香状の薄茶色の香で、仏像や修行者の身体に香を塗り、けがれを除くことに率いられてきました。仏に捧げる六種の供物の一種です。

    家に置かれているお香と一度比べてみてはいかがですか?実際どのような香りの違いがあるか比べてみると面白いですね。

     

     

     

    明治から続く高野山精進料理 花菱 五法・五味・五色のこだわりとは

     

     

     
    食のすゝめ~高野山料理 花菱~
    明治初期に創業し、過去には昭和天皇・皇后両陛下の高野山行幸のすべての高野山料理を担った実績もある老舗です。

    高野山の精進料理は季節感を大切にし旬の食材のみを使用した、五法・五味・五色のバランスにこだわった料理です。

     

     

     

    <写真11_alt:alt明治初期から続く老舗>

     

     
    茄子の焼き田楽は茄子を丸ごと1本使い、炙ることで甘みが閉じ込められ、咀嚼する度に茄子の甘みが口いっぱいに広がります。
    昆布をベースに干ぴょう・椎茸・煎り米からとった精進だしは素材の味を引き出しながら、しっかりとした味付けがされた煮物は格別。
    お膳の上は、彩豊かな料理が広がり、盛り付けの器の隅にまで心遣いが感じられます。
    厳しい環境で生活する修行僧が1200年という途方もない時間をかけ食膳を突き詰め、現在まで紡がれた伝統の振舞料理を心ゆくまでお召し上がりください。

     

     

    高野山刈萱堂 織田信長も苦戦した高野聖が広めた悲劇の秘話を知る

     

     

     
    奥の院の入り口、一の橋より西に位置する朱色の鮮やかな外観がこの刈萱堂(かりかやどう)。石童丸物語の哀しい話で知られる刈萱道心(かりかやどうしん)と石童丸ゆかりのお堂です。
    刈萱堂は「高野山の宿坊・密厳院」に属します。
    高野山・密厳院は、もともと、新義真言宗の開祖である「興教大師」と呼ばれる僧侶の「念仏堂(修行の場)」でした。
    やがて、覚鑁の名前が有名になると、この念仏堂の噂を聞きつけた、「高野聖(こうやひじり)」と呼ばれる高野山における僧侶の中でも最下層に位置付けられ、一般に行商人を兼ねていた僧侶が、この「念仏堂」に集うようになります。
    集う僧侶は日増しに増加し続け、新たに「萱堂(かやんどう)」と呼ばれるお堂が造られました。やがてこの僧侶たちの派閥は「萱堂聖(かやんどう ひじり)」と呼ばれだします。
    実はこの高野聖、様々な小説や映画などの作品に登場します。
    仏に仕える者であり行商人であるその存在は、あの織田信長でさえ苦戦しました。1578年に畿内の高野聖1383人を捕え殺害している過去があります。

    後の鎌倉時代の半ばには、祖心地・覚心(法灯国師)という僧侶がこの「萱堂聖」の中心的な僧侶(人物)になっていました。
    この覚心(かくしん)には、自らを支える門下がおり、その門下たちと共に、高野山はもとより、周辺の国々へ赴き、「苅萱物語」を主とした連歌会などを開き、民衆に人気を博していきます。

    「覚心」を中心とした「萱堂聖」は、このような活動を精力的に行っていたために、やがて「刈萱堂(かるやどう)」と呼ばれだしました。
    この由来が現在まで語り継がれ、現代に至っても「刈萱堂」と呼ばれているということです。

    萱堂聖が語り継いだ刈萱物語。現在でも浄瑠璃「苅萱道心」や高野山苅萱堂縁起の仏教説話にも取り上げられ、現在も全国に語り伝えられています。
    苅萱道心には妻と側室がいました。
    妻と側室の嫉妬心を露わにした争いに人の醜さを知り、高野山で出家してしまいます。その後側室は行方をくらまします。
    苅萱道心は高野山で熱心に修行に励むことになりますが、ある時、父にひと目会いたいと言う側室の息子・「石童丸(石堂丸)」が母と共に父親に似た僧侶が居るという高野山へ訪れます。
    しかし残念ながら高野山は女人禁制の地であったため、やむなく石童丸のみで高野山への道をたどることになります。
    浮世を捨てて仏門に励んでいた道心にとっては、親と名乗ることもできず、「そなたの父はすでにこの世にはいない。」と偽り、石童丸を母のもとに帰しました。
    そのうち旅による疲労が重なり、母親も他界し、残された石童丸は、ついに自らも出家して僧侶になり、高野山で師事することになります。
    その師事した師匠こそが自らの父親・苅萱道心だったと言うお話です。
    以上のことから苅萱堂には人間関係向上や出世などのご利益があるとされ、現在でもご利益を求めて日本各地から苅萱堂にたくさんの参詣者が訪れています。

     

     

     

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    高野山の食と香をめぐる旅はいかがでしたか。

    1200年続き大切に紡がれてきた伝統を実際に体感することで、体内も清め日常の喧騒から離れた最高のリラックス空間を楽しむことができます。
    ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。