姫路城城下町としてさかえたロマン漂う「野里商店街」の世界を
姫路駅から徒歩圏内にあるとは思えないほど落ち着いた、レトロな雰囲気が漂う地域。
歴史的な町家が立ち並び、どこか懐かしさを感じる場所です。
ここは池田輝政の城下町となる前から商人の町として栄えていました。お城ができる前から栄えていたということで、
地図で見ると一見すごくいびつな形であるにも関わらず、姫路城と共に世界文化遺産となりとても大切にされている地域です。
お土産屋が並ぶ観光地にはせず、昔の風情や景観をそのまま維持しています。
そんな野里商店街の魅力をたっぷりとお伝えしていきます。
昔の様子を思い浮かべながら少しぶらり散策してみましょう。
この記事の目次
歴史が残る野里の道、「のこぎり横丁」と「あてまげ」を抜けて…
まずは野里商店街のメイン通りから少し離れたところにある、昔のままの道を歩いてみましょう。最初に出てくるのが「のこぎり横丁」。
その通りに行って少し目線を落とすと、道がジグザグと家が道に対して斜めに建っています。
当時、相手軍が歩きにくいように工夫したとされる軍事説、地割説、方位がわかりやすいようにした方位説がありますが、
形成の理由ははっきりしていないそうです。
このように建っているので、隣家との間には小三角状のスペースができています。
近所の奥様達が立ち話をしているところをお見受けしましたので現在は団らんスペースに使われているのかもしれません。
そしてその先にあるのが「あてまげ」。道を進んでいくと、すこしずれて道が作ってあることがわかり、見通しがきかないようになっています。
これは当時相手の進行を鈍らせたり挟み撃ちにするなど、姫路城の守りの一つとして作られたと言われています。
野里の民家を改装したうどん屋「麦(バク)」店長の絶品「噂のナス」
野里商店街を歩き始めてまもなく左手に出てくるのが大正14年建設の町屋の雰囲気そのままのうどん屋「麦(バク)」。ドアの高さも昔のままで少し低くてかわいらしい。内装もどこか懐かしい馴染みのある雰囲気。誰しもが子供のころに行ったあの地元のお店を思い出しそうです。
だしもいいですがなんといっても店長が研究に研究をかさね、何十種類もの醤油を味見し編み出した、醤油うどんがあっさりとして絶品。
面の種類も注文してから店長が打つ太麺と、五島列島から取り寄せている細麺のものから選べます。
写真は、手打ちうどんに特性醤油をかけて食べる「バクのあご醤油」です。
そして何種類もの醤油を研究し、店長自らブレンドした出しに漬け込んだ「噂のなす」は絶品!
写真のうどんに乗っているのがそうです。
あまりにも好評で噂になったため看板メニューに。うどんの上にナスがそのまま乗っているのも斬新…ですよね。是非一度お試しください。
歴史を感じる野里地区特有の虫篭窓や民家の造りに注目してみましょう
日本の町家にはよく見られる、採光、換気を取り入れるためにある写真の虫籠窓(むしこまど)ですが、野里の虫篭窓には特有の特徴があります。
よく見てみると棒一本一本が四角ではなく丸くなっているんです。
これは、昔甲冑師の明珍が、甲冑の仕事がないときに鉄の棒りや縄を巻き付けて上から土を塗り付けて丸くしたものを取り入れたので、この地域では丸いそうです。
また、正面から見ると少し低く感じる2階が多いのですが、これはわたしの家はお金持ちではありません、とアピールするためだったそうです。
また、行列が道を通った時に、低い窓から見るとちょうど頭を下げて見ているような姿勢になるので、この位置にあったとか。
人々が行列を2階の窓から見ている様子が思い浮かびますね。
震災の被害にあうことなく残った野里商店街には、昔のままの風情を残す建物が道のわきに立ち並んでいます。
そのいくつかは正面から見るととても幅が狭いのですが、横から見たり中に入ってみるとその姿は一変します。奥に長いのです。
当時、納税額は正面の幅の広さによって決められていた為、多くの家は幅が狭く、奥に長くなっているのです。
その多くには家の真ん中あたりに中庭があります。外から見ても木を見ることができます。中庭なんておしゃれですよね。家の中の温度調節や、風通しのために作られていたそうです。
姫路城城下町時代に栄えた商人の町を思わす町名がいたるところに
町名に少し注目して見てみると住む人や集団の名前がそのまま地名になっていることがわかります。鍛冶職が多かった鍛冶町や、大きな米屋があった米屋町など。写真は江戸時代、鋳物師の棟梁芥田五郎右衛門(とうりょうあくたごろえもん)の敷地であったところから名づけられた町名、「五郎右衛門邸」です。昔栄えていたことが想像できますね。由来をひとつひとつ見ていくとおもしろいと思います。
町名に少し注目して見てみると住む人や集団の名前がそのまま地名になっていることがわかります。
鍛冶職が多かった鍛冶町や、大きな米屋があった米屋町など。写真は江戸時代、鋳物師の棟梁芥田五郎右衛門(とうりょうあくたごろえもん)の敷地であったところから名づけられた町名、〝五郎右衛門邸″です。昔栄えていたことが想像できますね。
由来をひとつひとつ見ていくとおもしろいと思います。
昔の人々の姫路城城下町での生活を思い浮かべながら見てみてください
よくよく見ると昔のもの、昔の出来事を思わすものがいたるところにあります。例えばこの写真のごみ箱は江戸時代のものだそうです。
昔はこんな形だったと知るだけでも感慨深いです。
またこの写真はあるお家の壁の様子。何か黒いものが混ざっています。これは鋳物で有名な野里ならではで、当時産業廃棄物を混ぜて強度を上げるため混ぜられたそうです。是非街並みやお家にも注目して見てみてください。より昔の雰囲気に浸れるかもしれません。
姫路牛の「とんかつ朔(サク)」でサクッとひとくち、どうですか
商店街の中で空いていた一室を改装して始められたとんかつ屋さん「とんかつ朔(サク)」。
木がベースのとてもぬくもりある、シンプルでしゃれな店内。その奥の厨房からは店長さんがとんかつを切るサクッという音が聞こえます。
こだわりは油。高価なとてもさっぱりとしたものを使用されています。地元姫路牛を使用したメニューもあります。
そしてなんと言っても一口食べたときのサクッという音。やみつきになってしまいます。
また落ち着いた内装になぜかとてもよく合うアップテンポな音楽。店長さんはクラブ音楽がお好きだとか。クラブ音楽といっても店内の雰囲気にすっとなじんでいてとても心地よいです。
お土産をお探しなら姫路銘菓「清十郎もなか」の御菓子司‐松屋へ
野里のお土産には是非、清十郎もなかを。
1924年創業の老舗、御菓子司‐松屋にお立ち寄りください。粒餡たっぷりの「清十郎もなか」と生柚子ペーストが入った「柚子もなか」が人気です。
外側が薄く、ふんだんに餡が入っていて食べごたえ抜群。
この地域に展開する「お夏清十郎物語」に由来していて、長い間愛され続けている姫路銘菓です。是非一度ご賞味ください。
昔、商人の町として栄えた城下町の野里ですが、今は昔の面影を残しながら少し落ち着いた雰囲気となっています。
町家や町名など、昔の様子のわかるものがふんだんにあり、なんだかタイムスリップしたような気分になるでしょう。
誰もが子供のころ行った記憶があるようなどこかなつかしい雰囲気。そんな野里商店街をぶらり旅してみませんか。