西洋と日本の文化が融合する港町
諸外国文化の影響を受け、隣り合わせに建つ教会と寺院が印象的な港町。
和洋折衷方式の建物が建ち並ぶ様は、エキゾチックな雰囲気を醸し出しています。
01まち ~函館~
01まち ~函館~
港の発展とともに歩んできた交通の基点
北海道南端の渡島半島南東部に位置する函館市。津軽海峡、太平洋、内浦湾の3つの海に囲まれ、対馬海流(暖流)の影響を受けるため海洋性気候となり、道内では比較的降雪量が少なく穏やかな気候なのが特徴です。函館港は北海道と本州を結ぶ交通結節点として機能し、道南地域の中心都市として発展してきました。函館と言う名前は、1454年(享徳3年)津軽の豪族・河野政通が、函館山の北斜面にあたる宇須岸(ウスケシ。アイヌ語で「湾の端」という意味)に館を築き、その形が箱に似ていることから「箱館」と呼ばれたことに由来。1869年(明治2年)に蝦夷地が北海道となり、箱館も「函館」と改称されました。函館空港までは羽田空港から約1時間20分、伊丹空港からは1時間40分。幕末の開港以来、港の発展とともに歩んできた街・函館は、「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」で一つ星以上の星が付いている観光地が市内に20以上もある見所いっぱいの街です。
02歴史 ~函館~
02歴史 ~函館~
貿易港ゆえ欧米文化の影響が色濃く残る
1859年(安政6年)の日米通商友好条約により函館は、横浜、長崎、神戸、新潟と共に日本で最初の貿易港となり急速に発展。 道南地方の中心地としての礎が築かれ、今日では渡島支庁などの行政機関が一通り所在しています。 地理的に本州に最も近い港町であるため、明治時代から海運が発達。北海道と本州との連絡として、かつては青函連絡船が、現在では定期フェリーが青森との間に就航しており物流の結節点となっています。貿易港となったことから欧米文化の影響を直接受け、街並みや建物に今もその面影が残っています。特に開港当時から栄えた函館西部地区の元町エリアは、各国の様式を備えた教会・旧領事館・石畳の坂道などがエキゾチックな雰囲気を醸し出しています。明治維新における函館戦争の歴史の跡や北洋漁業の策源地にみる伝統などが、それら外国文化の名残と有機的に交錯し、函館独特の街が形つくられました。
03史跡 ~五稜郭~
03史跡 ~五稜郭~
戊辰戦争最後の歴史舞台に思いを馳せる
函館市のほぼ中央にある五稜郭は、江戸時代末期に幕府により建造された稜堡式の城郭。高さ(標高)は13〜16mほど、堀の内側は約125500平方メートルの大きさがあり、東京ドーム3個分の広さに相当します。水堀の幅は最大約30m、深さは4〜5mで,この堀の外周りは約1.8kmほど。石垣の正面側一番上にある石が一列飛び出しているところは「はね出し」や「しのび返し」と呼ばれるもので、五稜郭の石垣の大きな特徴のひとつ。五稜郭は箱館奉行所の移転先として築造されましたが、完成からわずか2年後に幕府が崩壊。1868年(明治元年)8月、榎本武揚(えのもとたけあき)率いる旧幕府軍が五稜郭に立て篭り、新政府軍を迎撃しましたが敗北。これが戊辰戦争の最後の戦いとなる箱館戦争です。救援に向かった新撰組副長の土方歳三も銃弾に撃たれて戦死しています。現在は国の特別史跡に指定され、「五稜郭と箱館戦争の遺構」として北海道遺産にも選定されています。
04重伝建 ~元町末広町~
04重伝建 ~元町末広町~
函館の繁栄を物語る異国情緒豊かな景観
函館奉行所があった元町は、函館において行政や経済の中心地として発展しました。明治期の大火後、市区改正事業が行われ、このときに現在の伝建地区の原型がつくられました。その後、諸外国文化の流入とその影響を受けて、洋風や和洋折衷方式の建物が数多く建設。函館山の麓には異国情緒漂う町並が広がり、その中心部分が保存地区となっています。その一帯は坂の町。函館山の山裾から函館港に向かって、幸坂や弥生坂、基坂、八幡坂、二十間坂など20近い坂があります。高台には重要文化財の旧函館区公会堂や函館ハリストス正教会復活聖堂がそびえ、港沿いには煉瓦造の倉庫群が建ち並び、その間に和洋折衷の独特な形態の住宅が点在しています。歴史的にも価値の高い建造物の数々を見ながら、港町として繁栄した時代に思いを巡らしてみては。
05建造物 ~上下和洋折衷住宅~
05建造物 ~上下和洋折衷住宅~
西洋文化を取り入れた日本独特の住宅
一階が和風、二階が洋風に設計された木造二階建ての店舗・住宅が「上下和洋折衷」様式といい、函館らしい建物として親しまれています。貿易港として開港した函館に、たくさんの外国人がやってきて住み始めました。しかし土地が狭かったため雑居状態に。そのため、外国人と隣り合わせで生活する住民は、西洋の技術を多く吸収しました。「上下和洋折衷住宅」の特徴は、1階は板を羽のように重ねた“簓子(ささらこ)下見板張”と呼ぶ和風の格子戸を持ち、2階は下見板張りにアイボリー、ピンクや緑などのペンキ塗装、縦長の上げ下げ窓か両開き窓を持つこと。開港とともに栄えた西部地区には、この和洋折衷住宅が数多く見られます。伝統的な和風建築や、旧函館区公会堂・ハリストス正教会などの洋風建築とも絶妙にとけ合うことで、函館ならではの特色ある景観を生み出しています。最先端の西洋文化を柔軟に受け入れた函館の先人たち。その気質を色濃く残した街並みを、ぜひ味わってみてください。
06史跡 ~函館ハリストス正教会~
06史跡 ~函館ハリストス正教会~
白壁に青緑の尖塔が美しい日本最初の正教会
日本ハリストス正教会発祥の地、函館市元町に建つ教会堂。こちらの正教会は北海道に所属する教会の中でのみならず、日本正教会でも伝道の最初期からの歴史を持つ最古の教会のひとつ。1859年(安政5年)にロシア領事のゴシケヴィッチが領事館内に聖堂を建てたのが始まり。その聖堂の司祭である聖ニコライにより、パウェル沢辺琢磨・イオアン酒井篤礼・イヤコフ浦野大蔵の3名が洗礼を受けたのが、日本正教会の原型となりました。函館ハリストス正教会は、小規模ながら正教会聖堂の標準的な構成になる数少ない煉瓦造の本格建築。ロシア、ビザンチン様式を基本とした変化に富む外観は、意匠的にも優れています。1983年(昭和58年)、大正時代の建造物としては全国で二番目に国の重要文化財に指定されました。また鐘の音は『日本の音風景百選』に認定。現在では、港町函館のシンボルとして親しまれています。
07史跡 ~カトリック元町教会~
07史跡 ~カトリック元町教会~
美しさに息をのむ 函館で最も古い教会
カトリック元町教会は、函館市元町を代表する3教会のうちのひとつ。大三坂先のチャチャ登りへ入る手前に建っており、12世紀のゴシック建築様式を用いた高くそびえるとがった屋根の大鐘楼が特徴です。1859年(安政6年)にフランス人宣教師メルメ・デ・カション氏が称名寺内に住居を設け、教会堂で外国人のためにミサを行ったのが始まりと言われています。二度の大火に遭いましたが、焼け残ったレンガ壁の上にモルタルを塗りながら補修。1923年(大正12年)に現在の建物が完成しました。堂内の中央祭壇や副祭壇、聖画等は、ローマ教皇ベネディクト15世から贈られたもの。礼拝時以外は一般開放されているので、その美しい意匠や貴重な絵画などもじっくり堪能を。なお、急な坂や石畳の多いエリアのため、履き慣れた靴でまわることをおすすめします。
08史跡 ~旧函館区公会堂~
08史跡 ~旧函館区公会堂~
華やかなる時代を纏う元町のランドマーク
函館港を見下ろす高台に建つ旧函館区公会堂は、1910年(明治43年)に建てられた左右対称のコロニアルスタイルの洋館。ブルーグレーとイエローの色が特徴的な美しい建物です。住民の集会所であった町会所(まちかいしょ)が大火によって焼失。それを再建しようと、豪商相馬哲平氏や住民からの寄付などを元手に建設されました。1911年(明治44年)には大正天皇が皇太子殿下として行啓の際宿舎として使用。館内は貴賓室や130坪の大広間など、当時の華やかな雰囲気そのままです。現存している公会堂の中でも建築意匠や技法に優れ、建物の改造も少なく家具の保存状態も良いことなどから、国の重要文化財に指定。コロニアル風の外観に加え、瀟洒なシャンデリアなどの内装が古きよき時代を今に伝えています。その優美な佇まいは、100年以上経っても全く色褪せることはありません。
09自然 ~函館山~
09自然 ~函館山~
47年間 地図から消えていた函館の要塞
かつて函館山は、要塞として使われていました。要塞とは、一国の戦略要点や国境の要部等において敵軍を阻止し、自軍を掩護し、あわせて軍需品の集積、住民の保護などの目的をもって建設された永久築城施設のこと。1895年(明治28年)、日露戦争を想定し津軽海峡の防衛強化を目的に建設されました。第一の目的は軍港を守ることでしたが、函館要塞は民間の港湾を守る目的も兼ねていました。要塞建設は98年から4年かけて本格的に行われ、大小あわせて五つの砲台と立待保塁、観測所、穴間・高龍寺観測所なども建設。1904年の日露戦争時、ロシア艦隊は津軽海峡で日本の船舶に危害を加えましたが、施設が古かったため要塞からは一発も砲弾が発射されることはありませんでした。1899年に要塞地帯法が制定され開放されるまでの47年間は、函館山への一般人の立ち入りは一切禁止されていました。1946年5月、函館山の要塞は米軍により破壊され、47年ぶりに一般に開放。撮影やスケッチが固く禁止されていた47年間は、地図からも消えていたといいます。
10登録記念物 ~函館公園~
10登録記念物 ~函館公園~
400本の桜を植栽 名勝指定の都市公園
函館山のふもとにあり、道内初の洋式公園で、1879年(明治12年)に開園。日本で最も早い時期に設置された都市公園のひとつで、今も当時の姿をとどめる貴重な存在であり、国登録文化財の登録記念物(名勝地)に指定されています。桜の名所としても有名で、地元の商人・逸見小右衛門が「函館公園を奈良県の吉野山のようにしたい」と自らの手でサクラとウメの木5250本を植栽。大火で樹木の一部が焼失しましたが、現在もソメイヨシノを中心に約420本の桜の木が植えられています。園内には、道の有形文化財である旧函館博物館一号・二号や市立函館博物館本館、同図書館等もあります。ミニ遊園地や道内初の動物飼育施設などもあり、多様性のある空間が函館公園の最大の魅力といえます。歴史的建造物や碑も多いので、ゆっくりと散策したり、家族づれで楽しむのにもおすすめの場所です。
11名産 ~ウニ・エビ~
11名産 ~ウニ・エビ~
とびきり新鮮な魚介を堪能できる”海鮮丼”
函館は三方を海に囲まれ、暖流と寒流が交わる好漁場。そのため、身の締まりや脂のりのよい、さまざまな魚介類が季節を問わず水揚げされます。特に函館近海は、ウニ・エビの名産地として有名です。「函館朝市」は、戦後の闇市から続いているということから、日本で最も古い市場のひとつと言われています。近海で獲れた魚介の美味しさを堪能できるのが海鮮丼(かいせんどん)。海鮮丼とは、白飯の上に魚介類の刺身などを盛りつけた丼物料理。戦後に誕生した料理で、北海道、東北など北日本から全国各地に広まりました。マグロ、ホタテ、サーモン、イカ、エビ、タコ、カニ、イクラ、ウニなど、函館近海で獲れる新鮮な魚介の刺身を豪快にのせた海鮮丼は、函館に訪れたらぜひ味わってみたい一品です。少し早起きして、朝ごはんを朝市でいただくというのもおすすめです。
12自然 ~津軽海峡~
12自然 ~津軽海峡~
本州と道南を船と鉄道で結ぶ国際海峡
津軽海峡とは、北海道南端(道南)と本州北端(青森県)との間にあり、日本海と太平洋とを結ぶ海峡のこと。東西は約130km、最大水深は約450m。最も幅が狭いのは、亀田半島の汐首岬と下北半島の大間崎の間で約18.7km。外国船舶の通航に利用される国際海峡です。鉄道専用の青函隧道が1988年(昭和63年)3月に開通。当初は海峡線専用のトンネルでしたが、2016年(平成28年)からは北海道新幹線も通っています。函館港と青森港の間には津軽海峡フェリーと青函フェリーの2社が、函館港と大間港の間には津軽海峡フェリーがそれぞれ往復運行しています。その昔は行き交うことが容易ではなかったと思われますが、人々は古くからこの海に向き合いながら生活してきました。昔の人の夢や希望に思いを馳せながら、本州と北海道を隔てる津軽海峡を越えてみてはいかがですか。