重伝建 千葉県香取市佐原に残る 偉人 伊能忠敬の歴史をたどる旅
千葉県香取市佐原。
かつてこの佐原で実業家として、また名主として名を馳せた人物がいました。
初の実測での日本地図製作に取り組んだ人物、そう伊能忠敬です。
今回は偉人伊能忠敬ゆかりの場所をめぐります。
この記事の目次
伊能忠敬ゆかりの地 「佐原」 家も仕事も全力で取り組んだ忠敬の姿
成田空港から京成本線で京成成田へ、そこでJRに乗り換えてJR佐原駅へ。
なんと成田空港からわずか約38分でつきます。
JR東京駅からはJR千葉駅で乗り換えてJR佐原駅へと向かうのですが、こちらだと約1時間43分でJR佐原駅に到着します。
こうして、伊能忠敬ゆかりの地「佐原」に到着しました。
伊能忠敬と佐原の出会いは、まだ忠敬が17歳の頃。
とある佐原の酒造家の娘と結婚して婿入りし、家業を継いで実業家として名を馳せました。
また、名主としても精を出し、1780年代に起きた天明の大飢饉では自身の財産を使って住民を救っています。
有名な「日本地図を作った人 伊能忠敬」につながる忠敬の佐原での生活。
佐原の町を歩くと、住民のために奔走する忠敬の姿が浮かびます。
佐原から江戸へ 初実測日本地図製作 その功績を称える伊能忠敬銅像
JR佐原駅から徒歩約6分、公園の中に立つ伊能忠敬の銅像があります。
忠敬は50歳の時に江戸に出てから本格的に天文学を学び、日本全国の測量を行いました。
そして初の実測によって作られた日本地図を作ったのです。
この銅像はそんな忠敬の功績を称えて建てられたそうです。
忠敬の銅像とともにあるのは「杖先磁石」と呼ばれるもので、磁石が杖の先にあり、傾いても磁石のところは水平が保たれるように作られています。
測量の時にはこれを用いて角度を測っていたとされています。
佐原は水郷の町として商いが盛んで、江戸時代には多くの文化人が訪れ、文化水準は高かったとされています。
少年時代から学問に興味があったとされる忠敬ですが、佐原での生活がまた一層その心に火をつけたのかもしれませんね。
所在地:千葉県香取市佐原イ771
国宝 伊能忠敬関係資料 国史跡 伊能忠敬旧宅~佐原の偉人の生涯~
伊能忠敬銅像から歩くこと約10分。
伊能忠敬記念館に到着します。
忠敬の佐原での活躍や、全国を測量し、史上初めて日本国土を明らかにするという偉業に関する資料が展示されています。
それらは「伊能忠敬関係資料」として国宝に指定されており、文化的価値の高いものであることがわかります。
中には、日本全国を測量しているときの手紙や記録もあり、当時の忠敬の思いや風景が感じ取れます。
外には小野川をまたいで架けられている、樋橋(とよはし)があります。
この橋はジャージャー橋とも呼ばれており、その橋から落ちる水の音は、環境省の「残したい日本の音風景100選」に選ばれています。
ぜひ耳を傾けてみてください。
樋橋を渡ると、伊能忠敬旧宅が見えます。
この旧宅は国の史跡名勝記念物に指定されており、忠敬が婿になる前からのものとされる店舗と正門は特に歴史を感じます。
また、小野川沿いには舟から荷を揚げ降ろししていた「だし」があり、今では佐原の町並みを楽しめる観光船の乗り場として使われています。
船に乗って江戸の街並みを堪能しつつ、ガイドさんが語る佐原の歴史や名所のお話に耳を傾けると、その風景が重なって見えてきます。
訪れた際にはぜひ乗船ください。
所在地:「伊能忠敬記念館」千葉県香取市佐原イ1722−1 「伊能忠敬旧宅」千葉県香取市佐原イ1899
伊能忠敬ゆかりの場所をめぐる佐原の旅はいかがでしたか。
日本地図の印象が強い忠敬ですが、佐原での活躍も覚えておきたいですね。
ぜひ一度、水郷の町佐原に残る偉人の歴史をたどってみてください。