岩出の国指定史跡 新義真言宗の総本山「根来寺」 大塔や庭園は必見
和歌山県北部に位置する岩出市に訪れる人に人気のスポット、根来寺。
岩出の地の様々な背景とともにみると、多宝堂や庭園からはあらゆる歴史が伺え、心が惹かれてしまいます。
そんな根来寺内を一日ゆったりと拝観する旅をご紹介します。
この記事の目次
岩出の名所「根来寺」の歴史を探る 覚鑁が根来寺を造った訳とは?
新義真言宗の総本山である、「根来寺」(ねごろじ)。
JR岩出駅から自転車で約40分のところにあります。
少し坂道があるので、車移動がお勧めです。車では約20分で到着します。
受付でチケットを買うと境内に入ることができます。
入場してから少し歩いていくと、何が待っているのかとわくわくさせるような、趣深く日本らしい道が続きます。
目の前に広がる庭園と、木造の建造物は驚くほど美しく、なんとも日本らしい風景が広がっていました。
手水舎も非常に凝ったデザインでした。
根来寺は、平安時代後期の高野山の僧で空海以来の学僧といわれた、覚鑁(かくばん)上人が高野山に大殿法院(だいでんほういん)と密厳法院(みつごんほういん)を創設したことから始まったといいます。
高野宗徒との対立が続き、覚鑁は鎌倉時代中期に拠点を根来に移しました。
その後勢力を発展させましたが、秀吉の侵略により大師堂や大塔などの数棟以外は焦土となってしまいました。
しかし、江戸時代から復興を取り戻し、新義真言宗の総本山として根来寺は現在も人々に親しまれています。
日本には数多くの寺院がありますが、一つ一つが異なる歴史や背景を持っています。
そして、その歴史的背景によって寺院の造りもそれぞれ異なります。
このことを知った上で見る寺院は、いつもの何倍も興味深く感じました。
それでは、根来寺の歴史を知ったところで、更に境内の奥へ進んで行きましょう。
岩出の国が名勝指定した江戸時代の「名勝庭園」で造園の深さを味わう
根来寺には、「名勝庭園」というなんとも美しい庭園があります。
紀州徳川家の別荘を移築した、「名草御殿(なぐさごてん)」に面した江戸時代の庭園です。
国から名勝として指定され、自然の三段滝と鶴亀岩を配した、技巧を尽くした庭園となっています。
この美しい庭園を、本坊からのぞいてみましょう。
本坊には無料で入ることができます。
奥へ進むと見えてくるのが、こちらの名勝庭園の美しい眺めです。
園、作園者や年代は現在不明なのですが、造園の基本にすべてかなった庭園となっています。
本坊内には名称庭園以外にも、かわいいだるまのおみくじや、根来塗の漆器の売店があり、その他の展示も面白いものが多くありました。
庭園をいつ誰が造ったのかが不明でも、庭園を手掛けた人の思いがすぐそこにあるような感覚になることができました。
庭園の造りは本当に奥が深いということを知りました。
日本最大の木造建築を誇る唯一無二の国宝。岩出の迫力満点の「大塔」
本坊を出てから更に少し奥へ進んで行くと出迎えてくれるのが、「大塔」です。
「木大毘廬遮那法界体性塔(だいびるしゃなほっかいたいしょうとう)」の通称として、「大塔」と呼ばれています。
一目見た瞬間から、その迫力に驚きました。
高さも40mと非常に高く、幅も15mと他の建造物とは大きさや造りが大きく違うことに気付きました。
古き良き木造建築がこのように当時のまま残されているのを見て、感動してしまいました。
大塔は日本最大の木造多宝堂で、明治時代に国宝として指定されています。
日本で唯一、国宝指定の大塔の中に入ってお参りできるのは、この根来寺の大塔だけだといいます。
この塔は、真言密教の教義を形の上で示したもので、1547年に完成しました。
また、豊臣秀吉の紀州攻めの焼打ちから残ったもので、その頃の戦いでついた痕跡は、今もはっきりと残っています。
そして帰りに根来寺の出口に向かっていくと見えてくるのがこちら。
「ようお詣りです」と書かれたちょうちんです。
不思議と心が温かくなりました。
こんなにも大きな大塔。
その威厳に感動し、誰がどのようにして造ったのかという疑問が頭の中を巡っていました。
この地に足を運んだら是非一度見に来ることをおすすめします。
根来寺の広々とした土地に広がる「名勝庭園」や、迫力満点の国宝「大塔」はいかがでしたでしょうか?
今回ご紹介したのはごく一部で、根来寺には数多くの多宝堂があり、それぞれが県や市の指定文化財となる建物ばかりで興味深いです。
岩出の根来寺で中世にタイムスリップしたような、当時の歴史を感じる旅に出かけてみてはいかがでしょうか。