岩出で今も守り続かれる文化財 建築物から感じる当時の歴史を巡る旅
「水の国」といわれる、和歌山。
北部に位置する「岩出市」には、鮎漁解禁の季節になると、均衡からの釣り客が集まる紀の川があることでも有名です。
その岩出の土地で、建築物を巡り、昔の人々が暮らしてきた歴史を感じる旅をご紹介します。
この記事の目次
紀州徳川家の別荘の跡地でわかる「岩出」という名称の由来は
JR岩出駅から北に向かって約10分歩いてたどり着いたのは、「いわで御殿」です。
あたりは大変ゆったりとしていて、大きく深呼吸をしたくなるような広々とした土地でした。
目の前には紀の川の景色が広がっています。
江戸時代には紀の川の地に紀州徳川家の別荘がありました。
歴代藩主が参勤交代のときなどに宿泊していたのが、「いわで御殿」だったそうです。
8代将軍徳川吉宗も幼少期の大半を「いわで御殿」で過ごしたと言われています。
紀州徳川家の別荘は1764年に取り壊されたあと、名前を変えながらも何度か移築し、現在は横浜市三渓園に「臨春閣」として国の重要文化財に登録され、当時の姿を残しています。
現在の別荘跡地には、デイサービスセンターを中心とする施設が建っています。
そんな「いわで御殿」に行くと分かるのが、「岩出」という地名の由来です。
いわで御殿の前にはこのような看板が立っていました。
紀の川には様々な希少な岩が点在していたので、その景観からつけられた名前だったのですね。
岩出の国の重要文化財「増田家住宅」の土塀に刺ささった瓦 なぜ!?
JR岩出駅から自転車で約20分のところにある、「増田家住宅」。
到着して、まず映画でしか見たことのなかった長屋の迫力と、白と黒のその模様に驚きました。
「増田家住宅」は、江戸時代中期に那賀郡山崎組の世襲大庄屋を勤める増田家の屋敷として建てられました。
大規模な民家の中では、和歌山県で一番古い建物だそうです。
紀の川沿いの地域の建築の特徴である変わった土塀などをよく伝えており、座敷の造りの品質が大変良いので、1969年に主屋と表門が国の重要文化財に登録されています。
白黒の格子柄の壁は「なまこ壁」といって、防火、防水の目的がある壁として使われていたそうですが、最近ではあまり見かけませんよね。
そんな増田家住宅。この長屋を横から回り込んでみると、更に土塀が長く続いていました。
この土塀をよく見ると、なんと大量の瓦が刺さっています!
珍しい光景に思わず驚愕してしまいました。
昔は、このように土壁に瓦を埋め込む「瓦土塀」がよく見かけられたといいます。
では、なぜ塀に瓦を埋め込む必要があるのでしょうか?
それは、雨水がしみ込んで塀の強度が下がることを防いでくれる効果があるからだそうです。
他にも、意匠の美しさを表し、塀の見た目を飾る意味でもあったそうです。
こういった先人たちの知恵があるからこその、現在とは少し違った建築方法を見てみるのも興味深いですね。
増田家住宅 所在地:和歌山県岩出市曽屋173
江戸時代築の歴史的建造物 「桃井家住宅」から感じる岩出当時の歴史
増田家から隣接したところにある、「桃井家住宅」。
「桃井家住宅」は、先ほどの増田家とはまた違い、古い木造の豪邸という印象を受けます。
表札には、「桃井」という文字がしっかりと残っています。
こちらも江戸時代中期に、隣接する増田家と交替で大庄屋・地士を勤めた桃井家の屋敷として建てられました。
現在は、主屋と表門、土塀が残っています。
1754年築の主屋は西側のみ改築されたあと、1967年に町文化財に登録されました。
こちらは江戸時代築の表門です。
当時は増田家のような土塀でできた長屋門だったのですが、戦後に「長屋門が主屋を覆うことは縁起が悪い」という理由で、短く切り落とされたそうです。
桃井家住宅 所在地:和歌山県岩出市曽屋
岩出には当時の姿のまま残されている建築物や、その跡地として残されている場所が多くあります。
そして、実際に足を運び、五感で味わうからこそ感じることができる、当時の暮らしや知恵、文化などがあります。
岩出を訪れる際は、ぜひ当時の人々に思いを馳せながら、タイムスリップした気分を味わってみてはいかがでしょうか?