世界に誇るべき美しき伝統と信仰 宗像大社に息づく1600年の歴史
福岡県の北東部に位置する宗像市は、響灘・玄界灘を望む都市であり、海を渡った先にある大島・地島・沖ノ島を市域に含みます。
現在、世界遺産の登録候補として注目されている「宗像大社」。
多くの人を惹きつけてやまない、宗像大社の魅力に迫ります。
この記事の目次
荘厳な雰囲気が漂う 道の神として人々を見守る世界遺産候補宗像大社
JR東郷駅前から西鉄バスで約15分の「宗像大社前」下車すぐの「宗像大社辺津宮」(むなかたたいしゃへつみや)を訪れました。
宗像大社とは、「沖津宮」(おきつぐう)・「中津宮」(なかつみや)・「辺津宮」(へつみや)の三宮の総称です。
その昔、宗像の人々は、朝鮮半島への航海の危険を乗り越えて対外交流に大きな役割を果たしていました。
「沖津宮」がある「沖ノ島」は、日本と朝鮮を結ぶ海域に位置しています。
古代より祭祀が行われ、航路の守り神として崇められてきました。
沖ノ島祭祀が宗像三女神をまつる沖ノ島・大島・九州本土の3つの宮に発展したのは、7世紀に入ってからです。
2009年に、ユネスコ世界文化遺産暫定リストに記載された宗像大社。
2017年7月に行われる世界遺産委員会にて、世界遺産登録の審議がなされる予定です。
広大な自然のなかに佇む辺津宮の鳥居の前に立つだけでも、奥深い歴史と荘厳な雰囲気を感じました。
それでは早速、境内へお参りに行きましょう。
時代を越えて受け継がれる~宗像大社辺津宮~国の重要文化財を参拝
宗像大社辺津宮では、市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)が祀られています。
日本神話に登場する宗像三女神の一柱で、水の神とされています。
宗像三宮の総社である辺津宮は、「第一宮」(ていいちぐう)と呼ばれ、全国約6200社の宗像神を祀る神社の総本宮です。
本殿と社殿は、1557年の焼失により戦国時代の真っ只中に再建されたものです。
訪れた日は早朝で、清々しくも圧倒的な存在感に息をのみました。
繊細ながら重厚な杮葺(こけらぶき)の本殿と社殿は、いずれも国の重要文化財に指定されており、総大社としての風格を感じます。
戦火の中でこの美しい建物が建立されたことを想像すると、人々にとって宗像大社がいかに大切な存在であったかがひしひしと伝わってきました。
境内には、本殿をぐるっと取り囲むように、22の社殿に121もの末社が鎮まっています。
その歴史は古く645年の大化の改新により、公地公民制となったものの「神郡」と定められた地域のみ、神社の所有が認められていました。
神郡は全国の有力神社7社のみに許され、九州では唯一宗像のみが神郡と定められ、神郡宗像内に祀られた各神社を集合奉祀したものが現在の末社郡となっています。
宗像大社辺津宮 所在地:福岡県宗像市田島2331
最も神聖なるパワースポット 宗像に降り立った神の伝説~高宮祭場~
本殿・末社をお参りしたあとは、鎮守の社の道・悠久の道を進み約5分の「下高宮祭祀遺跡」を訪れました。
高宮祭場は、宗像三女神である田心姫神(たごりひめのかみ)・湍津姫神(たぎつひめのかみ)・市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)が降り立った地と言い伝えられています。
全国でも数少ない古代祭場として、その原形をとどめている貴重な場所の目の前に立つと、自然の息づかいを肌で感じることができました。
宗像大社の重要な神事である秋季大祭は、10月1日の「みあれ祭」から始まります。
中世の神事を復興したみあれ祭では、海を渡って沖ノ島と大島に祀られる田心姫神と湍津姫神を辺津宮へ迎えます。
そして大祭の最終日10月3日は、ここ高宮祭場にて神奈備祭(かんなびさい)を行い、宗像三女神に感謝を伝えます。
生命力を感じる森に包まれた高宮祭場は神聖そのもので、今にも三女神が降り立った光景が思い浮かんでくるようでした。
1600年以上を越えて、守り継がれる信仰は、少しずつかたちを変えつつこれからも絶えることなく未来へ繋がれていくのでしょう。
高宮祭場 所在地:福岡県宗像市田島2224
宗像大社をめぐる、宗像地域の人々の信仰・伝統を少しでも身近に感じていただけましたか。
古代からの伝統を、現在へと繋いできた厚い信仰とその努力は、まさに世界に誇るべき日本の文化であり遺産といっても過言ではありません。
宗像大社に息づいている素晴らしい文化を、是非肌で感じてみてください。