アメリカから近江八幡へ 生涯を過ごしたヴォーリーズの足跡を辿る旅
商人のまちとして有名な滋賀県近江八幡ですが、いたるところに昔ながらの洋風建築をみることができます。
これはアメリカから単身日本に渡ってきたあるアメリカ人の活躍による町並みなのです。
今回は近江八幡の洋風でレトロな建物を巡ります。
この記事の目次
生涯を終えた近江八幡にヴォーリーズ像として今も残る活躍の歴史
こちらは近江八幡駅からバスで13分、新町で下車し、徒歩1分のところにあるヴォーリーズ像です。
ヴォーリーズは近江八幡名誉市民第一号です。
女の子が名誉市民のお祝いの花束を渡している情景を像にしています。
ウィリアム・メレル・ヴォーリーズは1880年アメリカに生まれました。
1905年2月、24才のときに日本の近江八幡に遣わされました。
1964年83才で亡くなるまでこの地を去ることなく、彼を慕う多くの人たちと力を合わせて、医療や教育事業、建築業を進め、貢献活動をしました。
そしてこれらの活動を経済的に支えるために建築の会社や製薬会社を起業し、起業家としても大いなる成功をおさめました。
ヴォーリーズの西洋風建築は、大丸心斎橋百貨店や関西学院大学をはじめ、近江八幡に今も残る住宅や教会など、国内外にも1600にも及びます。
町を歩いていてもいたるところに「ヴォーリーズ建築」の文字があり、彼がどれだけこの町に、人々に愛されていたかがよく分かります。
女の子が握っている花束も定期的にきれいな花に変えられていることから、当時のヴォーリーズの活躍が今もこの町に受け継がれていると感じます。
ヴォーリーズ初期の和洋折衷建築 当時の窓口もそのまま旧八幡郵便局
つづいて訪れたのはヴォーリーズ像から歩いて7分のところにある歴史的建造物、旧八幡郵便局です。
ヴォーリーズの設計により1921年に竣工して以来、1960年まで郵便局として使われていました。
その後玄関部分が取り壊されましたが2004年に復元されました。
今はボランティアの方々が保存再生に取り組んでおられます。
入り口に入ると赤いポストがあります。
中は休憩もできるようになっており、ヴォーリーズの歴史が展示されています。
当時窓口として使われていたものもそのまま残っています。
現代の郵便局とは違い、木造であたたかい雰囲気の郵便局でした。
中にはアンティークの小物なども飾られています。
外観も内容もとてもあたたかい雰囲気の旧八幡郵便局、是非訪れてみてください。
近江八幡 白雲館 まちの中心として140年の時を経て観光案内所に
最後に訪れたのは、旧八幡郵便局から歩いて5分、登録有形文化財の白雲館(はくうんかん)です。
近江八幡にはヴォーリーズ建築以外にも洋風の建物があります。
ここは1877年に八幡東小学校として建築された明治期の擬洋風建築です。
小学校にしてはレトロな雰囲気の建物で、見応えがあります。
八幡商人や地域住民の人々の熱意と協力で、当時のお金で6千円の費用をかけて建設されました。
学校として使用されたあとは、役場、 郡役所、信用金庫などを経て、1994年に現在の姿に復元されました。
先人の残した歴史的文化遺産を後世に受け継ぐため、建築物の保存修理を行ったそうです。
現在は観光案内所として、まちの情報発信、お土産の販売も充実していました。
中にはカフェスペースや自由にくつろげる場所もあり、のんびりとした空間でした。
小学校や役所などで使われてきた建物が今は観光客が賑わう場所になっており、たくさんの方に愛され守られている場所だと感じました。
いかがでしたか。
商人のまち近江八幡には、このような洋風建築も数多くあります。
実際にみると、和風な町並みに洋風でレトロな雰囲気の建物がたっているのは、とてもきれいでそれだけでも見応えがあります。
是非体感してみてください。