第二次世界大戦に夢を奪われた画学生の声響く 信州の鎌倉「無言館」
長野県上田市の別府温泉の近くに「信州の鎌倉」とも呼ばれる塩田平(しおただいら)があります。
塩田平には今、忘れてはならないもう一つの歴史が残されようとしています。
目を見張るような立派な美術館ではありません。
そこにあるのは、第二次世界大戦に夢を奪われた画学生達の無言の叫びです。
塩田平ののどかな地で、一生に一度は絶対に訪れてほしい、美術館「無言館」を紹介します。
この記事の目次
無言の叫びに耳を澄ます 上田の「無言館」で画学生の人生に触れる
上田電鉄別所線塩田駅町駅から「信濃の鎌倉シャトルバス」(運行日:4月~11月)に乗り換え、揺られること約7分で塩田平の静かな土地に「無言館」に到着します。
無言館は第二次世界大戦で戦没した画学生達の作品・遺品を、館主 窪島誠一郎氏自らが全国から集めた美術館です。
重い扉の向こうでは何が待っているのかわかりません。
でも何故か、なかなか中に足を踏み入れることができなくて、立ちすくんでしまいました。
それだけ、この「無言館」は言葉に言い表せないような、特別な存在感を放っています。
館内へ一歩足を踏み入れ、絵を観て回っているうちに気づいたら涙が止まらなくなっていました。
静かな館内には自分の足音と呼吸の音の合間に、画学生達の無言の声が聞こえてきそうです。
きっと聞こえる声は人それぞれなんだろうと思います。
画学生一人一人と個別に向き合い、彼らの声に耳を澄ましてあげてください。
所在地:長野県上田市古安曽3462
“日高安典”の奪われた願い 作品から伝わる「無言館」の無言の声
「あと五分あと五分、この絵を描き続けていたい。
いきて帰ってきたら必ずこの絵の続きを描くから…」
無言館の館内には画学生達の描いた人物画や風景画などが飾られています。
どの絵画も決して保存状態のいいものではありません。
またガラスケースに展示されている遺品は卒業証書や家族写真、戦地からの手紙などどれもその人の大事な人生を物語る品ばかりです。
これらの作品・遺品は遺族の事情でお預かりしているものも中にはあるそうです。
「あと五分あと五分、この絵を描き続けていたい。
いきて帰ってきたら必ずこの絵の続きを描くから…」
この切ない言葉は、日高安典がモデルをつとめてくれた恋人に対して自身が戦地へ発つ前に言い残した最後の言葉です。
「裸婦」と名付けられたその絵画は画布の端に空白があります。
そしてこの絵の続きを描かれる時は二度と訪れませんでした。
隣に展示されている自画像も、どこか悲しげな表情に思われ、胸が締め付けられる思いです。
無言館には、画学生達の声と共に、その一人一人の人生があります。
その人生に触れることは戦争の歴史を感じることです。
そんな歴史旅もきっと大事な時間になることでしょう。
「傷ついた画布のドーム」から「オリーヴの読書館」へ移動して深呼吸
続いて無言館から少し下ったところにある第二展示館「傷ついた画布のドーム」を訪れました。
傷ついた画布のドームの天井は画学生達の作品で覆われ、無言館で展示しきれなかった作品等が数多く並んでいます。
無言館同様に、画学生達の想いであふれかえる空間が続きます。
展示スペースを抜けると併設されている「オリーヴの読書館」という図書室へ到着します。
無言館・第二展示館で体感した思いを、戦争の歴史にまつわる本を片手に、ゆっくりと考える時間にしてみませんか。
第二展示館の庭 大きなモニュメントと赤いペイントの隠された意味
第二展示館の庭には90本もの絵筆がはめ込まれたモニュメントがあります。
上部の赤いデザインが目を引きますが、このモニュメントは設立当初からのものではありません。
この「記憶のパレット」はある日、何者かによって赤いペンキで汚されるという事件が起きました。
それを再現されて描かれたのがこちらの赤いペイントです。
様々な見方がある「無言館」だからこそ、それを忘れないためのものだと説明がされています。
無言館・第二展示館には、全国各地から多くの人が訪れます。
館内には訪れた方々が画学生への想いやメッセージなどを残す「無言館日誌」もあります。
様々な世代の声を手に取ることで、改めて日本の歴史、戦争の歴史、忘れてはならない過去に向き合ういいきっかけになること間違いありません。
長野県上田市の塩田平は自然が豊かで歴史的建造物数多く残るのどかな地です。
のどかな地で日本の過去と向き合い「戦争」の歴史に触れてみませんか。
無言館は撮影不可です。だからこそ、ぜひ足を運んで、自らの目で見て、そして耳を澄ませて、画学生達の無言の声に触れてみませんか。