大石内蔵助ゆかりの地? 八幡台櫓に下屋敷 笠間城の今を訪ねる
今回は、笠間城跡以外の笠間・笠間城を楽しめる場所を訪ねました。
お城の遺跡が残っていなくても、行く場所時代で楽しむこともできるんです!
季節によって様々な顔をする史跡だからこそ、旅の時期に合わせて四季折々の旅をしてみませんか。
この記事の目次
笠間藩の政務中心地・笠間城下屋敷 今はなき藩主と家臣を想起する
笠間駅からバスで約10分で佐白山麓公園(さしろさんろくこうえん)に到着します。
現在の佐白山麓公園は江戸時代、笠間城が栄えた頃城の下方にあることから「下屋敷」と呼ばれ、賑わっていました。
元々笠間藩の政務は山の上にある笠間城で行われていましたが、日常の政務を行うために毎日山道を登ることは家臣にとって辛いことでした。
毎日山を登って仕事をすることを少し想像しただけで、このころの家臣の苦労が目に見えるようですね…。
不便さを少しでもなくそうと、浅野家が藩主の1643に、城下町に近い佐白山の下の台地に、藩の役所と藩主の居住建設しました。
その後1871年に行われた廃藩置県までの約230年間、この下屋敷が藩の行政と藩主の生活の中心となったことは言うまでもありません。
細い山道をのぼりきると、緑に覆われた綺麗な公園が現れます。
今回は秋に訪れたので紅葉が一面に広がっています。
すぐ横にトイレがあり、10台ほど停められる無料の駐車場もあるので、車で来ても安心です!
この憩いの場には、下屋敷跡の史跡が立っています。
特に周りに遺跡は見当たらないので、見落とさないよう気をつけましょう。
ふとハイキングコースとは真逆の方向を見てみると、大きな白いお城が目に入ってきます。
史跡か何かか?!とドキッとするのですが、このお城は「山乃壮」というホテルでした。
遠くから見るととても立派な外観なのですが、実はここ、東日本大震災以降に閉業してしまったようです。
笠間城跡近くで、本当のお城のような場所に泊まれる歴史好きにはたまらないホテルの様でしたが残念です。
忠臣蔵・大石内蔵助ゆかりの地、笠間 佐白山麓公園で刻む時を旅する
下屋敷の史跡を通り過ぎて山方面へ行くと、大きな物見櫓、別名「時鐘」が保存された鐘楼がそびえ立っています。
市指定の文化財です。史跡後ろに立っているので、すぐに見つけることができます。
これは、笠間藩が1662年に正福寺の梵鐘(ぼんしょう)を譲り受けて、大町にある現在の八坂神社に建設、鐘を鳴らしたことが発端なのだそう。
その後今ある笠間城の下屋敷に移設しました。
外から時鐘を見ることはできませんが、実はすでに3代目だとか。
鐘の形は関東で良く見る中ふくらみのないもので、「かさま除夜の鐘」というイベント時に自分で鳴らすことができるそうです!
音を聞くだけではなく、鳴らす体験もできるとは初耳で、行ってみたくなりました。
そのすぐ横を見ると、江戸時代の武士である「忠臣蔵」の主人公、大石内蔵助の像が目に飛び込んできます。
なぜ笠間に?と思われるかと思いますが、笠間には笠間藩家老であった内蔵助の祖父、大石良欽(よしたか)の別邸があり、支えていた浅野氏が赤穂に行く以前は笠間藩主だったということもあり、この像が建てられたのではないでしょうか。
この公園は春になると桜が咲き誇りますので、写真のようなアングルで写真を撮れば、見事な桜と大石の2ショットが撮影できます!
笠間城唯一の現存する建築遺構・八幡台櫓 真浄寺で城の歴史を感じる
笠間駅から車で4分で主要道路を少し外れた細い道の先に、真浄寺(しんじょうじ)があります。
八幡台櫓は、お寺に入って正面にすぐ見つけることができました。
笠間城の本丸八幡台上にあった、通常時は武器倉庫、戦時は物見櫓として用いられた「八幡台櫓」(はちまんだいやぐら)。
これは唯一笠間城で現存する建築遺構で、1880年に真浄寺へ移設され七面堂として使われています。
笠間城が築城された江戸時代に同じく造られ、1969年には県指定文化財となっています。
屋根上には、立派な飾り瓦もあり、じっくりと眺めていたくなる美しさです。
木造の二層入母屋造り、外壁は江戸時代の城郭建設によく使われていた白壁塗籠といわれる式様で、お寺の中に白く厳かな瓦屋根の櫓がある様子は、とても立派なものでした。
笠間城の歴史、笠間の魅力を感じていただけましたか?
下屋敷に物見櫓、大石内蔵助の像に時鐘。そこには桜や紅葉など、自然と融合した史跡がありました。
ぜひ、最高の歴史と自然の融合を見に、訪れてみてください。