京都の「大徳寺」で千利休が歩んだ人生にたっぷりと触れてみませんか
千利休という茶人をご存知でしょうか。
千利休のゆかりの地といえば、大阪府の堺市を思い浮かべる方も多いと思いますが、京都にも様々な千利休のゆかりの地があります!
今回は、京都府での千利休のゆかりの地「大徳寺」(だいとくじ)を紹介します。
この記事の目次
千利休の切腹の原因となった千利休坐像のある大徳寺「金毛閣」を巡る
まず最初に訪れたのは、市バス「大徳寺前」から徒歩約5分のところにある大徳寺の「金毛閣」です。
大徳寺の金毛閣には、千利休が豊臣秀吉によって切腹される原因になった千利休の坐像があります。
金毛閣は、桃山時代建築の重要文化財建造物です。
1526年、連歌師宗長が初層を寄進し、1589年に千利休によって上層が完成しました。
本瓦葺の唐様建築で、禅寺三門のうちでは、東福寺の三門に次いで古いと言われています。
金毛閣を近くで実際に見ると、かなりの迫力で圧倒されます。
金毛閣の名は上層部分をさしています。内部は常時非公開ですが、外観は常時拝観ができます。
朱色の木造建築の金毛閣は、昔に造られたものとは考えられない立派な門で、中に入ることはできませんでしたが非常に感動しました。
みなさんも金毛閣をゆっくりと見に訪れてはいかがでしょうか。
大徳寺の「高桐院」で千利休の茶室松向軒や灯篭墓石を見てみよう!
次に訪れたのは、千利休の茶室松向軒と灯篭墓石のある大徳寺の中にある「高桐院」です。1601年、利休七哲の一人細川忠興が創建したものになります。
利休邸移築の書院につづく茶室松向軒は秀吉の北野大茶会に用いられたものを移したとされています。
江戸時代の初期につくられた庭には、三斎とガラシャ夫人の墓があります。
三斎は茶人としては利休七哲の一人といわれる名手で、当院の書院は利休の邸宅を移築したものといわれています。
書院に続く茶室松向軒は、三斎好みの二帖台目で、三帖の水屋がつき、壁や天井にも趣向が凝らされていて有名です。
境内にある三斎の基標の石灯籠は、利休が三斎に贈ったものと伝えられています。
書院の庭は江戸初期の作庭、本堂の前庭は楓の樹を巧みに配しているのが特色となっています。
庭に入ることが出来るのですが、緑がいっぱいの綺麗なお庭に感動しました。
日本を感じる事ができ、「わびさび」を感じることが出来るお庭となっていました。
みなさんも、ゆっくりと日本を感じにまた茶室松向軒で千利休を感じに訪れてはみませんか。
千利休がお菓子としてだした麩の焼きを老舗店松屋藤兵衛で堪能しよう
最後に訪れたのは、千利休がお茶菓子としてお客様に提供していた「麩の焼き」(ふのやき)という和菓子です。
今回、麩の焼きを買ったのは老舗店松屋藤兵衛です。
こちらの松屋藤兵衛は、明治以降は洛北、紫野大徳寺のほとりで営み、現在も大徳寺をはじめ茶席用菓子を予約相談の上、調製しているそうです。
そして、「麩の焼き」以外にも大徳寺が発祥である「大徳寺納豆」や自家製大徳寺納豆を混ぜ込んだ「紫野味噌松風」は代表のお菓子です。
麩の焼きは、関西名物のお好み焼きのモデルとなったものとされています。
さくっと、柔らかい甘さの麩の焼きを食べるとお茶が進みます。
優しいお味の麩の焼き、みなさんもお土産としてぜひ買ってみてください。
“京都の大徳寺には、千利休の人生に触れる場所があります。
ゆっくりと時間の流れているような大徳寺にゆっくりとバスに揺られて訪れてみませんか。
きっと、千利休を感じる事ができる旅になると思いますよ。