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藤堂高虎築城!高さ約30メートルの石垣を誇る三重県伊賀上野城へ

  • 三重県伊賀上野にある、30mもの高い石垣を持つ「伊賀上野城」。実は伊賀上野城の石垣は、築城の名手、藤堂高虎が建てたものですが、その前は筒井定次(つついさだつぐ)という豊臣方の家臣の城だったのです。
    豊臣から徳川の手へ城が渡る際に、伊賀上野城は全く違う機能を持ち始めます。歴史の波に翻弄され続けた伊賀上野城に訪れてみましょう!

     

     

    城主が変わり全く別の姿に?伊賀上野城、壮絶な城築の歴史

     

     

    伊賀上野城は、上野盆地の中央部の丘陵の上に築かれている平城です。

     

    もともとは上野山平楽寺という平清盛が造営したと伝えられる真言宗の寺があり、伊賀の国の権威を奮っていました。
    そんな時代から伊賀の国に変化が訪れ始めたのは、1581年から。織田信長による天正伊賀の乱の伊賀攻めによって、伊賀の国はほぼ全域がすっかり焼け落ちて跡形もなくなってしまいます。

     

    そのわずか一年後、本能寺の変により織田信長は亡くなります。信長の亡き後に天下統一を目指した豊臣秀吉は、大阪城を中心とした大名の配置を行いました。筒井定次が伊賀国に移り、初代上野城藩主となりました。
    1585年に伊賀に入国した筒井定次は、上野山平楽寺跡に新しく伊賀上野城を築き上げます。
    1600年に起こった関ケ原の戦いにて、徳川方に見方した筒井氏は、徳川家康から伊賀の所領を安堵されていましたが、1608年に筒井騒動というお家騒動を起こし定次は切腹となってしまいます。

     

    その後、徳川家康は 藤堂高虎を伊予今治から伊賀・伊勢両国の領主としました。
    定次の城が大坂を守る形をとっていたのに対し、藤堂高虎は、大坂城の豊臣方との決戦に備えるため、さらには豊臣方に脅威を覚えさせるために伊賀上野城を改築しました。そのため、当時では日本一の濠は深く、石垣は高い設計をし、高さ約30mの高石垣を巡らせたのです。
    そうして現在再現されている伊賀上野城が出来上がります。

     

    さて、歴史を学んだところで、さっそく伊賀上野城の30mの高さを誇る石垣を見に行ってみましょう!

     

     

    日本有数の高さを誇る高石垣とは?城の周りから伊賀の景色を見よう!

    〈01_iga:高石垣①〉

     

     

    上野市駅から徒歩約20分の上野公園にあるのが、藤堂高虎が築城した城壁「内堀高石垣」です。日本屈指の30mという高さを誇る内堀の石垣は、高石垣の西面に広がっています。大阪城からの西の攻撃を守るため、西面に広がっているのだそうです。高石垣の上から見るときは、フェンスやネットがないので注意してください。

     

     

    〈02_iga:高石垣の下から見た景色②〉

     

     

     

    高石垣の付近から立ち見上げると、かなり高いのがわかります。高石垣の上にいる人を下から見上げると、豆粒くらいの大きさになります。実際に近くで見てみると、昔の技術でここまでの大きさのものを作れるのかと非常に驚きました。

     

    実際に城攻めをするとなったら、まず深い堀をやっと越えたところに、さらに30mもの高い石垣がそびえたち、上からは攻撃が絶え間なくくると思うと戦意喪失ですね。

     

    伊賀の国を守るために、藤堂高虎が作った立派な高石垣をぜひ見に行ってみてはいかがでしょうか。

     

     

     

     

    城好きにはたまらない!築城名手高虎が建てた伊賀上野城 天守閣へ

    〈03_iga:伊賀上野城①〉

     

     

    上野公園入口から約10分歩くと築城名手と言われている藤堂高虎が建てた城、伊賀上野城があります。伊賀上野城は白い三層の美しい城郭が鳳凰が翼を休める姿に見立てられ、『白鳳城』とも呼ばれています。
    城跡は1967年12月27日に国の史跡名勝記念物に指定され、天守は1985年3月18日に伊賀市有形文化財に指定されています。

     

     

    高虎は1608年に伊勢国津藩(32万石)の藩主に着任し五層の天守閣を建設しましたが、完成する直前の1612年に伊賀を襲った大暴風で、城は、倒壊してしまいます。その後高虎によって再建されず、現在の天守閣は1935年に復元されたものになります。城内には武具や甲冑などが展示されており、中でも藤堂高虎が豊臣秀吉から拝領したといわれる兜は圧巻です。3階には色紙46点の天井絵が飾られており、横山大観が描いた月の絵だもあります!ぜひ探してみてくださいね。天守閣の中には展示品のほかに伊賀忍者も隠れていました。

     

     

    最上階からは、伊賀の景色を一望できます。

     

     

    〈04_iga:城から見る景色〉

     

    上野市の周辺からは、伊賀上野城の頭の部分が見えるほど大きな城となっています。白く美しい伊賀上野城を是非ご堪能ください。

    ちなみにだんじり会館には伊賀忍者の変身所があります。予約は不要で、10:00~16:00まで忍者衣裳を借りることができます。忍者に変装して伊賀上野城を散策している観光客の方もおられますよ!ぜひ旅の思い出に忍者体験をしてみては?

     

     

    伊賀上野城の魅力と城を敵から守ったとされる30mもの高石垣はいかがでしたでしょうか。昔の技術でここまで大きな石垣と城を作った藤堂高虎の魅力を感じに、三重県に来た際には、ぜひ一度訪れてみてくださいね。

     

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