知る人ぞ知る奈良時代の国府 栃木の史跡「下野国庁跡」の魅力とは
栃木県栃木市の「下野国庁跡」(しもつけこくちょうあと)は国指定史跡です。栃木には、江戸時代や明治時代の歴史的建造物や蔵が点在しており、歴史を学ぶ資料館や記念館も数多くあります。ですが、今回は奈良時代の歴史を掘り下げて、奈良時代の史跡を紹介します。
この記事の目次
「蔵の街」栃木市の別の顔!足を延ばしておいでませ「下野国庁跡」
東京都心から約2時間で新栃木駅に到着します。駅では栃木市の名所「蔵の街」の看板が出迎えてくれます。また伝統的建造物保存地区である嘉右衛門町(かうえもんちょう)から栃木駅の間に点在する資料館や記念館などの歴史名所も地図で記してくれています。散策しながら巡っても楽しいですが、今回はさらに足を延ばして、下野国庁跡で奈良時代に思いを馳せてみましょう。きっと蔵の街栃木の魅力が倍増するのではないでしょうか。
下野国庁跡には新栃木駅から電車で一駅の野州大塚(やしゅうおおつか)駅から徒歩約40分、新栃木駅から車だと約20分のところにあります。地元の方でも知らない人がいるようですが、下野国庁跡の周辺は建物が少なく、畑などののどかな風景が広がります。自然に癒されながら進むと「下野国庁跡」の看板が見えてきます。車の場合は見落とさないよう気を付けましょう。
では、いよいよ下野国庁跡に到着です。
所在地:栃木県栃木市田村町300
学問の神様菅原道真と約200年続いた下野国の中心「下野国庁」
下野国庁跡に着いてまず目を引くのが、国府の役人が朝賀などを行っていた「前殿」を復元させたもの。当時、前殿は国庁域内の中央に位置していたようです。鮮やかな朱色が目にまぶしいです。国庁を中心とした古代の地方の官庁街のことを「国府」といいますが、下野国(現在の栃木県)の政治の中心だったことがわかります。下野国庁は奈良時代から平安時代の前半にかけて、約200年の間使用されていました。701年唐にならって作られた大宝律令に沿って政治が行われていたそうです。学問の神様として有名な菅原道真も下野国司でした。現在の前殿は、昔通りの材料や手法で復元されていて東西にある藤棚は脇殿と同規模でつくられているのだとか。見晴らしのよい景色と立派に復元された前殿を前にすると、自分が国の中心に立っているような錯覚すら覚えます。
下野国庁跡に復元された前殿の隣には、無形民俗文化財として祭儀習俗が登録されている「宮野辺神社」があります。奈良時代の歴史を感じに是非こちらもお立ち寄りください。
出土品や発掘場から奈良時代に想いを馳せる!「下野国庁資料館」
下野国庁跡の北には「下野国庁跡資料館」があります。入場は無料で発掘調査の出土品や前殿・脇殿の位置と大きさを確認した時の写真などが展示されており、下野国庁の歩んできた歴史を掘り下げて知ることができます。下野国庁の位置が確定したのは、発掘調査を始めて4年後の1979年のこと。さらに調査は続き、1982年に国指定史跡に指定されました。全国各地につくられていたはずの国庁ですが、所在地が確定している国庁は少なく、関東では唯一ここだけです。位置が確定し、発掘調査が進んだからこそ、写真のような復元模型も制作することができるわけです。模型には人の姿もあり、建物の規模感や当時の様子がより鮮明に見えてきます。
下野国庁跡資料館には出土品の一部も展示されています。随分昔のものが、こんなにもきれいに形をとどめているというのは、感慨深いものがあります。発掘時のビデオなども上映しているので、当時に想いを馳せながらゆったりと見学することができます。
下野国庁跡の近隣には、お酒好きの方はご存知の日本酒「北冠」を作っている「北関酒造株式会社」の酒蔵があります。野州大塚駅との間にある大神神社(おおみわ)は、古来より秋に安産子育・醸造祈願の御鉾祭(おぼこまつり)が行われていて、地元では有名な祭事です。大神神社境内の池には八つの島があり、それぞれに御社が配されるという珍しい景観です。そのため、現在でも「水煙の名所」として、多くの俳人・歌人が訪れるのだとか。近隣の歴史的名所も是非巡ってみてください。
栃木県栃木市の下野国庁跡は、全国有数の史跡でありながら、立地的に訪れる人も多くはありません。歴史がお好きな方だからこそ、こういった隠れた名所にも足を延ばして栃木の歴史旅を堪能してほしいと思います。奈良時代に想いをはせてはいかがですか。