井伊直弼ゆかりの地「彦根」で井伊家当時の暮らしに想いを馳せる
滋賀県彦根市には有名な彦根城がありますが、周辺には安政の大獄や桜田門外の変で名の知られた大老、井伊直弼が生まれ育った屋敷は当時の様子がそのまま残されています。
今回は井伊直弼の当時の趣味や暮らしがあらゆるところからあふれ出す、彦根城周辺を直弼公の成長を追って紹介します。
この記事の目次
彦根城と共に訪れたい 四季折々の表情を見せる名勝「玄宮園」へ
JR彦根駅から徒歩約10分で彦根城周辺にある、大きな池がシンボルの名勝玄宮園(げんきゅうえん)に到着します。
玄宮園は、彦根藩の下屋敷として四代目藩主である井伊直興(いいなおおき)によって造営されました。
近江八景を模した大名庭園で、初夏は新緑、秋には紅葉を望むことができます。
また、園内にはかつて客人をもてなしたとされる茶室が今なお残されており、お茶を楽しみながら庭を望むことができます。
大きな池にかかる橋から見た玄宮園全体や茶室は、玄宮園を訪れた人にしか味わえない風情が漂います。
秋には紅葉が見頃をむかえ、私たちを魅了させてくれます。
9月には虫の音を聞き、11月にはライトアップなどのイベントも開催されるなどいつ訪れても違った楽しみがあります。
玄宮園からは彦根城天守閣を望むことができるので、庭の風景越しの天守閣を写真に収めてみてまいかがでしょうか。
あの井伊直弼が幼少期を過ごした「楽々園」で直弼が見た景色とは
玄宮園の傍に一軒たたずむ下屋敷が「楽々園」(らくらくえん)です。
楽々園は彦根藩の4代目井伊直興によって建てられ、かの有名な井伊直弼が誕生してから幼少期を過ごした場所でもあります。
かつては槻御殿(けやきごてん)と呼ばれ、現在は玄宮園と合わせて玄宮楽々園という名ですが建物は楽々園、庭園は玄宮園と呼び分けられています。
11代目井伊直中(いいなおなか)の時代には現在の10倍の広さで、能舞台や詰所、船着き場までもがありましたが現在は茶室と奥書院のみが残されています。
1994年までは旅館として使われいたという、なんとも珍しい経緯を持っている建物です。
玄宮園を眺めながら、偉人の生まれた場所で歴史の空気を感じてみてはいかがですか?
人生を埋もれ木にたとえ茶を愛した井伊直弼が15年間過ごした埋木舎
彦根城のお堀の周りを歩いていくと、井伊直弼が17歳から32歳までの青春の15年間を過ごした「埋木舎」(うもれぎのや)が見えてきます。
埋木舎という名は直弼が詠んだ和歌、自分の人生を埋もれ木にたとえたことにちなんで名付けられました。
現在は井伊直弼ゆかりの地として、数多くの資料が展示されています。
茶の湯の一派を創設するほど茶を愛した直弼ならではの茶室や表座敷などもそのまま残されています。
外庭には井伊直弼が好んでいた柳が植えられ、井戸も触れることができるので当時の暮らしの様子を思い浮かべ体感できます。
屋根には井伊家の旗印にもなっている細井筒(ほそいづつ)が描かれているので、現地に行って是非ご覧ください。
井伊直弼が過ごした屋敷で当時の暮らしに是非想いを馳せてみましょう。
安政の大獄や桜田門外の変で名の知られた大老、井伊直弼が生まれ育った地をご紹介しましたがいかがでしたか。
直弼公の当時の趣味や暮らしがあらゆるところからあふれ出す、彦根城周辺を直弼公の成長を追って巡ってみてはいかがでしょうか。