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神戸北野の歴史は平清盛から始まった!神戸港と旧居留地から町を知る

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    兵庫県神戸市の中心街から山手に上ると、異人館が広がる美しい北野のまちがあります。現在は洋館のまちなみが広がる北野ですが、実は農村だったことをご存知でしょうか?それではなぜ北野という異人館と日本家屋が並ぶまちができたのか。
    北野の成り立ちの謎に迫ります。

     

     

    北野というまちの名前の由来は神戸北野天満神社に宿る

     

     

    <01_kitano:北野天満神社の写真>

     

    北野の歴史を紐解く中で、最も昔の大きな出来事といえば、平安時代末期にまでさかのぼります。

     

    時は平安時代1180年、平清盛は権勢を振るっており、現在の兵庫県神戸市中央区から兵庫区の山麓のあたりに福原京を造営し、平安京から遷都させるという計画をしていました。
    福原京を建てる際に鬼門の方角(北東)にあたるのが、現在の北野天満神社があるあたりだそうです。

     

    そのため清盛は福原京の鬼門鎮護のために京都の北野天満宮を勧請し、神戸北野天満神社を建てました。その後、神戸北野天満神社の周囲は「北野」と呼ばれるようになったそうです。

     
    現在の北野の町は、中世の時代には戦乱に巻き込まれることもあったようですが、その後は段々畑の広がるのどかな村であったようです。そのことは1772年に作られた地図や、開港後間もなく撮られた写真からうかがうことができます。

     

     

    <03_kitano:地図の写真>

     

     

     

     

    <04_kitano:生田の森を望む写真>

     
    このように北野村は平和でごく普通の農村でありました。こうした資料は神戸北野天満神社の入り口横にある「天神様と北野の資料小屋」というところで見ることができます。
    北野の名前の由来がわかったところで次は北野が異人館街になった理由を探りに神戸港に舞台を移します。

    所在地 : 兵庫県神戸市中央区北野町3丁目12

     

    <05_kitano:天神様と北野の資料小屋の写真>

     

     

     

    ついに開港!神戸港と居留地をめぐって北野に関連する歴史

    北野天満神社のある北野から南へ下り、各線三宮駅から徒歩約20分。ここが神戸港です。

     

    <06_kitano:神戸港の写真>

     

    神戸港が開港したのは1868年1月1日。
    写真は現在の新港第1突堤です。このあたりで江戸時代に網屋吉兵衛(あみや きちべえ)が船蓼場(ふなたでば)を作ったことが、神戸港築港のきっかけの一つになったと言われています。

     

    <07_kitano:網屋吉兵衛の碑の写真>

     
    開港された1868年当時は神戸港ではなく、兵庫港が開港されました。なぜなら、神戸港は京の都に近いことから、朝廷はなかなか神戸港の開港を認めなかったからです。
    そしてようやく朝廷が神戸港の開港を認めたのは、開港される日のおよそ半年前のことでした。

     

     

    そのため居留地の完成は間に合わせることができなかったそうです。そしてその5~6年後に居留地は完成しました。

     

    <08_kitano:神戸税関の写真>

     

    しかし今度は、居留地内の土地がなくなり、新たに神戸に来た外国人は土地を探し始めました。そこで目を付けたのが「北野」でした。居留地から山手に向かって南北に道が走っており交通の便が良かったことと、坂を上った高台にあるため港を見渡すことのできる景色があることなどが決め手であったようです。

     

    <09_kitano:居留地の碑の写真>

     

    <10_kitano:うろこの家からの眺めの写真>

     

    また、その後には北野は外国人の住宅街、居留地はその外国人たちの職場のあるオフィス街、というようになりました。そのため、今でも居留地に残る建物は、以前会社として使用されていた建物が多いようです。
    例えば、このチャータードビルは、チャータード銀行の神戸支店として建てられたものです。

     

    <11_kitano:チャータードビルの写真>

     

    旧神戸居留地十五番館はかつてアメリカの領事館として使用されていました。

    <12_kitano: 十五番館の写真>

     

    そうして栄えた旧神戸居留地でしたが、繁栄を揺るがす出来事が起こってしまいます。

     

     

    戦争勃発 景観破壊 北野異人館街の悲しい歴史と復活の軌跡に迫る!

     

     

    <13_kitano:異人館の写真>

     

     

    居留地と雑居地の中の北野で暮らすという生活のスタイルが崩れてしまいました。それは1939年に勃発した第二次世界大戦をはじめとする戦争です。
    これにより神戸にいた在留外国人たちは国外退去や母国へ強制送還されてしまい、彼らの住んでいた異人館は戦禍を被り、多くは焼失してしまいました。
    戦後、200棟ほど、異人館は残りましたが、その後1960年頃から1970年頃まで続いた高度経済成長の時代に、北野の異人館も近代的なビルやマンション、住宅に立て替わってしまいました。
    結果的に異人館街という街並みがなくなることにつながるのです。

     

     

    <14_kitano:通りの写真>

     

    そんな北野異人館街にも転機が訪れました。それは、1977年にNHKの連続テレビ小説で「風見鶏」が放映されたことでした。
    風見鶏の館をはじめとする異人館に注目が集まり、一躍神戸の名所になったのです。同時に異人館の修復や活用にも目が向けられ、異人館は保護されていきました。

     

    <15_kitano:風見鶏の館の看板の写真>

     

     
    こうして今のような異人館街が形成されて、神戸の一大名所となります。今や異人館街というイメージの北野ですが、過去には様々な歴史があるのですね。
    神戸全体のまちの歴史や異人館の歴史をたどって、北野というまちを見る視点を変え、歴史に重きを置いて北野を旅してみてはいかがでしょうか。

     

     

    いかがでしたか。今回、北野の歴史をご紹介しました。
    北野を訪れたことがない方はもちろん、何度も北野を訪れたことがある方も、異人館めぐりだけでない、新たな北野の魅力に気づける歴史旅をしてみてはいかがでしょうか。

     

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