江戸時代に形成された武家町 角館 重伝建の町なみを歴史と共に巡る
武家屋敷で知られている秋田県仙北市角館。
その町なみは重要伝統的建造物群保存地区にも指定され、今もなお、江戸時代から変わらぬ町なみを残しています。
自然があふれる武家町の歴史と共を紐解き、町を歩いてみましょう。
この記事の目次
角館に町を築いた芦名義勝 その背景には悲惨な出来事や災難の数々
1620年に芦名義勝が、古城山の南麓に町を造ったことが角館の始まりと言われています。
それ以前は古城山の北麓に町がありましたが、度々水害や火災に見舞われていました。
周囲が山と川に囲まれており、城下町の防衛に適している現在の地に町を築きました。
秋田新幹線・田沢湖線 角館駅から徒歩約15分。こちらは「史跡 芦名氏墓地」です。
角館の中心部から少々離れたところに位置しています。
町を造った人物の墓地ですが、ひっそりとした佇まいで落ち着いた雰囲気が感じられますね。
義勝には生前に息子の盛泰がいました。
盛泰はとても勤勉で、義勝の後継ぎとして期待を寄せていたようです。
しかし、盛泰は若くして命を落としてしましました。
一説によると、毒殺されたという話もあります。
新たな町造りには、水害や火災といったアクシデントや地の利を考慮されて行われましたが、
悲しみに明け暮れた義勝が、気持ちを新たに再出発しようとしたという思いもあります。
その思いは町づくりにも現れています。
武家屋敷が並ぶこの大通り、道幅がとても広いことが見て取れます。
一般的に城下町は、防衛のため道幅を狭くしますが、角館は対称的に通りを広く設計しています。
これには、義勝の悲しみを乗り越え、気分一新歩んでいこうという気持ちの表れがあります。
美しい町なみの背景に悲しい出来事があるなんて、感慨深いものがありますね。
義勝の思いを感じながら町を散策してみてはいかがでしょうか。
所在地 : 秋田県仙北市角館町上新町10
武家町の特徴って?1620年から変わらない町なみ仙北市角館を歩く
武家町の特徴である「桝形」を紹介します。
桝形には、道を行き止まりのように見せ、見通しを避ける役割を持っています。
ほかにも、開けた通りを見せ敵の戦意を欠くといった役割もあります。
東勝楽丁から表町下丁の桝形を、角館を治めていた新政府軍の敵である、旧幕府軍の目線で体感していきます。
我らが旧幕府軍、角館の自然の要害を乗り越え、やっとの思いで城下町まで進軍してきました。
ついに行き止まりが見えてきました。
敵の本陣に到着でしょうか。
様子がおかしいです。行き止まりのはずが曲がり角が見えてきました。
見通しも悪く、敵が潜んでいるかもしれません。
曲がり角の先にはさらに大通りがあります。
敵の本陣までまだまだ先が長そうで、心が折れそうですね。
桝形を体験することはできたでしょうか。
角館にはこのような桝形が至るところで見られます。
こちらの写真は塀のすぐ下を流れる水路です。
塀はそこまで高くなく、身長の高い人であれば塀の向こうを見ることができるでしょう。
しかし、当時は水路の底面の高さに通りがあり、現在より高さのある塀でした。
高い堀に囲まれると想像するだけで圧倒されます。
ぜひご自身で歴史を体感し、町を散策してみてはいかがでしょうか。
緑あふれる武家町 仙北市角館先人の知恵が生かされた火除けの策とは
城下町を現在の地に移転した理由の一つに火災がありました。
角館には古くからの、火除けの策が数多く残っています。
こちらは町にある案内板と火除けの跡地です。
角館は北側に位置する内町(武家町)と南側に位置する外町(町人地)に区分されていました。
この2つの町を分断するように東西に広い敷地が設けられていました。
これは外町で発生した火事を内町に持ち込まない、延焼防止という役割があります。
現在は建物があり、当時の面影はあまり見られませんが、当時は道の幅が25メートルありました。
角館は多くの木々が生い茂っています。
これにも延焼防止という火除けの策があります。
こちらの太くまっすぐ伸びるモミの木は、たくましく生きる武士の様を表しています。
近くで見るとその太さに驚くこと間違いありません。
紅葉シーズンには、楓の葉が赤く色づきます。
秋には一面の紅葉に包まれた武家屋敷を見ることができます。
本格的なシーズンが待ち遠しいですね。
所在地 : 秋田県仙北市角館町東勝楽丁
歴史を紐解くことで、角館の見方が変わるのではないでしょうか。
角館は四季折々で見せる姿が異なります。枝垂れ桜が花開く春の季節は大多数のゲストが訪れます。
落ち着いた旅をしたい方は、新緑を終えた9月~10月に訪れてみてはいかがでしょうか。