ガイドさんとまわる!世界遺産五箇山「相倉・菅沼合掌造り集落」
富山県の南砺市(なんとし)にある五箇山(ごかやま)。1992年に岐阜県にある白川郷とともに世界遺産に登録されました。今回の旅行では、ガイドさんと集落散策を散策します。
五箇山に住んでいる方にたくさんの貴重なお話をいただきました!さっそく出発です。
記念碑で辿る五箇山の歩み 世界遺産に登録されるまでと皇太子様歌碑
現地ガイドさんと一緒に相倉集落を歩きながら、世界遺産登録までの経緯を辿ってみましょう!
現在、五箇山には相倉集落と菅沼集落という2つの集落が残っています。
高度経済成長期ごろには、五箇山には相倉・菅沼以外にも合掌造りの集落があったそうです。
この小径はかつての中心道「旧五箇山街道」です。今の中心道に並行して伸びています。ここから少しずつ瓦が入ってきてはいたものの、奥深さゆえに相倉と菅沼は整備が遅れていました。
そのため、両集落には歴史と文化を伝える茅葺き屋根(かやぶきやね)の合掌集落が良好に残りました。
するとそこに国が注目し、1970年(昭和45年)に両集落を国指定史跡に登録します。
菅沼集落にも記念碑があります。
これによって両集落には景観を保持する義務が与えられ、観光地化されることもなく、1995年に岐阜県白川郷とともに、世界文化遺産に登録されたのです。
登録前には、なんと皇太子様も五箇山に訪れたのだとか。地主神社の奥に歌碑が建てられています。
歌から当時の情景を思い浮かべてみると、暖かい気持ちになりました。史跡登録があって、このような歌に詠まれる素敵な日本の原風景が残ったのです。
所在地 :相倉合掌造り保存財団 〒939-1915 富山県南砺市相倉611
ホームページ :www.g-ainokura.com
さらに五箇山の情報を知りたい方はこちら→【世界遺産五箇山 200年の時を今に伝える相倉・菅沼合掌造りの魅力】
進化する合掌造り 相倉集落にだけ残る原始から最新までの流れを辿る
合掌造りといっても、その形は実は様々。
ガイドさんはその理由を、発展の歴史だと説明してくれました。
集落中ほどにある、地主神社とは逆の道に入ると、原始合掌造りが見えます。
茅葺きで、ほかの合掌造りでいう屋根の部分にあたります。時が流れ養蚕・和紙・塩硝といった産業が発展していく中で、冬には雪が多い五箇山では、1つの建物で住・産業の両方を行わなくてはならず、家の規模を大きくする必要が出てきました。
そこで大工を招いて、現在の合掌造り家屋でいう一階部分を作らせたそうです。
現在でも最も多く残っている形です。
以降、塩硝は地下、和紙漉きは一階、養蚕は屋根裏で行われるようになりました。※リンクで飛ばす
写真の三五郎さんは1932年に建てられた合掌造り家屋で、全体で最も新しいそうです。
さらに合掌造りは進化し、明治以降は現代の住宅に近い「ハイカラ建て」と呼ばれる、茅葺き屋根で2階建ての家屋ができます。
写真の穴次郎さんは、1974年にハイカラ建てに改造されたそうです。
そして、これらは集落中央の史跡指定記念碑とともに、一度ですべて見ることができます!
こうした歴史を知ると、集落を見るのももっと楽しくなりますね。
五箇山現地ガイドさんの申し込み方法
五箇山散策のガイドさんに案内していただくには予約が必要です。
今回は事前に相倉合掌造り集落保存財団のホームページから、申し込みました。
集合場所は、相倉合掌造り集落の入口手前にある、保存財団の事務所前です!
いつもは団体でのご案内をされているそうで、今回は特別にタイミングが合ったので、ご案内いただくことになりました。見学のコースは個人の希望に合わせてまわっていただくことができますよ。
ぜひご利用ください。
五箇山総合案内所でも観光ガイドの手配ができるようです。申込期限は3ヶ月前から1週間前で、 ガイド申込用紙【観光ガイド「五箇山案内人」予約申込書】をHPからダウンロードして記入後、FAXや郵送をして返信が来て予約ができたか完了です!
そのまま待ち合わせ場所に行って案内いただくことができます!
ガイドはこちら!
五箇山の現地ガイドさんとまわる歴史旅はいかがでしたか。ネットには載っていない情報や、事前に調べきれない情報をたくさん教えていただくことができました。
個人に合わせてまわるルートを合わせてくださるのはとてもうれしいですね。五箇山を訪れた際には、ぜひ現地ガイドさんに案内してもらうことをおすすめします!