もう一つの東近江市 水郷と呼ばれた伊庭のまちなみを歩いていく
滋賀県の東近江市といえば五個荘金堂町が有名です。しかし今回はもう一つの東近江市を紹介させていただきます。
水と共存してきた伊庭のまちなみ。今回は水郷と呼ばれている伊庭を紹介していきます。
この記事の目次
能登川博物館を訪れて見て学ぶ 東近江市の当時の暮らしぶりとは
能登川駅から徒歩約15分ほど歩くと能登川博物館が見えてきます。
町に実際に行く前に能登川博物館に行ってみましょう。
こちらは木でできた水車です。見ているだけで水郷集落であることを感じさせられます。
博物館の前には水が流れており、草むら広がっています。
また入り口には木でできた船が置かれており、実際に使われていた船の大きさがわかります。
博物館の中は昔の暮らしが再現された展示物があります。
実は図書館も併設されているので休憩などにも使ってみてください。
これらの展示物は明治から大正時代の東近江市内の暮らしが再現されているそうです。
せいろや七輪、水桶、水釜など当時の暮らしを想像して楽しんでいただけるのではないでしょうか。
所在地 : 滋賀県東近江市山路町2225
公式URL: 能登川博物館
水郷と呼ばれた東近江市伊庭町 水路と田船から見る当時の暮らし方とは
それでは実際に伊庭町に訪れて歴史を見ていきましょう。
能登川博物館から徒歩約18分ほどで伊庭につきます。
伊庭町はかつて繖山(きぬがさやま)から流れてくる伊庭川が集落の中心を流れ、そこから張り巡らされた水路を通じて人びとが行きかい、
内湖周辺地域の拠点集落として賑わったとされています。
当時の水路は現在みられる水路幅よりもずっと広かったそうです。
伊庭内湖で行業が行われていた時代には、水路は水田へ水を供給する役割を担っていました。
また「田船」と呼ばれる船を浮かべて獲物や肥料などを運んでいました。
5月には伊庭祭りの中で「坂下し」というものがおこなわれるそうです。
「坂下しは」繖山から神様を神輿にのせ、里を経て湖に迎える神事です。
これは日本遺産にも選ばれています。
実際に歩いてみると水路と当時の生活が結びついていたことを感じることができます。
現在の風景に隠された当時の生活 昔から現在の東近江市伊庭町の暮らし方の変化
伊庭町を歩いていると当時の生活の様子がわかります。
上の写真のように各家には「カワト」と呼ばれる川へと通じる階段があります。
食事や洗濯、風呂の水くみなどを行ったり、船の係留する船着き場として用いられました。
伊庭の生活は内湖や水路と密接に結びついており、水とともに生きていたことがわかります。
現在は、車社会の発展のために、水路は狭くなり道路側がコンクリート岸になっていますが、当時の趣きが残っています。
水路には鯉が泳いでいるなど、そのきれいさは現在も保たれています。
博物館の人によれば、水路での暮らしは完全になくなったわけではなく、少しですがまだ続いているそうです。
季節によっては朝顔などの花もみれます。
所在地 : 滋賀県東近江市伊庭町
水郷と呼ばれた伊庭の街並みはいかがでしたでしょうか。日本一の湖である琵琶湖が隣接しているため見れるこのような光景は、見ているだけで心が落ち着きます。
実際に歩くことによって町とは理解できるものではないでしょうか。是非一度足を伸ばしてみてください。