伊達のまちで生きた人の人生を知る 仙台ゆかりの偉人を訪ねる旅
江戸時代には仙台藩が置かれていた宮城県仙台市の偉人と言えば伊達政宗が浮かぶ人が多いのではないでしょうか。
しかし、仙台市に生きた偉人は伊達政宗をはじめとした伊達氏だけではありません。
そして、仙台といえばずんだ餅。
仙台に生きた偉人たちを訪ね、彼らが食べてきたであろうずんだを食べる旅に出てみましょう!
この記事の目次
土井晩翠が晩年を過ごした邸宅 仙台で当時のまま時をとめる晩翠草堂
まず紹介するのは仙台出身の詩人、土井晩翠にまつわるスポットです。
彼は明治から昭和を生きた詩人で、全国の多くの学校の校歌の歌詞を手掛け、「荒城の月」の作詞者としても知られています。
仙台駅から観光バス「るーぷる」に乗ってやく5分、3番の「晩翠草堂(ばんすいそうどう)」のバス停で降りたところにあるのが、彼が晩年を過ごした旧宅、晩翠草堂です。
大きな通り沿いにひっそりと存在するそこは、中に入るとまるでそこだけ時が当時のまま止まっているようでした。
庭は当時のまま残っているそうで、「塀の外の景色は時代とともに変わっていったが、塀の中は彼がこの家で過ごしたときのままだ」と、管理人の方もおっしゃっていました。
庭に面するガラス戸のガラスも昭和初期のものがそのまま残っているそうで、現在では貴重なものだそうです。
部屋の中にはベッドが1つ置かれていました。
このベッドは最後に彼が息をひきとったときに使っていたものだそうで、足元に展示してある彼の庭下駄とともに、晩年をここで過ごしたことを感じれるものでした。
敷地内は本当に当時のまま時を止めたように感じられました。ベットも当時のまま置かれていて、晩翠が生きた時代にタイムスリップしたかのような気分になりました。
所在地 : 宮城県仙台市青葉区大町1-2-2
「寛政の三奇人」仙台藩士・林子平を訪ねて憩いの場・勾当台公園へ
次に訪れる場所は勾当台(こうとうだい)公園です。
先程紹介したバス「るーぷる」では15番のバス停「定禅寺通市役所前」から、または地下鉄南北線を使って「勾当台公園」駅で降りれば、仙台駅から約5分で行くことができます。
平日には休憩を取るビジネスマンや、休日には家族連れなど、市民の憩いの場としてにぎわっている勾当台公園ですが、
その一角に林子平像が佇んでいます。
林子平は江戸時代後期を生きた経世論者であり、仙台藩士でもありました。
高山彦九郎・蒲生君平と共に、「寛政の三奇人」とも呼ばれているうちの一人です。
地下鉄の駅を出てすぐのところに彼の像は立っていました。
足元には彼が書いた「海国兵談」の説明とともに彼を説明する銅板があります。
その横には地図を描いた銅板もありましたが、取材に訪れた日が日差しが強かったせいか、よく見なければ書いてあるものが読みづらくなってしまっていました。
像は公園のメインの広場から少し外れたところにあるので見つけづらいかもしれませんが、地下鉄の駅からまっすぐ歩いたところにありました。
緑の中にたたずんでいる、子平の像は今でも彼の生きた仙台のまちを見守っているようでした。
所在地 : 宮城県仙台市青葉区本町3丁目9
多くの人が親しんだ味 仙台の味「ずんだ」を食べに村上屋餅店さんへ
その土地で暮らすには、食文化も切っても切り離せません。
そのため、仙台に根づく食文化の一つである「ずんだ」を紹介したいと思います。
「ずんだ餅」は、すりつぶした枝豆を餡に用いた餅のことで、宮城県を中心に古くから親しまれてきた料理です。
「ずんだ」の名前の由来は諸説ありますが、そのどれもが共通して伊達政宗が名付けたとされています。
仙台で多くの人に親しまれてきたずんだ餅は、仙台に生きた偉人も一度は口にしたでしょう。
中でも村上屋餅店さんはもともとは伊達家御用達の御菓子司だったようで、餅専門の店を創業したのは1877年と、古い伝統があるお店です。
村上屋餅店さんへは仙台駅から歩いて15分ほどで行くことができます。
ここではあえて「づんだ」の表記を使用しているようで、お店の前の暖簾にも「づんだ餅」と大きく書かれていました。
「づんだ餅」を実際に私もいただきましたが、餅がやわらかく、餡も枝豆の味や粒が残っていて本当においしかったです。
みなさんも、ぜひ村上屋餅店さんで古くから仙台で親しまれてきた味を味わってみませんか。
所在地 :宮城県仙台市青葉区北目町2-38
今回の旅はいかがでしたでしょうか。
今回紹介した土井晩翠や林子平のほかにも仙台にゆかりのある偉人はまだまだいます。
あなたも彼らの軌跡やおいしい仙台の食をめぐりながら、彼らが生きた仙台というまちを知ってみてはいかがですか。