江戸時代に流行した居蔵造りの美しい町並みが残る 八女福島を歩く
江戸から昭和初期の伝統様式の町家が連なる福岡県・八女福島の町並みを歩いていると、ふと当時の町人たちの暮らしが目に浮かんできます。
趣向を凝らした八女福島の町家一軒一軒の違いを見つけたり、温かな地元の方と触れ合ったりしてみませんか?
この記事の目次
江戸時代の美しい町家が連なる八女福島の成り立ちと今も残る城跡
福岡空港から電車で約1時間。JR羽犬塚駅からバスで約15分。
江戸時代から残る伝統様式の美しい町家が連なる八女福島に到着します。
一歩その美しい町並みに入ると、まるで江戸時代の商人たちの暮らしに自分が入り込んだかのような気持ちになりました。
八女福島は1587年筑紫広門が築いた福島城を1600年の関ケ原の戦いで石田三成を捕縛した功を上げ、筑後一円32万5千石に抜擢された田中吉政が大修築し、城下町を整備した後、大きく栄えました。
福島城はわずか20年後に田中氏の改易により廃城となりましたが、その間に都市の主要な骨格ができ、今でも外堀の名残を残した水路などがあります。
田中吉政は都市作りがとても得意だったそうで、そのおかげで今の美しい八女福島の町並みがあるのです。
城下町としての期間は短かったですが、その後も八女地方の交通の要の地、経済の中心地として、久留米藩内最大級の商家町として栄えました。
2002年5月に重要伝統的建造物群保存地区に指定された八女福島の町並み。
往時の面影を残しています。
八女福島の町並みの特徴と町人の願いが込められた趣向を凝らした細工
福島の町家ははじめは草葺きの屋根でしたが、江戸時代後期になると、集積した経済力を背景として、防火の備えから「居蔵」と呼ばれる瓦屋根の土蔵造りの町家が徐々に増えていきました。
これは1838年に福島で最初に建築された居蔵の町家建築であり、八女市の有形文化財に指定されています。
妻入り居蔵が立ち並ぶ様子が福島の町並みの特徴ですが、それぞれの町家ごとで使っている瓦の形や鬼瓦のデザインなどが異なっており、その違いを探しながら町並みを散策することもまた違った楽しさがあります。
特に鬼瓦は一軒一軒特徴があり、その家の屋号を表しています。
また、「持ち送り」と呼ばれる部分には水流文様が描かれており、火事の際にこれ以上火が広がらないようにという願いが込められているそうです。
実際にこれは先ほどの写真の反対側ですが、火事で燃えてしまい、模様が見えなくなってしまっています。
水流文様に込められた願いどおり、ここで火は止まったということです。
江戸時代以来、しばしば大火に襲われた福島の町並みが現在も残っているのはそんな当時の町人たちの願いのおかげかもしれません。
明治~昭和にかけて少しずつ姿を変えていった八女福島の町並みと保存
福島には江戸時代から残っている町家も多いですが、その中でも少しずつ建物の意匠などが変化してきているそうです。
明治中期・昭和初期の二度の道路拡幅に伴う町家の軒切りによって、町家正面の一階意匠が大きく変化している町家もあります。
町家によっては瓦一枚分しか軒が残っていないところもあれば、道路の幅の関係で軒切りされず、今でも立派な軒が残っている町家ももちろんあります。
また、建物自体は江戸時代に建てられたものでも、大正時代に正面を看板建築や洋風建築という様式に変えている町家もありました。
ガラッと雰囲気が変わり、モダンな造りがとてもお洒落です。
2002年に旧往還道路沿いを中心に19.8ヘクタールが国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定され、固有の景観を守るために建物の修復や新築等の立て方のルールも作られたそうです。
町の有志で町家を購入し、昔ながらのやり方で自分たちで修復をされているところもあります。
この美しい福島の町並みを残すための住民の方々の努力や思いが伝わる旅でした。
所在地 : 福岡県八女市本町
今もなお、江戸時代の美しい町家が連なり、しっかりと残っている八女福島。
歴史的建造物群保存地区に選定されており、今後も残していくべき町並みです。
町人文化が色濃く残る福島の町並みを散策してみませんか?