鶴岡の町なかに佇む文化財 豪商として名を残した風間家の歴史を辿る
東京駅から新幹線と特急いなほを乗り継ぐこと約4時間30分。
着いた先はかつて庄内藩14万石の城下町として栄えた、山形県の鶴岡(つるおか)。
今回は鶴岡で第一の豪商として知られた風間家の歴史を辿ります。
この記事の目次
国指定重要文化財 鶴岡第一といわれた豪商 旧風間家住宅「丙申堂」
JR鶴岡駅から湯野浜温泉方面バスに乗ること約5分。銀座通りで下車し3分ほど歩いていくと、どこか趣のある塀が見えてきました。
旧風間家住宅 丙申堂(へいしんどう)です。
丙申堂は、幕末頃には鶴岡第一の豪商であった風間家の住居兼店舗として建築されたものです。
建物が建てられた1896年(明治29年)は丙申(ひのえさる)の年であったことに因み、「丙申堂」と名付けられました。
風間家の祖先はもともと、越後の沢海藩(そうみはん)の武士でしたが、呉服商人となり村上、酒田を経て鶴岡に来たと伝えられています。
その後は富を得て徐々に大きくなり、鶴岡城下で藩の御用商人として呉服、太物屋を営みました。
富豪となった風間家は明治期には金貸し屋となり、大地主に成長しました。
以前は少し南にある銀座通りで商売をしていましたが、金貸し屋だとあまりメイン通りでない方が良いということで探した地がこの辺りだったそうです。
丙申堂は武家屋敷跡に建てられたもので、当時は4000坪もの敷地を風間家がまとめたといいます。それだけ風間家がお金を持っていたということがわかりますよね。
入り口でもある「薬医門(やくいもん)」だけが、屋敷跡当時のまま残されています。門の瓦や木材が朽ちた様子が時代を感じさせます。
薬医門をくぐると左手に前蔵があり、その先には店へと続く入り口があります。
落ち着いているけれども、堂々とした佇まいで出迎えてくれました。
鶴岡の城下町に残る「丙申堂」 当時の職人の技が息づく趣ある建築
続いて、丙申堂の建築について巡ります。
丙申堂が建てられた2年前の1894年、酒田で大地震があったことから、丙申堂には色々なところに耐震の工夫がなされています。
一つは、広大な板の間に架かる三角に組まれた梁です。
これは「トラス」という工法で、上が日本古来、下が西洋のトラス工法です。
和洋両方を取り入れた建築はなかなか無く、西洋から伝わってきたばかりの頃に取り入れた大工さんの技術力の高さに驚かされます。
この階段の上は大工部屋になっていました。
ちなみにこちらの部屋は今でいう社員食堂のようなものだそうです。きっと食事のときは多くの人で賑わっていたのでしょうね。
二つめは、千本格子の上下にある2本の長押(なげし)です。
昔のお金持ちは家を立派にするため天井を高くしたそうですが、丙申堂は天井を高くするだけでなく長押を2本にすることで耐震の工夫をしています。
天井が高い家でも2本にしている家はなかなかなく、それほど頑丈だといいます。
三つめは、建物の土台の役割を果たす石です。
一般的な日本建築は石の上に柱をのせて土台にしますが、丙申堂は柱の部分だけでなく全てに石が置かれています。
当時は今のように機械で石を切れるわけでないため、全て人の手で石を切りこの地まで運ばれてきました。
恐らく大変お金がかかることで、お金持ちであった風間家だからこそできた耐震の工夫なのでしょうね。
また、縁の下には耐震以外にも工夫がなされています。
高温多湿な気候であることから、縁の下は丁寧な造りになっていて、風が下に抜けるようになっています。
ただ棒を1本置くのではなく、1本1本全てに化粧が施されています。細かな部分に手を抜かず、生活を重視した造りになっていることがうかがえます。
縁側から見る庭園は美しく、太陽の光に照らされた緑と外から入ってくる心地良い風に心が安らぎます。
今の建築家から言えば、丙申堂はお金持ちのお宅のわりに質素な建築だといいます。
建物の大体は杉でできており高級なものはほとんど使っていませんが、かけるところにお金をかけている良い建物だそうです。
家に徳が入るようになっても、自分の生活は質素を旨とした当主の人柄がわかる建築ですね。
見所が満載! 鶴岡らしいゆったりとした空間で丙申堂の歴史を味わう
丙申堂の中でも見どころなのが、約4万個もの石が置かれた置屋根です。
ぎっしりと敷き詰められた石の屋根は珍しいですよね。
今回訪れた時は偶然にも、約20年毎の屋根の葺き替えの時期であったため、葺き替えの様子を見ることができました。
屋根は上から石、杉皮、防水シート(かつてはありませんでした)、野地板の順に重ねられています。
杉皮は全て手作業で皮を剥ぎます。なんと杉の木3000~5000本分もの量があるそうで、何年もかけてその量を貯めておくのだといいます。
杉皮葺石置屋根はかつて庄内地方に多くみられた特徴ある屋根で、丙申堂は現代に残る大変貴重なものとなっています。
石置屋根を見た店の2階の窓左手には、どっしりとした立派な瓦が使われていました。
これは庄内藩の御城の瓦をいただいたものだそうで、瓦には有名な10大家紋の中の一つ、片喰紋(かたばみもん)が使われています。
丙申堂には当時の様子を伝える貴重なものが沢山ありますが、奥の小蔵には、金貸し屋らしい金庫蔵が残されていました。
重厚な白い扉の奥には、幾つもの金庫がありました。
ダイヤルの目盛は今のように数字ではなく、「イロハニホヘト…」と昔の表式になっています。
他にも、土間ではなく長い石畳となっている「とおり」や、映画「蝉しぐれ」の撮影で使われた小座敷など見どころは沢山あります。
丙申堂では地元の方がガイドをしてくださるので、是非沢山お話しを伺ってみてはいかがでしょう。(予約不要・無料)
鶴岡らしい「~だのぉ」という優しい響きの方言と、落ち着いた空間に包まれれば、つい時の流れを忘れてきっと穏やかな気持ちにさせてくれるはずですよ。
所在地:997-0035 山形県鶴岡市馬場町1−17
公式HP:丙申堂
鶴岡の国登録有形文化財 無量光苑釈迦堂庭園で四季折々の景色を堪能
丙申堂から約2分歩いたところに、風間家旧別邸 無量光苑釈迦堂(むりょうこうえん しゃかどう)があります。
1910年(明治43年)に風間家の別邸として建てられ、丙申堂に来られたお客様の接待の場として使われました。
釈迦堂の座敷は、天井が高く庭園を見渡せるため開放感があり、外からの風も気持ちよく落ち着いた空間です。
風間家は代々浄土真宗に信仰が厚く、建築当初から「無量光」の額を掲げてあったことから、8代目当主が建物と庭園を含めて「無量光苑」と名付けたといいます。
さらに来られたお客様を対象に講話会を開いており、その講師を務めていた方から頂いた御石仏釈迦像からも名前をとって、9代目当主が「無量光苑 釈迦堂」と名付けたそうです。
石仏横の狆くぐり(ちんくぐり)には、繊細で立派な鶴と松が彫られた彫刻がはめ込まれていました。
釈迦堂の釘隠しは丙申堂とは異なった3種類が使われています。
水草や折り鶴などをあしらっており、大工さんのこだわりとおしゃれ心を感じます。
他にも、美しい螺鈿で春蘭を表現したお嫁入り道具なども置かれていました。
そして何と言っても見ていただきたいのが釈迦堂の庭園です。
約800坪の庭園には、松や椿、花梨などなんと80種ほどの木花が植えられています。
桜、萩、紅葉など四季折々の風情を味わうことができます。
特に5月頃のツツジは、池を取り囲むように見事な花が咲き誇るといいます。
様々な表情を見せてくれる釈迦堂で、心を休めてみてはいかがでしょうか。
所在地:鶴岡市泉町6-20
公式HP:釋迦堂
風間家の当時の暮らしが思い浮かぶ旅はいかがでしたか?
風間家は古くより広く鶴岡の産業を興してきました。
仏教・教育に厚く、今でも教育の支援を行っているといいます。
今も受け継がれる風間家の歴史と精神を感じる旅に、あなたも出かけてみてはいかがでしょうか。