城下町・城跡等の史跡を多く残す町高梁市で江戸時代の様子を感じる旅
江戸時代の面影を今なお色濃く残す場所が多く存在する岡山県・高梁市。
備中松山城城下町にある武家屋敷や成羽城跡をめぐることで当時の暮らしや空気を感じることができます。
江戸時代へタイムスリップしてみませんか。
この記事の目次
江戸時代の空気を楽しむ 松山城城下町石火矢町ふるさと村へ
備中高梁駅からまっすぐ15分ほど歩いた所にある石火矢町ふるさと村の武家屋敷跡を訪れました。
まわりには美しい自然があふれています。
250mにわたって武家屋敷が立ち並んでいます。
白壁や長屋門、土塀が続くこの通りに足を踏み入れると、江戸時代へタイムスリップしたかのような気持ちになりました。
石火矢町ふるさと村は、ここ武家屋敷通りとして面影を残す石火矢町と、紺屋川(こうやがわ)に沿って並木が続き高梁キリスト教会堂や藩校有終館などがあり、美しい景観を保つ紺屋町美観地区との2つの地域で構成されており、岡山県のふるさと村指定を受けています。
この石火矢町一帯では旧折井家・旧埴原家の2軒の武家屋敷が公開されています。
とても風情のある景色が広がっており、わくわくしながら散策しました。
高梁市の、備中松山城の城下町であった時代を楽しんでみてはいかがでしょうか。
高梁市備中松山城下町の武士の暮らし 重要文化財武家屋敷跡の見学へ
さて、石火矢町ふるさと村内で公開されている2軒の武家屋敷を見学します。
入館料は400円で、旧折井家・旧埴原家の共通券となっています。
どちらの屋敷でも券を買うことができ、どちらからまわっても大丈夫です。
私はまず旧折井家を訪ねました。
この建物は今から約180年前に建てられており、足軽頭をしていた200石前後の武士が暮らしていました。
入ってすぐ右側に幕末頃の松山城下屋敷図があり、役職や規模をみながら城下町の配置を確認することができます。
力関係、土地の広さ、役職をみて全体を知ることで城下町というものに対して理解が深まります。
1分も歩かない場所に次の武家屋敷、旧埴原家はありました。
埴原家は江戸時代中期から後期にかけて120~150石の武士で近習役(きんじゅうやく)や番頭役(ばんがしらやく)などを勤めた武士でした。
折井家と比べ武士としての規模は小さいながらも、家は埴原家のほうが豪勢に感じますが、それは藩主の生母の実家であったためだとうかがいました。
建物は江戸時代中期のもので、寺院建築や数寄屋風の要素を取り入れためずらしい造りで、市の指定重要文化財です。
見学することで、武士は想像していたより質素で、でもとても穏やかな暮らしをしていたのかもしれないと感じました。
ぜひ、江戸の暮らしを肌で感じてみてください。
所在地 : 旧折井家 岡山県高梁市石火矢町23-2
旧埴原家 岡山県高梁市石火矢町27
山崎氏の力の偉大さ 大きな石垣の残る高梁市の重要文化財成羽陣屋跡
高梁市には石火矢町ふるさと村の他にも江戸時代の町並みを感じることができる場所があります。
高梁市指定重要文化財である、成羽陣屋跡(なりわじんやあと)です。
備中高梁駅から車で15分ほどの場所にあります。
成羽陣屋跡は山崎氏五千五区の御殿の史跡で、1658年に成羽領主山崎豊治によって築営され、以来210年間明治維新まで山崎氏の本拠となった場所です。
山崎氏御殿跡や成羽城とも呼ばれています。
写真に写っているのは御作事門です。
ここをあがっていくと成羽美術館へ行くことができます。
御作事門前には桃太郎伝説の起源となったといわれる吉備津彦の命(きびつひこのみこと)と温羅(うんら)という鬼の像がありました。
今でもとても立派な石垣が残っており、かつての山崎氏の力の大きさをうかがい知れる場所となっていました。
今の高梁市の土地をかつて治めていた、備中松山藩・成羽藩。
高梁市にはどちらの藩の史跡も重要文化財として大切に残されており、より当時の暮らしを体感できます。
江戸時代を感じられる旅へ出かけてみてください。