修験の聖地出羽三山 古くより中枢を担う羽黒山はじまりの歴史に迫る
山形県鶴岡市へは、東京駅から新幹線を乗り継ぎ約4時間。
鶴岡にそびえる出羽三山(でわさんざん)は、古くより多くの参拝者が訪れます。
今回は出羽三山はじまりの歴史と、羽黒山の見どころを旅します。
この記事の目次
羽黒山1400年の歴史 今に伝わる蜂子皇子と3本足の烏の伝説
JR鶴岡駅からバスに揺られること約40分。
着いた先は、古くからの信仰が根付き、今もなお多くの参拝者が訪れる羽黒山です。
羽黒山の歴史は1400年以上も前に遡るといいます。
開山は、第32代崇峻天皇の皇子である蜂子(はちこ)皇子だと言われています。
そして出羽三山の開山には、ある伝説が言い伝えられています。
昔、蜂子皇子の父である崇峻天皇が蘇我馬子によって暗殺されたころ、「このまま宮中に居ては皇子である蜂子皇子の身も危ない」という聖徳太子の勧めにより、蜂子皇子はずっと北上してきて、佐渡を経て現在の鶴岡の由良の浦に舟でたどり着いたといいます。
そこに3本足の烏が飛んできて、蜂子皇子を導いてたどり着いた山が、この羽黒山だといわれています。
由良に着いてからは、各地を転々とし、最後に羽黒山にたどり着きました。
今現在、いろいろなところに蜂子皇子が残した跡やお社が未だに残っているといいます。
そういった、蜂子皇子が着いたとされる地を巡ってみるのも面白いかもしれません。
また、このような3本足の烏の伝説は天皇家の子孫に現れるものだというので、とても興味深いものです。
初代神武天皇も、同じように3本足の烏に導かれたという伝説が残っているそうです。
この3本足の烏は、羽黒山頂上にある世界平和塔にもいました。
皇子が自ら山に入り、自然のエネルギーや、自然の中にある薬草や毒草、そういった山のものをいただき見極めながら山に身を置くことで、色々な力を身につけたのではないかと考えられているそうです。
伝説であるためはっきりしたことは判らず謎に包まれていますが、出羽三山のすべての始まりが蜂子皇子と3本足の烏の伝説にあるのですね。
所在地 : 997-0211 山形県鶴岡市羽黒町手向
山頂に続く2446段の石段 時代を超えて受け継がれる羽黒山参道
羽黒山の入り口である隋神門をくぐると、山頂まで続く2446段の石段がはじまります。
この石段は、江戸時代に羽黒山50代別当の天宥が、13年もの歳月をかけて築いたといわれています。
昔、真言宗であったお寺を、徳川幕府の側近であった天海の弟子になることで天台宗に改宗し、徳川幕府の力を借りてつくった石段だそうです。
その当時はもちろん石を切ったり運んだりする機械はありませんから、すべて人の手によってつくられました。
2446段、距離にして約2㎞になる石段をつくりあげることは、大変な労力と時間がかかったことが想像できます。
そのようにして当時の人々がつくりあげたものを、未だに私たちがこうして使わせてもらえているというのはとても感慨深いですよね。
足元によく気を付けながら歩いていると、石段にひょうたんのようなものが彫り込まれていました。
これは、当時の人たちが彫ったものだそうです。
ひょうたんの他にも、盃や蓮の花などの絵が彫られていました。
これらの彫絵は全部で33個あり、すべて見つけると願い事が叶うといわれています。
「2446段も石段があるのに彫絵は33個だったら、すべて見つけられるのではないか」と思うかもしれませんが、月日が経って彫絵が消えかかっていたり、途中の坂が急で石段を上るのに必死になってしまったりと、なかなか見つけることができませんでした。
これらの彫絵がどのような意図で彫られたのかはわかりませんが、彫られている絵柄が盃などであることも興味深いですね。
羽黒山の石段を上る際は、その歴史の重さや、当時の人々に思いを馳せて歩いてみてはいかがでしょうか。
所在地 : 997-0211 山形県鶴岡市羽黒町手向向山
国指定重要文化財「羽黒山三神合祭殿」 人々を圧倒する豪壮な佇まい
羽黒山の2446段にも及ぶ石段を上りきると、山頂には羽黒山・月山・湯殿山の三神を合祀している羽黒山三神合祭殿(さんじんごうさいでん)があります。
昔から月山・湯殿山は雪深い冬期には登拝することができなかったことから、羽黒山の出羽神社に月山と湯殿山の神を合祀したといわれています。
まず茅葺屋根を目の当たりにすると、その迫力に圧倒されてしまいます。
三神合祭殿は、神仏習合時代の名残を留める特異な造りで、貴重な茅葺木造建築物です。
茅葺木造建築物としては日本で最大の大きさを誇っており、茅葺屋根はなんと高さ28m、厚さ約2.1mに及びます。
まさに三神を祀るにふさわしい、豪壮な建物です。ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン2つ星に輝いており、是非一度は訪れたい場所です。
本殿前の池には、一面に蓮の葉が広がっていました。
「御手洗池(みたらしいけ)」といい、平安時代から銅鏡が奉納されていることから「鏡池(かがみいけ)」とも呼ばれています。
というのも、出羽三山をはじめ霊山の山中にある池や沼は、神の御魂を宿す霊地として古代より信仰の対象とされてきました。
そしてこの羽黒山の御手洗池は、羽黒神が姿を顕す霊池として、古くは羽黒山信仰の中心だったそうです。
また、当時は月山や湯殿山は女人禁制だったそうですが、羽黒山は唯一女性の参拝が許されたことから延命や生まれかわりを願い、銅鏡の奉納が盛んに行われていたといいます。
御手洗池からは平安時代から江戸時代の銅鏡が600面も出土しており、それほど深い信仰があったことがわかります。
うち190面は山頂の出羽三山歴史博物館に展示されており、それら銅鏡は国指定重要文化財に指定されています。
所在地 : 997-0211 山形県鶴岡市羽黒町手向7番地 内
公式HP : 出羽神社(三神合祭殿)
出羽三山に伝わる歴史を辿ってきましたが、いかがでしたか?
羽黒山には長い年月をかけて様々な人の想い、様々な形の信仰が集められてきたのですね。
かつての人々がどのような想いを持って参拝しにきたのか、想像しながら参道を歩いてみてはいかがですか。