HISTRIP(ヒストリップ)|歴史的建造物に泊まろう

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歴史旅で今こそもう一度学びたい!~戦争と平和~長崎に祈りを捧げて

  • 数多くの歴史的名所がある町、長崎県・長崎市。

     

    歴史旅において、日本が過去に経験した戦争の歴史を知ることは欠かせません。

     

    いつ戦争が起ってもおかしくないと言える世界情勢の中で、今、平和の尊さをもう一度胸に刻みませんか。

     

     

     

    二度と繰り返すことのないようにと祈りを捧げる 長崎平和公園へ

     

     

    <写真01_公園入口>

     

    長崎市内を走る路面電車に乗り、松山町駅下車、徒歩約5分の「平和公園」を訪れました。

     

    <写真02_平和の泉>

     

    階段を上がると、まず正面に平和の泉が見えてきます。

     

    長崎に原爆が投下された1945年8月9日、体内まで焼きただれ水を求めて亡くなっていかれた被爆者の霊に、絶え間ない水を捧げ、その冥福を祈るためにこの泉がつくられました。

     

    <写真03_平和の泉石碑>

     

    平和の泉には、ある少女の手記に記されていたことが石碑として刻まれています。

     

    悲惨な場景が目に浮かび、心が締め付けられる思いでした。

     

    <写真04_刑務所跡>

     

    その先には、爆心地に最も近い公共の建物であった長崎刑務所浦上支所跡が残っています。

     

    鉄筋コンクリート塀はほとんど根元から倒壊し、粉砕全焼した跡は、地面にほんのわずかにコンクリートを残すのみとなっており、原爆の凄まじさを物語っています。

     

    <写真05_平和祈念像>

     

    訪れた日の爽やかな快晴の青空の下で、平和公園の北端にある平和祈念像の前で両手を合わせました。

     

    世界恒久平和のシンボルとして、原爆投下10年後につくられた平和祈念像。

     

    上方を指した右手は、原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は、平和をすすめる姿を表しています。

     

    <写真06_折鶴の塔>

     

    平和公園の空は、遮るもの一つなく綺麗な空が広がっていて、不穏さを感じる今の世界の中で、原爆という悲劇が二度と起こらないことを願ってやみませんでした。

     

     

    平和公園 所在地 : 長崎県長崎市松山町

     

     

     

    平和の尊さを全身で体感する・長崎の原爆落下中心地で過ごす時間

     

     

    <写真07_中心地>

     

    つづいて、松山町駅より徒歩約5分の「原爆落下中心地」を訪れました。

     

    長崎に投下された原子爆弾は、1945年8月9日の午前11時2分、この場所の上空約500mで炸裂しました。

     

    今はこうして綺麗に整備されていますが、その当時は建物ひとつ残らない一面焼け野原だったことを考えると胸が痛みます。

     

    <写真08_碑>

     

    その標識として、現在は原子爆弾落下中心地碑が建てられています。

     

    原爆が投下された当時、長崎市内には約24万人の人が暮らしていました。

     

    原爆の熱線の被害だけでなく、爆風に火災が重なったことがさらに多くの被害を生み、死者は約7万4,000人、負傷者約7万5,000人にも及びました。

     

     

    <写真09_母子像>

     

    悲惨な過去があった場所に、自身の足で訪れ、その地に立つことで平和の尊さを強く実感する時間を過ごすことができました。

     

    原爆落下中心地 所在地 : 長崎市松山町171

     

     

     

    長崎原爆資料館で体感する1945年8月9日~平和への祈り~

     

    <写真10_入口>

     

    最後に、松山町駅より徒歩約5分の「長崎原爆資料館」を訪れました。

     

    <写真11_1975>

     

    <写真12_1945>

     

    資料館の入口に向かってスロープを降りていくと、次第に時間が1945年に巻き戻されていきます。

     

    訪れた日は、館内で平和案内人としてお仕事をしていらっしゃる福田さんに案内をしていただきました。

     

    1945年8月9日に長崎に起こったことを、肌で感じられる「11時2分」で止まったままの時計を始まりとして、様々なお話を伺いました。

     

    <写真13_時計>

     

    8月6日、広島への原爆投下に次いで標的となっていたのは、八幡製鉄所のある福岡県の小倉市でしたが、8月9日小倉上空の天候が良くなく、第二標的の長崎市上空に投下された核爆弾のファットマン。

     

    熱線は約4キロメートル離れたところでも、野外にいた人は火傷を負うほどで、爆風は約15キロメートル先まで破壊の威力を及ぼしました。

     

    実際に被爆した方々から、沢山の体験談を肌で感じて聞いてこられた福田さんの目には涙が溜まっていました。

     

    大切な人が、跡形もなく亡くなってしまったら、と想像するだけでも恐ろしかったです。

     

    <写真14_女子学生の弁当箱>

     

    この写真は、爆心地より約700メートルのところで被爆した堤郷子さん(当時14歳)の炭化したお弁当箱です。

     

    広島につづき世界で2番目に原爆が投下された長崎、癒えることのない心の傷跡は忘れてはならない過去です。

     

    被爆した山王神社(さんのうじんじゃ)にあったクスノキが、約2か月後に樹木の裏に新芽が吹き出したことは、深い悲しみに包まれた長崎で多くの人々に希望を与えたそうです。

     

    いつどこで新たに戦争が起ってもおかしくないような世界情勢におかれている今、戦争で尊い命を奪い合うのではなく、手を取り合い助け合うことはできないものでしょうか。

     

    <写真15_館内>

     

    長崎原爆資料館を実際に訪れることで、戦争と平和について、深く考える貴重な時間を過ごすことができました。

     

    長崎原爆資料館 所在地 : 長崎県長崎市平野町7-8

     

     

     

    実際に、平和公園から長崎原爆資料館までを一日で訪れたことで長崎の歴史について深く体感し、知ることができました。

    何気ない普段の生活で当たり前のように感じてしまっている平和の尊さを、考え直す貴重な時間を過ごしてみてはいかがでしょうか。