和歌山県伊都郡かつらぎ町 豊かな自然の中に佇む町並みに浸る旅
紀ノ川流域に位置し清冽な空気が漂う町、和歌山県伊都郡かつらぎ町。
町を歩いていると、その空気で心が清らかになるようです。
今回はそんな自然の恵みあふれるかつらぎ町をのんびり歩いて、町並みを楽しみましょう。
この記事の目次
県天然記念物 近畿最大の楠 十五社の森を訪ねて かつらぎ町笠田へ
JR橋本駅から電車に揺られて約20分。
JR笠田駅に到着です。
駅前で見つけた看板にあった「近畿最大のクスノキ」の表記。いったいどのくらい大きいのでしょうか。
町の人に尋ねながら、くねくねとした道を約15分ほど歩きます。
すると青々とした葉が見えてきて、小坂を下ると空高くのびる大きなクスノキが現れました。
このクスノキは、樹齢600年以上で県天然記念物に指定されています。
支幹が八方に張っている姿が森に見えることから、「十五社(じこせ)の森」とも呼ばれているそうです。
葉が風に揺れて音を立てるのに耳をすませば、とても心が安らぎます。
住宅街の中で静かに自然のメロディーを奏でていました。
またJR笠田駅の左に出ると、観光案内所が併設されています。
中にはパンフレットや地図が置かれ、ボランティアの方がかつらぎ町についていろいろと教えてくださるので、町歩きをする前に立ち寄るのがおすすめです。
紀ノ川沿いの大和街道にある商屋の町並み~かつらぎ町笠田から妙寺~
「歴史街道」と聞くと、皆さんはどこを思い浮かべますか。
おそらく五街道が真っ先に出てくるかと思います。
では、「大和街道」は知っていますか。
「大和街道」は、奈良に都がおかれていた時代に、和歌山県を代表する川である紀の川に沿って作られた道です。
この大和街道を通して都とほかの国がつながっていました。
そのため多くの人々が往来し、にぎわっていたと考えられます。
ここJR笠田駅周辺も大和街道の通る地の一つ。
紀ノ川の恵みから農業が中心に発達しながらも、伝統的な商屋の町並みを残す笠田。
いまは商いの賑わいを見ることはないものの、当時の繁栄を感じました。
JR笠田駅から橋本方面へ二駅行くと、JR妙寺駅に着きます。
駅を降りて街道沿いを歩くと、笠田のように風情ある建物があります。
ふと上を向くと、昔懐かしいレトロな看板。
商屋が並ぶ中に、看板やポスターなどどこか懐かしい気持ちになるものが多く見られました。
そのまま高野口の方に歩いていると、1829年に道中安全などを祈願して建てられた「法花全部一字一石塔」を発見。
ここ以外にも街道沿いにあるので、旅の道中に安全祈願もできますよ。
かつらぎ町に残る紀ノ川を治めた治水の神 大畑才蔵の功績 七郷井
人々の生活に水は切り離すことはできません。
和歌山の名産品であるフルーツの栽培やお米も、清涼な水がとても重要です。
そんな水にまつわる歴史にせまってみましょう。
1624年から紀州藩が新田開発を奨励したことがきっかけで、用水路の整備も進みました。
その際に大和街道に沿って開削されたと考えられています。
「七郷井」は、妙寺・丁ノ町・新田・大藪・大谷・新在家・佐野の「七つの村」の田地に水を運んだことから名づけられました。
当時の姿を残す石積みや堤防遺構は現在も見ることができます。
また、大畑才蔵によって開削された小田井も現存しています。
大畑才蔵は、江戸時代に紀州藩の財政立て直しのために、紀の川の水を使って大規模な水利事業を行った人物です。
大畑は自身の持つ測量や土木の知識を生かして、紀の川を治めた「治水の神様」。
いまでは全国で目にすることのできる「堤防」も、大畑が生み出したものの一つです。
かつらぎの豊かな自然からもたらされる恵みは、このような先人たちの努力があってこそなのだとしみじみと感じます。
ふと川を眺めても、そこには偉人、先人たちの知恵が詰まっています。
そう思うと、いつもの景色がすこし違って見えてくる気がしますね。
かつらぎ町の町並み、お楽しみいただけましたでしょうか。
道を教えていただいた住民の方からは、尽きることのないかつらぎ町への愛を感じるお話を聞き、聞けば聞くほど旅が楽しくなりました。
名所巡りもいいですが、ゆっくり町並みを楽しみながら住民の方と触れ合うのも旅の醍醐味ですね。