長崎の島原で歴史の足跡を辿る旅 風情溢れる城下町めぐりを満喫
歴史上、数々の出来事を積み重ねてきた町、長崎県の島原を訪れました。
江戸時代にタイムスリップしたかのような美しい町並みは、四季折々の表情を楽しむこともできます。
散策を楽しみながら今まで知らなかった歴史と是非出会ってください。
この記事の目次
美しいお堀に囲まれた島原城へ! 数々の島原の歴史を学べる名所
まずは、島原駅から徒歩約10分で到着の「島原城」を訪れました。
駅の改札を出ると、真正面に島原城の天守が見え、歴史旅の気分も一気に高まります!
日本100名城にも選ばれ、別名を「森岳城(もりたけじょう)」とも呼ばれる島原城は、奈良県の五条から入封した松倉重政によって築かれました。
1618年に着工され、4~7年の歳月を経て築城されて以後、1637年の島原の乱による猛攻をしのぎ、1792年には打続く地震と大津波に耐えてきましたが、明治以降の廃城処分により撤去されました。
現在の建物は、1960年から徐々に当時の姿が復元されたものです。
復元天守内には、島原藩の歴史遺産やキリシタン弾圧を物語る資料も残されています。
また、元々島原城三の丸にあった「御馬見所」(おんうまみしょ)が城内に移築され、国の重要文化財に登録されています。
御馬見所は、城内での藩士の訓練状況を見るための視察所として活用されていました。
建物は江戸時代から残る貴重なもので、歴史好きの方必見です!
城内で島原にまつわる歴史をたっぷり学ぶことができ、この地でいかに多くの歴史が繰り広げられていたのかを体感することができました。
島原を学ぶには、まず初めに足を運んでいただきたい名所としておすすめします。
島原城 所在地:長崎県島原市城内1丁目1183−1
かつては700戸の武家屋敷!島原の武家屋敷町並み保存地区を散策
つづいて、島原駅から徒歩約12分の「武家屋敷街」を訪れました。
中央に水路が流れ、屋敷が立ち並ぶ風情溢れる町並み。
一歩足を踏み入れれば、たちまち武士の生活の場にタイムスリップした気分になりました。
このあたりは松倉重政が島原城築城の際、時を同じくして整備されました。
上士たちは城内に住まわされていたのに対して、下士たち(70石以下の武士)をまとめて住まわせた武家屋敷です。
今でいう団地・集合住宅のような扱いだったそうです。
一軒一軒の屋敷には境界となる塀がないつくりで、隣の家の奥まで丸見えだったそうです。
それがまるで鉄砲の筒の中を覗いたようだったことから、別名「鉄砲町」とも呼ばれていました。
わら葺屋根の武家屋敷3軒が9:00~17:00まで無料開放されており、中を見学することができます。
屋敷の中に実際に上がらせていただくこともできるので、江戸時代の下士たちの暮らしをより身近に感じることができました。
中央に設けられた水路は、清水を流して生活用水としていたそうで、当時の水源は主に、武家屋敷から約2キロほど北にある杉山権現熊野神社から湧き水だったようです。
城下町めぐりでたくさん歩いたときは、武家屋敷内で少しだけ休憩をして歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
武家屋敷街 所在地:長崎県島原市下の丁
島原に時を告げる~時鐘楼~政治の要は時間!と唱えた初代島原藩主
島原駅から徒歩約10分の「時鐘楼」(じしょうろう)が建つ地を訪れました。
元々この地に佇んでいた時鐘楼は、1675年に島原藩主・松平忠房によって建てられました。
松平忠房は、「民に時刻を知らしめ、これを励行せしむることは政治の要道である」と考えていました。
時間ごとに撞き鳴らされた鐘は「おかみの鐘」として人々に親しまれ、270年間に渡って町に溶け込んでいました。
西風の日には、なんと熊本県沿岸までその音色が聞こえたと伝えられています。
ところが、戦争中の1944年に何者かに運び去られてしまい、それ以来行方は分かっていません。
現在の時鐘楼は、昔をしのぶ地域の方々によって1980年に復元されたものです。
現在の時鐘楼もまた、復元されてから少しずつ月日を重ねてきた様子に趣きを感じました。
誰が何のために持ち去ってしまったのかは謎のままですが、こうして歴史上の建造物が復元され、今現在形として残ることで、また過去の歴史を語り継いでいけることは素晴らしいと感じました。
時鐘楼 所在地:長崎県島原市城内1丁目1222−5
一日かけてゆっくりと巡る。短時間でたくさん歴史を体感する。
そんな風に歴史旅のスケジュールを好きに調整できるのも、名所がぎゅっと集結している城下町ならでは魅力です。
長崎の歴史を知る旅の始まりには、是非島原城からのスタートをおすすめします。