HISTRIP(ヒストリップ)|歴史的建造物に泊まろう

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美しきいにしえの町並みを歩く 竹原に残り続ける竹鶴政孝の想いとは

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    一歩足を踏み入れると、安芸の小京都と呼ばれた美しい町並みが残り続ける広島県竹原市の重伝建。
    かつて一帯が海だった竹原の町は、廻船や製塩業、そして酒造で栄えました。ニッカウヰスキーで有名な竹鶴政孝の生家である竹鶴酒造。竹原では至る所で彼への想いを見ることができます。竹原の歴史・町歩きを始めましょう。

     

     

     

     

     

    広島県竹原の誇り国産ニッカウヰスキー生産の歴史 竹鶴政孝の物語

     

     

    竹原を語る上ではずせない存在、竹鶴酒造と竹鶴政孝。

     

     

     

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    竹鶴政孝は大正期、ウィスキー誕生の地であるスコットランドに単身で渡り、本格ウィスキーの製法技術を学び持ち帰りました。
    そんな竹鶴政孝は、広島県竹原市の竹鶴酒造に生まれます。
    摂津酒造に入社し、そこで社長に認められ、スコットランドへウィスキーの醸造を学ぶため留学をしました。

    留学先のグラスゴー大学では、言語もままならない状態で必死に勉強する日々が続いたそうです。
    机上での勉強が続き焦る中、実習として蒸留所内での研修も実現することになりました。
    しかしやはり技術をそう簡単に見せてもらえるわけもなく、このまま何も得られず帰国の焦りが募るばかりの日々を過ごしていたそうです。

    そんな中、ある一人の人物との出会いがありました。
    年老いた職工が日本からきた青年の熱い想いに共感し、蒸留器の細部を教えてくれたのです。
    彼なくしては、日本にニッカウヰスキーは生まれなかったのでしょう。

    スコットランド女性リタとの出会いもあり、帰国することになります。
    その後、余市での大日本果汁株式会社でリンゴジュースをつくる傍ら、ウィスキーづくりを進めていきます。

    のちの英国首相には「万年筆1本で、我が国のウィスキーの秘密を盗んでいった青年がいた」と称賛されたそうです。

     

     

     

    ウイスキーの父~竹鶴政孝~が生まれ育った町・竹原 憧憬の広場へ

     

     

    <写真06_憧憬の広場>

     

     

     

    竹原市重要伝統的建造物群保存地区に入り、徒歩約3分の「憧憬の広場」(しょうけいのひろば)を訪れました。

    竹原では、毎年10月に憧憬の路というイベントがあり、竹にロウソクの明かりを灯して町一帯が幻想的にライトアップされます。

    この憧憬の広場に佇むのは、ニッカウヰスキー創業者である竹鶴政孝と妻・リタの像です。

     

     

     

    <写真07_竹鶴政孝&リタ像>

     

     

     

    1894年に竹原で生まれた竹鶴政孝の生家は、頼家・吉井家と並ぶ三大塩田地主でありながら酒造業も手掛けていました。

    現・大阪大学工学部の醸造科で勉学に励んだ竹鶴政孝は、洋酒に興味を持ち、ウイスキーの本場・スコットランドへ単身渡ります。

    現地で生涯の伴侶となるリタと出会った竹鶴政孝は妻の支えを力に、たゆまぬ努力を積み重ね、日本におけるウイスキーづくりの発展に尽力しました。

     

     

     

    <写真08_石碑>

     

     

     

    「よいウイスキーづくりにトリックはない」、石碑に刻まれた名言から真摯にウイスキーづくりに打ち込んだ熱い想いを感じました。

    「日本人に本物のウイスキーを飲んでもらいたい」その一心と努力によって叶えた夢。

     

     

     

    <写真09_竹鶴政孝&リタ像 横から>

     

     

    歴史上の偉人の想いに触れ、その姿勢を見習うことは、ときに私たちの人生において何かを変えるきっかけになるのではないでしょうか。

     

     

    所在地 :広島県竹原市本町3丁目11-16

     

     

     

     

    竹原の歴史を今に伝える国の重要文化財!春風館・復古館に触れる

     

     

    <写真10_春風館・復古館>

     

     

     

    最後に、憧憬の広場から徒歩約1分の「春風館」(しゅんぷうかん)と「復古館」(ふっこかん)を訪れました。

    中に入ることはできませんが、外から美しい建物を楽しむことができます。

     

     

     

     

    <写真11_春風館>

     

     

    竹原で頼山陽をはじめ、江戸時代後期に多くの儒学者を輩出した由緒ある家柄の頼家。

    この春風館は、頼山陽の叔父・安芸藩の儒医だった頼春風の居宅として1781年に建てられました。

    頼春風は、大阪で儒教と医学を学び生れ故郷で医業を開業しました。

    元々の建物は焼失してしまい、現在のものは1855年に再建されたものです。

    道路に面して建てられた長屋門は、まるで武家屋敷のような風情が漂っていました。

     

     

    <写真12_復古館>

     

     

    春風館の西隣に佇むのは、1859年に建てられた復古館です。

    復古館は、酒造・製塩業を営んだ頼春風の孫・三郎が分家独立して構えた屋敷です。

    春風館とは異なり、道路に面して表屋があるのが特徴で、このような表屋造は大きな商家に見られます。

    保存地区で、様々な様式の建物を楽しめるのも竹原の魅力だと感じました。

     

     

    <写真13_格子>

     

     

    町歩きをしながら、是非建物ごとの格子にも注目してみてください。

     

     

    <写真14_格子2>

     

     

    繊細なつくりであらゆる模様が描かれていて、とても素敵です。

    凝ったデザインは、やはり高価になるため、美しい建物を楽しみながらどのくらい財力があった家柄なのかを推測してみるのも面白いかもしれません。

     

     

    所在地 :広島県竹原市竹原町3876番地(春風館)

     

     

     

     

    竹原のまちなみをめぐることで竹原の発展を支えた産業である酒造、そしてウィスキーの父と言われる竹鶴政孝を感じることはできましたか。
    一人の人生を追って竹原の町を歩くと、また違った角度で旅を楽しむことができますね。
    ぜひ一度、竹原に訪れてみてはいかがでしょうか。

     

     

     

     

     

     

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