日本一の温泉観光地別府の生みの親、「油屋熊八」が愛した別府の今
日本一の温泉観光地、大分県別府市。
別府が温泉観光地として有名になったのには「油屋熊八」という偉人の功績がありました。
別府観光の生みの親、油屋熊八の産んだ町 別府 に足を下ろしてみてはいかがでしょうか。
この記事の目次
観光地開発の天才!「油屋熊八」と 日本一の温泉観光地別府の今
JR別府駅を出ると両手を挙げ子鬼を連れたたおじさんの銅像が、、、!
この方が別府観光の生みの親、「油屋熊八」です。
油屋熊八は明治時代、別府を全国・世界に発信し一躍有名観光地にした祖です。
銅像のポーズは、マントを付け、天国から舞い降りた瞬間の油屋熊八を表しているそうです。
連れている子鬼は別府の名所地獄めぐりの子鬼たちだそう。
なんともチャーミングに見えます。
「山は富士 海は瀬戸内 湯は別府」
一度は耳にしたことのあるこのキャッチフレーズ。
彼が全国各地を実際に回り、宣伝したそうです。
油屋熊八の銅像の隣には温泉地ならではの手湯が!
しっかりと温度も高く、寒い日には温まります。
所在地:JR別府駅
日本初を数多く生み出した別府の父「油屋熊八」の生涯を追う歴史旅へ
JR別府駅から歩いて15分ほど、地元の方に愛される別府公園があります。
ここでも別府の父「油屋熊八」の功績を見ることができました。
彼は46歳にしてここ大分県の温泉の将来に着目し、温泉観光地別府としての観光地開発に貢献しました。
自ら温泉旅館を経営するとともに、「山は富士 海は瀬戸内 湯は別府」というキャッチフレーズと共に全国を巡り宣伝したそうです。
彼は実にユーモアと共に行動力のある人だったようで、日本初のバスガイド付き観光バスの開発、大阪~別府間の定期空港便の開設、観光誘致のための大型船運航など当時では画期的な事を数多く成し得たようです。
彼一代でこれだけの事を成し得ることができた事も行動力や人望があった方のようですね。
彼の数々の功績が刻まれていました。
油屋熊八は自らの大きな手をも別府観光開発に役立てていたそうです。
確かに大きくて驚きました!
別府公園 〒874-0903 大分県別府市野口原3018−1
あなたも沢山のお花と美しい木々に癒されてみませんか?~別府公園~
別府公園の敷地は駐留米軍のキャンプから陸上自衛隊別府駐屯地として使用され1976年に別府市へ返還。
1977年に昭和天皇御在位50年記念公園の指定を受け、別府公園として整備されました。
歴史公園100選にも選ばれている、歴史ある公園です。
園内は広く、数々のお花や木が植えられていました。
春になるとたくさんお花が咲きそうです。
「チッカマウガ・ツリー」というヒノキの大木に出会いました。
これは第二次世界大戦後、駐留していたアメリカ軍によって植えられた木だそうです。
彼らはこの地のように岩が多かったアメリカ南北戦争最後の地名を取り、キャンプチッカマウガと名付けました。
このヒノキはクリスマスツリーとして当時の彼らが植えたものだそうです。
思わぬところで平和に対しての尊さを感じました。
また、別府公園は桜の名所としても有名なようです。
こちらも春になると楽しみですね。
ぜひ、別府に来た際は別府公園も訪れてみてはいかがでしょうか。
日本一の温泉観光地の生みの親、油屋熊八が生んだ町別府。
彼に愛され、日本や世界中の人に愛される町別府。
ぜひ一度、今や皆に愛される湯の町別府に足を運んでみてはいかがでしょうか?