本多忠勝が生きた大多喜城と城下町で有形文化財に触れ思いを馳せよう
千葉県大多喜町といえば、江戸時代に武将・本多忠勝が城主を務めた「大多喜城」とそのふもとには今もなお当時の面影が残る城下町があります。今回はその大多喜城と、大多喜城にまつわる歴史的名所をご紹介します。
この記事の目次
千葉県有形文化財・指定史跡残る大多喜城で戦国時代にタイムスリップ
大多喜駅から大多喜高校方面に約20分ほど歩くとあります、大多喜城は1590年上総国が徳川家康に与えられ、本多忠勝が城主となり大多喜藩が成立しました。
本多忠勝は本丸・二ノ丸・三ノ丸を配置し、南は夷隅川(いすみがわ)に落ち込む急崖、西は空堀、東と北は水堀という外敵からの攻撃を強固に防ぐ近世城郭に改築しました。
その後幕末まで大多喜藩の拠点として役割を果たしましたが、1619年以降大多喜藩の一時廃藩や規模縮小により荒廃しました。
城は取り壊されましたが、1966年に「本丸跡」が千葉県指定史跡となり、天守を再建しました。
二ノ丸跡に残る「大井戸」も千葉県指定史跡に、大多喜城内建造物として唯一の遺構である「薬医門」は千葉県指定有形文化財に指定されています。
再建された大多喜城は圧倒的なただずまいで存在感を放ち、敷地内からは城下町や現在県立大多喜高校である二ノ丸跡を見下ろしています。
城内は県立中央博物館大多喜城分館があり、中世から近世までの武器や城郭、武家社会の展示、地域の文化財を学ぶことができます。
大多喜城本丸跡や周辺に残る多くの史跡を巡り、戦国の世を是非体感してみてください。
所在地 : 298-0216 千葉県夷隅郡大多喜町大多喜482
公式HP : 千葉県立中央博物館 大多喜城分館
太平洋戦争に供出!美しき鐘声で無上の境地へ大多喜八景無縁堂晩鐘
大多喜城二之丸公園は大多喜城に向かう坂の途中、大多喜城から約3分ほどの場所にある公園です。
ただの公園ではありません!公園内には江戸時代の大多喜城下町に由縁のある立派な「鐘つき堂」があります。
この梵鐘(ぼんしょう)は無縁の菩提(ぼだい)、つまり煩悩を断って悟った無上の境地を弔うために、大多喜城下の人々が托鉢し、金銭の施しを受け、藤原勝行によって造られました。
美しい鐘声は大多喜城下に響き渡り、「大多喜八景無縁堂晩鐘」として名を馳せた名鐘です。
その後太平洋戦争の急を救う一助として供出されたこともある歴史ある鐘なのです。
所在地 : 298-0216 千葉県夷隅郡大多喜町大多喜482
大多喜のまちとともに生き守り愛されてきた町指定文化財「夷隅神社」
夷隅神社(いすみじんじゃ)は国の登録有形文化財に指定されている「大屋旅館」のすぐ横に位置し、夷隅神社も大多喜町指定文化財に指定されています。
早創は明らかになっていませんが、1041年に再建し1587年に正木大膳亮(まさきだいぜんのすけ)が再築したと言われています。
その後1590年に本多忠勝が大多喜城に入城、城下町を整備するなかで、祇園院大円寺から牛頭(ごず)天皇を勧進し、牛頭天王社を奉斎したのが始まりです。
その後代々大多喜城主に崇敬・加護されてきたという歴史をもつ由緒ある神社です。
夷隅神社の入り口には大きく立派な鳥居があり、石畳がまっすぐ奥まで続いています。
入口に立つだけで奥に吸い込まれそうな雰囲気が漂います。石畳を進むとさらに鳥居があり、その先に本殿があります。
夷隅神社商売繁盛や厄除開運などのご利益はありますが、中でも御祭神である素戔嗚尊(すさのおのみこと)と稲田姫命(くしなだひめ)がご夫婦の神様であることから、「縁結び」のご利益が大きいと言われ、縁結びの神社とも言われています。
所在地 : 298-0214 千葉県夷隅郡大多喜町新丁
公式HP : 夷隅神社
多くの県指定史跡・有形文化財・町指定文化財が残る、千葉県大多喜町のシンボル「大多喜城」とゆかりの歴史的名所をご紹介しました。
大多喜城から望むふもとの城下町は戦国・江戸で名を馳せた本多忠勝の偉大さを感じます。
歴史あふれる大多喜へ歴史旅に出かけませんか。