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第三八番札所 蹉跎山 補陀落院【金剛福寺】四国八十八箇所霊場を徹底解説

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    高野山や東寺を賜ったことで有名な空海。出身は讃岐(現在の香川県善通寺市)とされ、四国の各地で修行を行いました。
    その御跡である四国八十八箇所霊場のひとつ金剛福寺。四国最南端の足摺岬を見下ろす丘の中腹にあり景色は言葉を失います。
    なぜこの土地に建立されたのか?歴史を紐解きます。

     

     

     

     

    金剛福寺はなぜ観音信仰の道場として栄えたのか?

     

     

     

    01_ohenro39_お寺

     
    四国の最南端、弘法大師が修行をしたと伝えられる足摺岬。金剛福寺はその足摺岬を見下ろす丘の中腹に佇みます。

     
    弘仁13年(822年)、空海が49歳のころ、嵯峨天皇(在位809〜23)にこの地を観音信仰の道場にしないかと奏上。

     

     

    02_ohenro39_空海

     

    結果、嵯峨天皇から「補陀洛東門(ふだらくとうもん)」の勅額を受けた空海が、三面千手観世音菩薩を刻んで堂宇を建てて安置し金剛福寺を開創したといいます。

     

     
    ※補陀洛とは、インドの南岸にある観音様の住む山のことを指し、観音浄土として崇拝されている土地を表します。
    このお寺は、その聖地の入口の東門にあたる場所とされていました。そのため、補陀洛東門と言われているのですね。
    山門には嵯峨天皇宸筆の勅額、「補陀洛東門」と彫られた扁額(へんがく)があります。

     

     

    03_ohenro39_補陀洛東門
    嵯峨天皇は弘法大師、橘逸勢と並び「三筆」と称され、平安初期の書道家としても高名でした。

     

     

     

    観音信仰の道場として栄えた金剛福寺。金剛福寺のご本尊は、木造三面千手観世音菩薩立像です。

     

    04_ohenro39_木造三面千手観世音菩薩立像イメージ

     

    ※写真はイメージ※

     

     

     

    千手観音菩薩像のご利益は「厄難回避」「延命」「病気平癒」「夫婦円満」などさまざま。
    この世にいる間に享受できる「現世利益」だけでなく、死後に享受できるとされる「後世利益」をうたっているのも、千手観音菩薩像の特徴です。

     

     

     

     

    辺境の地で金剛福寺が繁栄を続けることができた理由とは

     

     

    05_ohenro39_正面入口
    金剛福寺の「金剛」は、大師が唐から帰朝する際、日本に向けて五鈷杵を投げたとされ、別名、金剛杵ともいいます。
    また、「福」は『観音経』の「福聚海無量」に由来しているのだとか。
    さらには、歴代天皇の勅願所となっていた金剛福寺ですが、武将からも尊崇された歴史を持ちます。
    とくに源氏一門の帰依が厚く、源満仲は多宝塔を建て、その子・頼光は諸堂の修復に寄与しているそうですよ。

     

     

    06_ohenro39_多宝塔

     

     

     

    07_ohenro39_多宝塔

     

     

     

    戦国時代以降、海の彼方にある常世の国・補陀落浄土を信仰して、1人で小舟を漕ぎ出す「補陀落渡海」が盛んだったことや、一条氏、山内藩主の支えで寺運は隆盛しました。

     

     

     

    本堂裏には五智如来、十三仏、千手観音の鋳造仏など、108もの仏像が安置されています

     

     

    07_ohenro39_本堂裏

     

     

    金剛福寺周辺に伝わる空海にちなんだ七不思議「足摺七不思議」

     

    IMG_6728
    大師因縁の「足摺七不思議」といわれる遺跡が、岬の突端をめぐるように点在していることをご存知でしょうか。

     

     

     

    1:ゆるぎ石
    弘法大師が金剛福寺を建立した時発見した石。乗り揺るがすと、その動揺の程度によって孝心をためすといわれています。
    2:不増不滅の手水鉢
    賀登上人と弟子日円上人が補陀落に渡海せんとしたとき、日円上人が先に渡海していったので非常に悲しみ、落ちる涙が不増不滅の水になったといわれています。
    3:亀石
    亀石は自然石で、弘法大師が亀の背中に乗って燈台の前の海中にある不動岩に渡った亀呼場の方向に向かっています。
    4:汐の満干手水鉢
    岩の上に小さなくぼみがあり、汐が満ちているときは水がたまり、引いているときは水がなくなるといわれ、非常に不思議とされています。
    5:根笹
    この地に生えている笹はこれ以上大きくならない笹だといわれています。
    6:大師一夜建立ならずの華表
    大師が一夜で華表(とりい)を造らせようとしたが、夜明け前にあまのじゃくが鳥の鳴真似をしたため、夜が明けたと勘違いし、やめたといわれています。
    7:亀呼場
    大師がここから亀を呼び、亀の背中に乗って前の不動岩に渡り、祈祷をされたといわれています。
    8:大師の爪書き石
    これは弘法大師の爪彫りといって、「南無阿弥陀仏」と六字の妙号が彫られています。
    9:地獄の穴
    今は埋まっていますが、この穴に銭を落とすと、チリンチリンと音がして落ちて行き、その穴は金剛福寺付近まで通じるといわれています。
    ※七不思議とは、不思議が七つあるという意味ではなく、多くの不思議があるという意味なので今回の七不思議は9つあります。
    ぜひ見つけてみてくださいね。

     

     

    ちなみにこの七不思議をたどっていくと、白山洞門にたどり着くことができますよ!

     

     

     

    ご詠歌:ふだらくや ここはみさきの船の棹 とるもすつるも 法の蹉跎山

     

     

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    最後に、金剛福寺の御詠歌(ごえいか)をご紹介します。
    ふだらくや ここはみさきの船の棹 とるもすつるも 法の蹉跎山
    (補陀洛や ここは岬の 船の棹 取るも捨つるも 法の蹉跎山)

     

     

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    蹉跎山の「蹉跎(さだ)」ですが、古来から「サダ」「サタ」は狭いや、先っぽという意味で岬を表したそうです。
    足摺岬ももともとはサダやサタと呼ばれました。その後「蹉跎」と当て字がされ、訓読みになり、あしずりと言われるようになったのだとか!

     

     

    IMG_6704

     

     

    、金剛福寺をご紹介しましたいかがでしたか。
    金剛福寺の周囲には多くの史跡魅力が満載!白山洞門や唐人駄馬など、古い歴史が残るスポットもあり、また車で20分のところにジョン万次郎資料館などもあります。1日ではまわりきれないほどに魅力満載の土佐清水!ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。

     

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