HISTRIP(ヒストリップ)|歴史的建造物に泊まろう

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最後の清流四万十川 佐田沈下橋からすぐ!美しい安並の水車群とは

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    最後の清流と称される四万十川。四万十川の支流になる後川に広がる美しい水車の風景があることをご存知でしょうか。土佐藩の家老であり儒学者だった野中兼山が慶安3年(1650年)から約5年をかけて工事を行い整備したと歴史が残る四ヶ村溝の安並水車の里です。今回はそんな安並の水車の歴史と見どころをご紹介します!

     

     

     

    四ケ村溝のひとつ「安並の水車」で15基の水車で癒される旅を

     
    この安並の水車は、藩政時代、土佐藩の家老であった野中兼山が、四万十川の支流である後川から潅漑用に水路を作ったのが始まりとされています。

     

     

    駐車場は無料で広いのでゆったりと楽しむことができます。
    こぽこぽとした水の音や木製の水車がきしみながら回る音がなんとも気持ち良いです。

     

     

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    なんとこの水車、15基も並んでいました。
    それぞれ個性があってひとつひとつじっくり見ていくのも楽しいですよ。

     

     

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    また、今回訪れたのは5月だったのでちょうど紫陽花が綺麗に咲いていました。
    水車がある場所はもちろんのこと、水車までの道にも紫陽花が植えられており、お花も一緒に楽しめます。

     

     

     

    なぜここに水車が?藩政時代の重要課題に立ち向かったの功績

     

     

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    ちなみになぜこんなに水車がつくられたのでしょうか。歴史的背景と一緒にご紹介します!

     

     

     

    その当時石高を増やすことが土佐藩の課題だったそう。
    そこで開拓がされていなかった後川流域の土地に目を向けられたのでした。

     

     

     

     

    土佐藩の第二代藩主・山内忠義に命じられ、野中兼山の土木作業がはじまりました。
    与えられたミッションは、工事を行うことで水路を整備し、米の収穫を増すこと。

     

     

     

     

    ここは三方を山に囲まれる広い平地で段差が少ないことから、自然に水が流れる仕組みもなく、稲作用として米を作るのに十分な水が無かった地域でした。
    さらにここだけではなく、周辺の四つの村(・秋田・佐岡・)に十分な水を供給したいという問題があったのだとか。

     

     

     

     

    そこで数多くの水車を利用して水を高い所にくみ上げ、それを田んぼに流すようにしたのです。

     

     

     

     

    その規模はなんと長さ160m、幅11m。
    現在は約15基となっていますが、明治の頃には約50基が回っていたそうです。

     

     

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    水路はかつて「溝」と言われており、四つの村に利用されたことから四ケ村溝と呼ばれていました。今回ご紹介したのは「安並の水車」。

     

     

     

     

    野中兼山とは?出身や「土木神の化身」とまで言われたこれまでの活躍

     

     

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    野中兼山とはどういった人物なのでしょうか。生い立ちやその生涯をご紹介します。

     

     

    野中兼山は1615年に姫路で生まれました。

    父は初代土佐藩主山内一豊に家老として仕えていましたが、兼山が生まれた時には浪人となってしまっていたようです。
    1615年兼山が4歳の時に、父と死別してしまいます。

     

     

     

    その後、土佐に帰国。父の従兄弟である野中直継の養子となり、直継の娘を妻としました。

     

     

     

     

    1631年(寛永8年)、18歳の時養父と同じ奉行職となります。 南学を身につけ土佐藩政に入りました。
    1636年(寛永13)年養父である直継が亡くなり、その後を継いで奉行となります。当時の藩主は二代藩主山内忠義で、兼山は忠義に藩政改革を命じられました。

     

     

     

     

    新田開発や日本最初の掘り込み港湾高知県香南市にある「手結内港」をはじめとする、津呂港、室津港など多くの業績を残しました。

     

     

     

    さらにさきほど紹介した安並の水車もその成果のひとつです。

     
    四ケ村溝のひとつ「安並の水車」をご紹介してきましたが、いかがでしたか。安並の水車は、野中兼山が当時最先端ともいえる技術で土佐藩を救った功績のひとつでもあります。
    四万十川の佐田沈下橋から車でおよそ14分!非常にアクセスも簡単です。
    歴史に触れ、水車に癒さる旅にぜひ訪れてみてくださいね。