HISTRIP(ヒストリップ)|歴史的建造物に泊まろう

HISTRIP MAGAZINE icon HISTRIP MAGAZINE

重伝建 愛媛県内子町八日市護国の町並みの歴史と観光ルートをご紹介

  •  

     

    現存12天守のひとつ松山城でも有名な松山から南西約34km、時間でおよそ30分でアクセスが可能な内子町。
    内山盆地で肱川の支流小田川と中山川が合流する地点の近くに位置し旧市街地は大洲街道に沿って展開しています。
    そこにはまるで違う時代に入ってしまったかと錯覚するような美しい町並みが広がっています。

     

     

     

    なぜそこに町が?内子町八日市護国の町並みの成り立ちとは

     

    町並み
    八日市護国伝統的建造物群保存地区は、江戸時代に大洲と松山の間をつなぎ、四国遍路道、金毘羅参詣道としても利用されました。
    六日市、八日市、護国、坂町の4つの地域が合わさって内子町の町並みを形成しています。

     

    伝建説明文

     

     

    もともとの町の成り立ちは詳しくは歴史に残っていないようですが、中世末期から江戸時代の初頭にかけて街道の西南端の願成寺と北端に近い高昌寺(こうしょうじ)の門前町として成立したとされています。
    その後、この間に家屋が建ち並び、市が開かれ六日市や八日市の町が形成され、そばに流れる小田川の水運を利用した物資の集散地として、また金比羅詣りや四国遍路などの交通の要衝として栄えました。

     

     

    さらに大洲藩が和紙の統制を行うに際して1751年〜1763年に大洲、中山とともに内子の六日市にも紙役所が置かれました。
    内子町は近くで生産される和紙の材料になる楮や紙の買上所、さらに集散地として機能しました。

    そうしたことによってさらに内子町は繁栄していきました。

     

     

     

    八日市護国の護国地区を散策!歴史的成り立ちを徹底解説

    伝統的建造物群保存地区に選定されている内子町の町並みは清正川を境に北側の護国地区、南側の八日市地区を大きく2つの地区に分かれています。
    <写真01_護国地区の町並み>
    町並みはそれぞれに性格が違います。
    護国地区は遍路や金毘羅参詣の人に向けた宿場町の性格。
    かつては宿屋や飲食店が点在していました。八日市の町並みに対して少し落ち着いた雰囲気を感じました。
    護国地区から入ると少しゆるい下り坂になっています。
    八日市護国町並み保存センターもあります。
    ここでは町並みの成り立ちや歴史を学ぶことができますよ!入場は無料です!

     

     

     

    護国地区から八日市地区に入る目印はこの清正川。

     

    04_uchiko
    清正川の前には有名な床屋さんがあります。そこにはなんと大きな鬼瓦!
    さらに四国遍路の標識や金毘羅まいりの方に向けた表札もあり、常夜灯までありました。

     

    鬼瓦

     

     

    旧街道沿いの史跡がたくさん残っており、雰囲気を楽しむことができる町並みです!

     

     

    常夜灯

     

     

    八日市地区を歴史旅!町のシンボル重要文化財上芳我家住宅へ

    続いては清正川を渡り、八日市地区に入りました。
    入ってすぐにある建物は、休憩所のようです。ここにある看板に注目!

     

    03_2_uchiko

     

     

    なんと明治期にそれぞれの町家がどんな職業をしていたのかがわかるマップがありました。

     

     

    03_uchiko
    また、それぞれの家屋にも印があるようで楽しみながら散策ができそうです。

     

     

     

    <写真02_八日市地区の町並み>

     

     

    八日地区は、江戸時代にはその名前の通り市を中心とした商業地域でした。明治期からは製蝋の業者が多く点在し、産業地域として発展したそうです。
    八日市地区に入って少し歩くと重要文化財に指定されている上芳我家住宅がありました。

     

    05_uchiko

     

     

    かつて木蝋生産で財をなした本芳我家の筆頭分家の屋敷です。
    現在は木蝋資料館として公開、活用されています。

     

     

    05_uchiko

     

     

    内子の木蝋製産業の最盛期であった明治27年(1894年)に建てられた母屋からは豪商の暮らしぶりを伺えました。
    敷地内には木蝋の生産施設である釜場、出店倉、物置などの生産施設も残されています。

     

     

    八日市護国の町並みをご紹介してきました。いかがでしたか。
    護国と八日市、2つの地区を合わせた町並みが重要伝統的建造物群に選定されています。

    また他の記事で町並みの中でも一番の豪商、芳我家の住宅のご紹介もしています!ぜひ見てくださいね。