HISTRIP(ヒストリップ)|歴史的建造物に泊まろう

HISTRIP MAGAZINE icon HISTRIP MAGAZINE

姫路城の縁の下の力持ち!石垣も見逃すな!

  • 「姫路城」は、世界遺産にも登録された文字どおり日本の宝。白鷺城の異名でも知られていて、白漆喰で塗られた天守が、白く美しく輝いています。ついつい天守にばかり目が向きがちですが、その下で天守を支えている「石垣」に注目されたことはありますか。姫路城の石垣は全国的にも保存状態が良いことで知られています。今回は、姫路城の観光がもっと楽しくなる、姫路城の石垣に見られる特徴をご紹介させていただきます!

     

     

    姫路城の石垣を巡る前に!石垣について詳しくなろう!

     

     

    01_himeji

     
    城を支えている石垣。そもそも、この石積みは何でしょうか?城と石垣の歴史について簡単にご説明します。

     

     

    石垣が使われる前の城は、土づくり(土塁)の城でした。槍・弓矢だった時代から、1542年種子島に漂流したポルトガル人から鉄砲が伝わり(鉄砲伝来)、戦の主力武器へと移り変わると、より安定した高い位置にある建物が求められました。そこで用いられたのが、石を積み上げた「石垣」です。

     

     

     

    戦国時代が終わると、城は戦う「要塞」から大名たちの力の誇示、つまり「魅せるシンボル」へと変わっていきます。その流れとともに石垣も、より見た目の美しさを重視した組まれ方に変化していきました。

     

     

     

    もっと石垣について詳しく知りたい!という方はコチラ
    →→【石垣の歴史】日本のお城を支える石垣の工法にせまる

     

     

     

    羽柴秀吉時代・池田輝政時代・本田忠政時代にみる姫路城の石垣

     
    姫路城は時代とともに多くの城主が入れ替わり入城しました。姫路城の石垣を主な人物の時代別に見ていきましょう。

     

     

     

    ・羽柴秀吉の時代(1580年~1581年)
    自然の石をそのまま使う、<野面積み>という種類の石垣です。隙間には小石を詰めて耐久度を上げました。秀吉は織田信長から中国地方攻めの命をうけて姫路城に入城します。当時の姫路城は城と呼ぶにはさびしく、砦のようなものでした。そこで秀吉は戦いに備えるため改修を行い、石垣を用いた天守を築きました。

     

     

     

    ・池田輝政の時代(1601年~1609年)
    関ヶ原の戦いが終わり、徳川家康から「西国(九州、中国、四国)に多く残る豊臣方の大名たちを牽制できるような城を築きなさい」という命令を受けた池田輝政は、9年かけて姫路城の大改修を行います。このとき組まれたのが<打ち込みハギ>という石垣でした。石を加工して、隙間を小さくしたのが特徴。これにより野面積みよりも高く石垣を築くことができました。また、石の角を下向きにして組む<谷積み(落とし積み)>という技法も使われています。

     

    05_himeji

     

     

    ・本田忠政の時代(1618年)
    徳川VS豊臣の戦いである大坂夏の陣が終わり、城主となった本田忠政。息子の本田忠刻と大阪城陥落から救われた家康の孫娘「千姫」が結婚することになります。その時の化粧料(嫁入り時に与えられるお金や土地のこと)10万石を元に西の丸を整備しました。西の丸の石垣は<打ち込みハギ>で組まれ、千姫のために化粧櫓も新築されました。池田輝政と同じ<打ち込みハギ>の石垣ですが、本田忠政の石垣は石の大きさが揃えられていて、より見た目の美しさが追及されていることが分かります。

     

    豊臣秀吉時代の石不足を解消した驚きのリサイクル石を巡る!
    姫路城の石垣の別の楽しみ方をご紹介します。

     

     

    姫路城に限らず、全国各地の石垣には「転用石」というものがまれに見られます。「転用石」とは石垣を組むときに不足した石材の代わりに使った墓石や石臼などのこと。姫路城の石垣にも「転用石」がいくつか使用されていますので、その場所を2つご紹介します。

     

     

     

    ・「は」の門
    門の右足を支える石段に転用石が見られます。元々は灯篭の土台部分となっていた石材です。

     

    51525842_638616313239294_527178931749519360_n

     

     

     

    ・「ほ」の門通過後、右手の石垣
    こちらには、姥が石(うばがいし)という転用石が見られます。これは、羽柴秀吉が石不足で悩んでいたため、城下の餅屋のおばあちゃんがプレゼントしたという石臼。秀吉は喜び、石臼はきちんと転用石として使用されました。この評判はすぐに町に広がり、たくさんの石が町民から寄付されたんだとか。自分の石がお城の石垣に使ってもらえるのなら嬉しいですもんね。寄付がなければ秀吉の築城は遅れていたのかも?

     

     

    03_himeji

     

     

     

    どちらの転用石も案内板が立てられていますから、城内散策中にぜひチェックしてみてください。

     

     

    まだまだあるぞ、姫路城の変わった石

     
    まだまだ姫路城の石垣には変わった石が使われています。見過ごすわけにはいきませんよ。

     

     

    ・「ぬ」の門  「人面石」
    「ぬ」の門右側にある石垣には「人面石」と呼ばれている大きな石があります。石垣には、来る者を威圧したり、城主の力を見せつけたりする目的などから意図的に巨大な石を使うことがあります。その巨石のことを「鏡石」というのですが、ここの鏡石は目と鼻、眉毛がある人の顔に見えるような配置になっています。

     

     

     

    ・「ぬ」の門  「ハートの石」
    その「人面石」の左側によく見ると、ハート型の石があります。写真を撮ってスマホの待ち受けにすると良いことが起こるという噂ですよ。

     

     

     

    ・大手門、西の丸etc. 「刻印のある石」
    石垣に使われている石の中には、石材の提供者を見分けるために刻印がされているものがまれにあります。姫路城の石垣には、その刻印がたくさん見つかっているんです。例えば、入口にある「大手門」左手最上段の石には斧の刻印が見られますし、西の丸「化粧櫓」の石垣には五芒星が刻まれています。刻印の絵柄は多種多様です。その他の刻印も見つけてみてくださいね。

     

     

    いかがでしたか。姫路城の石垣は見どころがいっぱいです。注意深く観察すれば、まだ誰も気づいていない歴史ある石が見つけられるかも?姫路城の観光は石垣もチェックしてツウな楽しみ方をしてみましょう!

     

     

     

    このマガジンに関連するキーワード