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白川郷合掌造り集落の人々を支えた養蚕の歴史を田島家養蚕展示館で学ぶ旅

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    世界遺産白川郷。山深く、人里離れた地形により日本にありながら、まるで違う国のような独自の文化を発展させてきました。
    顕著な特徴として挙げられる合掌造り。構造や、同じ方向を向いているなど、沢山の秘密があることをご存知ですか?合掌造りの構造や、人々の暮らしを支えた養蚕についての歴史旅をご紹介します!

     

     

    白川郷合掌造りの仕組みを徹底解説!なぜ南向き?合掌の角度は?

     
    山深く、人里離れた土地にたくさんの住居を構える白川郷合掌造り集落。
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    人が合掌したような姿から、合掌造りと言われています。すべて切妻造りとなっています。

     

     

     

    切妻造りにすることで、屋根裏が広く、両方の妻面から日差しが入り、さらに風通しが良くなります。
    さらに2層、3層にすることで、広い床面積を確保することができます。
    雪深く、家の面積を取れない白川郷の土地では、非常に合理的な建築なのですね。

     

     

     

    この角度は約60度とされていて、豪雪地帯ならではの雪を自然と屋根から降ろす工夫となっています。
    ちなみに展望台からみた様子はこちら。

     

    <写真02_展望台からの合掌造り>
    真ん中に大通りがあり、そのまわりに沢山の合掌造りが並びとても美しい情景が広がります!
    ちなみに合掌造りですが、すべて同じ方向を向いていることにお気付きですか?
    すべて南北に向かって妻面が向けてあります!これは、東西に向かって太陽が進む向きに合わせています。日照時間を最大限に確保するように工夫された結果なのです。
    実はもう一つの理由がありました。庄川が集落に沿って流れているのですが、風は庄川に沿って吹きます。
    妻側に窓を設けることによって、風通しと光を取り込んでいるのです。

     

     

     

     

    焔硝と養蚕で潤った白川郷合掌造り集落の町

     

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    雪深く、人里離れた里で人々はどのように生活を続けてきたのでしょうか。
    雪の期間が長く農業ができる期間も少なく、さらに農地の少ない白川郷では、家内工業が発展しました。

     

     

     

    大きく分けて2つ。
    焔硝づくりと、養蚕農業でした。

     

     

     

    今回は養蚕についてご紹介します!
    ちなみに、白川郷の外の世界の状況を少しご紹介。
    江戸時代の末期、鎖国が終わり、貿易が開始された頃、ヨーロッパで蚕の病気が蔓延していました。
    蚕は卵から幼虫になり、蛹(さなぎ)から成虫へとその姿を変えていきますが、その成長途中に亡くなってしまったのです。
    そのため、蚕種や生糸が不足しており、シルクは瞬く間に日本最大の輸出品になりました。日本の蚕糸業はまさに救世主!需要は限りなくありました。

     

     

     

    もちろん白川郷もその恩恵を受けることになります。

     

     

     

    白川郷の養蚕農家 田島家養蚕展示館で学ぶ養蚕の歴史

     

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    養蚕に関して白川郷で学ぶことができるのは、田島家住宅です。
    ここでは、蚕の一生から、生糸ができるまでを実際に使用されていた器具と一緒にみることができます!

     

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    生糸を作る工程をご紹介。まずは、「(ようさん)」という過程です。卵から繭までの過程です。
    湿度・温度・換気などに気を配りながら繊細に蚕を育てます。蚕の食事は桑の葉。桑にはビタミン、ミネラルなどの栄養素が含まれています。シルク作りは、栄養たっぷりの桑の葉を与えて、健康な蚕を育てることが重要なんですね。

     

     

     

    成長し、体の色が透き通り、エサを食べなくなると繭(まゆ)を作って貰うために、蔟(まぶし)に移動です。
    まぶしは、5cm角くらいの飼育箱で、蚕を1頭ずつ部屋に移動させます。

     

    <写真05_まぶし>

     
    まぶしにて蚕は、糸を吐いて繭を作ります。蚕は2~3日間で約1300~1500メートルの繭糸を吐き続けるのだとか。その後繭の中で脱皮し蛹になりますが、成虫になる前に次の工程「製糸」に移ります。

     

     

     

    蒸気の熱で乾燥させ、長期保存できるようにします。乾燥した繭は、1ケ月以上温度と湿度が保たれた繭倉庫に貯蔵。ここで、汚れた繭を取り除き、選別します。
    この時に汚れた繭も別にとっておき、冬仕事に女性たちが服をつくっていたと、現地の方にうかがいました。

     

     

     

    繭はたくさんの糸が絡み合ってできていますが、糸どうしを接着している物質は、水に溶けやすいため繭を煮て、接着を緩めてほぐしやすくします。

     

     

     

    ほぐれやすくなった繭の表面を箒のような道具で撫でて、糸口を捜しよりながらまとめ、1本の生糸にして巻き取っていきます。
    これは女性の仕事だったのだとか。
    生糸は伸ばされた状態のため、そのままでは、切れやすい糸になってしまいます。次に「場返し」という作業で、糸を湿らせ、ほぐれやすくし大枠に巻き取ります。その後、湿度は20~30度、湿度は70~80%に調整した湿気室で寝かせて水分量を安定させます。

     

     

     

    おかいこさんのお祭り~蚕飼祭り~

     

     
    白川郷では、蚕のことをお蚕様や、お蚕さんと呼びます。
    農地も少なく、農業ができる時期の少ないこの土地では、高額で取引ができる生糸を生み出す蚕を大切にしてきたということがわかりますね。

     

     

     

    そんなお蚕さんのお祭りがあることをご存知でしょうか。蚕飼祭り(こがいまつり)です。
    蚕飼祭りは、七福神や舞女に変装して、合掌集落内を訪ねて、唄に合わせて踊り歩くお祭りです。
    「一つ転がしゃ1千俵、二つ転がしゃ2千俵―」などと蚕による繁栄を現す口上を述べ、全員で「わっはっは」と大きな笑い声をあげます。

     

     

     

    家々を廻り、豊蚕を願う蚕飼祭りで、養蚕の衰退で一時は途絶えてしまいましたが、保存会の方が復活させました。
    白川村の伝統的芸能。県指定無形民俗文化財にも登録されています。

     

     

     

    さらに各家々では蚕の繭を模した団子を作り、神仏に供えてから団子汁として供する文化もあるそうですよ!

    素晴らしい文化がいまも受け継がれていることに感動を覚えました。

     

     

     

    いかがでしょうか。白川郷と蚕の歴史旅をご紹介してきました。
    白川郷の人々と、蚕の切っても切り離せない関係や、白川郷の人々を支えた歴史を、ぜひ訪れて触れてみてください。
    今回ご紹介しきれなかった現地の方のお話などとても面白いですよ!

     

     

     

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