【江戸城における石垣の歴史】石垣の産地と工法について
NHKの年末ドラマで放送される予定の『家康、江戸を建てる』(著:門井慶喜)。秀吉によって関東に国替えを命じられ、追い払われる形で江戸の地に移ってきた家康でした。
しかし持ち前の粘り強さを発揮し、江戸のまちづくりを着々と進めていきます。
この記事では、江戸城の石垣についてご紹介させていただきます!
江戸城とは
江戸城とは、現在の東京都千代田区に位置しています。皇居として機能していますが、観光できるスポットもあります!
皇居東御苑内には、様々な石垣をみることができ、さらに天守閣跡も残ります。
江戸城があった地域は、平安時代末期から鎌倉時代まで江戸氏という武士が本拠地を置いており、勢力が弱まると、扇谷(おうぎがやつ)上杉氏が入ります。
その後、扇谷上杉氏の家臣であった太田道灌(おおたどうかん)江戸城を築城しました。
さらに時代は流れ、有名な北条家の初代である北条早雲が入り発展。豊臣秀吉が天下統一のためにこの地に攻め込み、北条氏は滅びることになります。
そして江戸城も開城され、ここで徳川家康が駿府から江戸へと移されたのでした。
荒れ果てた江戸城でしたが、徳川家康は大規模な土木工事を命じる「手伝普請(てつだいふしん)」などの軍役などによって大名に江戸城の整備をすすめさせました。
徳川幕府が滅んでからは、江戸城は、皇居となっています。
石垣は伊豆から運ばれた
江戸城の石垣はそのほとんどが伊豆石の安山岩となっています。白い石垣はとても美しいですよ!
なぜ本州の近くの山からではなく、わざわざ遠い島の石を石垣に使用したのか疑問に思いませんか?
伊豆石をわざわざ使用する。その最大の理由は、伊豆石の質の良さにありました。1600年の関ケ原の戦いを終えた家康は、この時期豊臣家との最終決着である大阪夏の陣を控えていました。
負けるかもしれないという不安と付き合いながら過ごしていたのです。
攻め込まれる可能性も考え、どうしても強靭な城を築城したかったのですね。
そんな想いを叶えた石が伊豆石。
伊豆半島で産出される石は質が良く、古くからその名声が知られていました。
伊豆半島では硬質の安山岩と、軟質の凝灰岩の2種類が掘り出されており、築城にもってこいの硬質の安山岩が主に切り出されました。
さらに陸路よりも、海運において江戸に石を運びやすく、伊豆という場所が選ばれたのです。
江戸城に見る石垣の工法
江戸城では、様々な石垣の工法が見られます。
積み方には大きく2つ、種類があります。横の目地を揃えているのが「布積み」。大小さまざまな石を積み上げているのが「乱積み」です。
さっそく石垣を見てみましょう!
左側の石垣は目地が綺麗に揃っていないため「乱積み」と呼ばれる積み方です。
少し登りやすそうですね。
次に目地が通った「布積み」。東御苑内の多くの場所で見ることができます。
美しいですね。
積み方を勉強した後は石垣の種類をみてみましょう。
石垣の種類は、3種類。
さきほどご紹介した「打ち込みハギ」「切り込みハギ」「野面積み」です。
江戸城は、防御を徹底しているため石垣の種類は限られています。「野面積み」は自然石を積み上げたため、石垣をよじ登りやすいという特徴があります。
そのため、江戸城では「野面積み」をみることができません。
「打ち込みハギ」「切り込みハギ」をみることができます。
白鳥濠の石垣の加工は「打ち込みハギ」。
大手三之門、同心番所付近にある石垣の加工は、より敵が登りにくくなった「切り込みハギ」です。
さらに強度を増すための工夫として「算木積み」があります。
隅が大小交互の大きさになっているのがわかります。
ただ石垣といってもひとつひとつ違う積み方や、それぞれの役割、特徴があってとても奥が深い世界ですね。
江戸城の石垣への理解は深まりましたか。
現在皇居として利用されている江戸城ですが、様々な歴史が積み重なった上に存在しているのですね。
芸術ともいえる石垣を、ぜひ感じに訪れてみてはいかだでしょうか。