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広島県竹原で巡る戦国武将 名族小早川氏のこだわりの居城 木村城跡

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    広島県竹原の戦国武将といえば、小早川家。戦国末期、小早川家は中国地方で着々と勢力を固めていた毛利元就の傘下に入りました。なかでも有名な小早川隆景は、のちに豊臣秀吉にも重用され、晩年は豊臣五大老にも列し名を馳せました。
    竹原小早川家の居城、木村城址をめぐります。

     

     

     

    月に5度の城の手入れがされていた木村城址 広島県竹原で巡る城

     

     

    小早川隆景ゆかりの地「木村城址」を訪れました。
    JR竹原駅からバスで約15分「小早川神社前」下車、木村城祉は、国道432号線沿いにある和賀神社(小早川神社)の裏山に築かれています。
    城への登り口は、ちょうど神社と山をはさんで反対側の東側から登城道があります。バス停から徒歩約15分で木村城址の登山入口付近に到着です。
    登城口にある看板にある室町時代の文書には
    「この居城は、だれがなんといってもけっしてはずされてはならない。
    月に5度ずつ大勢の人夫で築城させよ。塀も櫓も割り当てて修理させよ」
    と記されていました。
    つまり1か月に5回も、しかも大勢の人々の手によって城の手入れがなされていたことがわかります。
    小早川氏のこだわりがうかがえます。

     

     

    <写真11_木村城址登山付近>

     
    木村城は、竹原小早川家の初代・政影によって1258年、標高351mの丘陵の頂部に築城されました。
    1544年に毛利氏から養子として迎えられていた14代隆景が沼田小早川家を相続し、当時わずか12歳で当主となりました。その後1551年に高山城に移ります。
    ここ木村城祉は、高山城に移るまで約300年間も竹原小早川家の本城として機能していた歴史があります。
    高山城に移るまでの7年間を小早川隆景はここ木村城で過ごしたのですね。

    そんな小早川隆景、実は幼いころからとても優れた武士の頭角を現していたことをご存知でしょうか。1547年、大内義隆が備後神辺城を攻めたときに従軍し、わずか14歳で初陣を飾ります。この時、隆景は神辺城の支城である龍王山砦を小早川軍単独で落とすという功を挙げ、義隆から賞賛されたそうです。

    そんな隆景が過ごした木村城祉へ一度足を運んでみませんか。

     

     

     

    美しい石垣が残る木村城址 竹原の隠れた名スポット小早川家を追う

     

     
    木村城の主郭部は南端最高所に本丸を置き、その周囲に腰曲輪を設けていました。
    主郭部の北下にあるのが兵糧の段と呼ばれる曲輪群で、北端近くにかつて小早川隆景を祀った若宮社があった土壇があり、櫓台とも呼ばれています。
    兵糧の段から東へ降りた所に馬返しの段があり、現在の登山道はここに繋がります。
    西側は居館があったそうです。

     

     

    <写真12_登山道中>

     
    本丸までの登山道中は、山城であった過去の姿を垣間見ることができ、石組井戸の跡も3つ残っています。

     

     

    <写真13_井戸>

     

     
    道中はなかなか傾斜のある険しい道となりますので、歩きやすい運動靴で訪れてください。

     

     

    <写真14_目印>

     

     
    木に巻き付けられているピンクのリボンを目印に進むと、約15分で本丸跡に到着します。

     

     

    <写真15_本丸跡>

     

     
    いつ廃城となったかは不明とされていますが、本丸跡は武将・大名の夢のあと…という情景でした。
    史跡好きなら必ず制覇しておきたい木村城址、実際に足を運んで本丸までの登山で歴史を全身で体感してみてください。

     

     

     

    所在地 : 広島県竹原市新庄町

     

     

     

    竹原小早川家の居城、木村城址をめぐる旅はいかがでしたか。
    竹原の江戸時代のまちなみと一緒に、戦国武将小早川氏のこだわりが色濃く残る木村城址へぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。

     

     

     

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