HISTRIP(ヒストリップ)|歴史的建造物に泊まろう

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200年以上に渡りヨーロッパとの交流の拠点だった~出島~を探検!

  • 江戸幕府により鎖国政策が取られていた時代に、西欧に開かれた窓として貿易の中心を担った長崎県・長崎市の出島。
    長崎を通して行われた異国との交流は、今わたしたちが生きる日本の文化に深く関わっています。
    その秘密を探る歴史旅に出かけましょう!

    世界と繋がる長崎で歴史の変遷を辿る~出島~で体感!~江戸時代~

    路面電車「出島」電停下車、徒歩すぐの「出島」(でじま)を訪れました。 江戸幕府がとった鎖国政策の中、外国との玄関口として世界に開かれた都市・長崎。

    1571年に初めてポルトガル船が入港して以来、町には教会が建てられ、商人や町の人々にキリスト教が広がっていきました。
    豊臣秀吉の時代に始まったキリスト教の弾圧は、江戸時代に入り強化されました。

     

    そんな情勢の中、1636年に徳川幕府の命令で長崎の有力な町人たちの出資により、町の岬の前の海を埋め立ててつくられたのがこの出島です。

     

     

    今では史跡として整備されていますが、元々はキリスト教の布教を防ぐために、長崎の町に住んでいたポルトガル人が一挙に住まわされていた場所です。
    オランダ東インド会社によってつくられた貿易の拠点であるオランダ商館は、元々長崎県の平戸(ひらど)市にありましたが、1641年に出島に移されました。貿易の中心地として大きな役割を担っていた出島。

     

     

    しかし時代の流れとともに、その拠点はグラバーらが活躍した外国人居留地(現在のグラバー園付近)へと移っていきます。

     

    その後少しずつ都市の中に埋没していった出島ですが、第二次世界大戦後より公有化され、海に浮かぶ出島を取り戻そうと現在もなお長崎市による復元事業が続いています。

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    2017年11月25日には、かつて出島と長崎の町をつなぐ橋がかかっていた場所に、現代工法で設計された『出島表門橋』が完成し、ここから当時と同じように出島に入場することができます。

    長崎・出島での歴史を早速探りに行きましょう!

     

    表門

     

    橋を渡ると、表門が出迎えてくれます。ここには、当時、番人がいて出島を出入りする人をチェックしていました。出島に出入りできるのは、役人や貿易にたずさわる人などに限定されていました。
    11月25日からは、この表門も料金所となり、新たな出島への入場口として生まれ変わります。

     

    6棟の建物

     

    表門をくぐって先に進むと、2016年10月に復元された6棟の建物が目の前に現れます。向かって左側から組頭部屋、銅蔵、乙名詰所、十四番蔵、筆者蘭人部屋、十六番蔵が並んでいます。
    出島内では、復元された鎖国期の建物の中に実際に入ることができます。

     

    輸入された砂糖や染料、輸出用の銅などを保管した蔵の数々や、オランダ商館員の住居として使われた建物など16棟の建物が復元されており、中央の通りを歩くだけでも活気ある当時の様子が伝わってきました。

     

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    まずは、筆者蘭人部屋の中に入ってみましょう。
    この建物はオランダ商館員の住居で、内部は「つながる出島」をコンセプトにして、出島が世界各地と貿易などでつながっていた様子を資料や映像で紹介しています。

     

    1階展示室

     

     

     

    長崎・出島でカピタン部屋を訪れる オランダとの深い交流を辿る手がかり

     

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    日本人は出島のオランダ商館長のことを「カピタン」と呼んでおり、出島の中に復元され堂々とした風格が漂う「カピタン部屋」にお邪魔してみました!

     

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    カピタン部屋は、商館長の住まい兼仕事場でもあり、ときに大切なお客様を招く場所としても活用されていました。

     

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    部屋の中には、江戸幕府へ献上したオルゴール付き時計も再現されていました。

    商館長は4年に1回、江戸までに参府していたそうです!

     

    カピタン部屋2階大広間

     

    大広間では、クリスマスのパーティ―の様子が再現されています。

    当時の日本人には珍しい西洋料理がテーブルいっぱいに並んでおり、カピタン部屋が当時の人々にとって西洋のさまざま文化の宝庫であったことも伺えました。

     

    現代の様々な文化や技術などにここ出島が多大な影響を与えたことを感じ、感慨深い思いでした。

     

     

     

    私たちの今につづく歴史を学ぶ 長崎・出島に伝えられた食材

     

    もう少し、出島を探検してみましょう!
    二番蔵の中へ入ってみましょう。

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    オランダ人がチューリップ蔵と呼んだこの二番蔵では、砂糖や蘇木(そぼく)と言って染料に使う木の枝などが保管されていました。

    中では、海外から日本に渡ってきた輸入品の歴史について学ぶことができます。

     

    二番蔵 出島に伝えられた植物に関する展示

     

    日本各地に数多くのお菓子を生んだ砂糖だけでなく、たくさんの野菜も実はオランダ船によって日本にもたらされていました!

     

    当時「オランダナ」として入ってきた野菜は、今私たちに馴染み深いキャベツで、その他にトマトやジャガイモ、パイナップルなども出島を窓口として世界各地より輸入されました。

     

    歴史と普段の生活に深い繋がりを学べたことで、改めて歴史を知ることの面白さを実感する歴史旅となりました。

     

    水門付近

     

    出島の西側の入退場口となっている「水門」は、当時、オランダ船に積まれてきた数々の品を運ぶ入口としての役割を担っていました。

     

    まさにここから世界と日本がつながっていたのです。

     

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    これは、輸入品の砂糖等を計量するために水門付近に置かれた天秤量りです。

    ここで計量された砂糖は出島内の蔵で保管されることとなります。

     

     

     

    出島 所在地:長崎県長崎市出島町

     

     

    出島とオランダ・ポルトガルの深い関わりによってもたらされた歴史旅はいかがでしたでしょうか。

    2050年を目標に、再び海に浮かぶ出島を復元させる事業は日々着々と進められています。

    出島の歴史を知ることはもちろん、未来の新しい姿へと変わっていく出島も見逃せないですね。