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聖武天皇ゆかりの焼物!?日本六古窯の1つ信楽焼のなぞに迫る旅

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    素朴ながら味わい深い「信楽焼」。
    滋賀県甲賀市信楽で1200年以上製作されている信楽焼は、六古窯のひとつにも数えられる日本を誇る陶器です。
    今回は信楽焼特集。信楽焼の歴史から体験、シンボル「たぬきの置物」誕生秘話まで、濃い内容でお届けします。

     

    日本遺産 日本六古窯とは

    中世から現在まで、陶器を生産している「常滑・越前・瀬戸・信楽・丹波・備前」の窯を総称した「六古窯」。
    どの窯も数百年から千年を超える歴史をもっています。
    六古窯の産地はどこも良質の「土」をもち、陶器の生産に恵まれた環境でした。高温で時間をかけて焼き上げる器は、頑丈で割れにくく、使用される土や技術などさまざまな条件によって、質感や色が異なるため、一つとして同じものはできません。
    その微妙な違いを「景色」として楽しむのも、日本の文化といえます。
    古陶ブームの到来は、六古窯各地に若き芸術家を呼び、現代美術としての六古窯が現れるようになりました。

     

    では、それぞれの特徴を見ていきましょう。
    まずは豪快な印象の「常滑焼」です。常滑焼は愛知県常滑市を中心に生産されている陶器で、朱色をしています。耐水性に長けていることから、急須や湯のみがよく造られています。

     

    次は常滑の影響を大きく受けた「越前焼」です。
    平安時代末期の12世紀後半に、常滑焼の技術を取り入れて生まれました。壺が有名です。飾り気のない素朴な温かみがあります。

     

    続きまして「丹波焼」は13世紀頃が発祥と言われており、現存最古の登り窯である「丹波立杭登窯」が残っています。
    高温で約60時間も焼くことから、焼成中に薪の灰が器に被る「灰被り」と呼ばれる現象が起き、美しい色や模様が出てくるのが魅力です。

     

    「瀬戸焼」は、通称「せともの」と呼ばれて親しまれています。
    光沢感のある表面は、釉薬によるものです。釉薬とはコーティングの役割を果たす薬品で、成形した陶器につけて焼くとガラスのような表面になります。六古窯では唯一釉薬が使われています。

     

    赤みが強く、使えば使うほどに味が出る「備前焼」。
    備前焼は朝鮮半島から伝来した須恵器の系譜をひくもので、平安時代に成立しました。国指定史跡「備前陶器窯跡」をはじめ、備前町はレンガ造りの煙突が並び、当時から変わらない景色が残されています。

     

    そして今回のメインテーマである「信楽焼」については、次の見出しで詳しく取り上げます!

     

    日本六古窯「信楽焼」を解説

     

     

    <写真03_alt:信楽焼を焼き上げる登り窯>

     

    狸の置物で知られる「信楽焼」は、滋賀県甲賀市信楽を中心に制作されています。
    信楽の土は、独自の土味で焼成すると温かい色合いが出てくるのが魅力。土中にケイ石や長石が多く混じっているため、表面には独特の粗さが出てきます。また耐火性・可塑性を備えており、大きさにとらわれず多彩な製品が開発されています。

    そんな信楽焼の歴史は、742年の紫香楽宮造営がはじまりです。
    紫香楽宮は現在の甲賀市に造られた離宮で、造営の際に瓦を焼いたのが信楽焼の原点と言われています。
    そして信楽には焼き物に向いた良質の土があったことから、職人たちが集まり、中世には窖窯(あながま)で信楽焼の生産が行われるようになりました。
    窖窯とは、傾斜地の地面に穴を掘って窯をつくったもので、信楽では江戸時代前まで使用されていました。
    室町時代に入ると「茶の湯」が生まれ、京都・奈良にほど近い信楽では茶器の生産が盛んになります。

    江戸時代には窖窯から登り窯の生産になり、一度に生産できる量が増えました。
    経済の発達にともなって、茶器に限らず、日常で使う器や火鉢など多種多様な信楽焼が造られていきました。

     

    <写真04_alt:信楽焼を焼き上げる窯>

     

    では信楽焼の制作過程を簡単に追っていきましょう。
    まず信楽やその周辺で原料を集め、細かく砕いて混ぜてよく練ります。そうしてできた陶土を、ろくろで形成し乾燥させます。
    その後、素焼をして、釉薬をかけて、約1200度の登り窯で焼き上げて完成です。釉薬をかけない場合は、登り窯の中で燃やしている薪の灰が表面に付いて釉薬の役割りを果たす「自然釉(しぜんゆう)」を用います。
    絵付けをせずに、自然に出てくる模様を楽しむのが信楽焼のよさとも言えます。次の見出しでは、信楽焼の製作体験ができる「信楽陶苑 たぬき村」をご案内します。

     

     

     

    信楽焼の体験なら「たぬき村」へ

     

    <写真05_alt:大きなたぬきが圧巻!信楽陶苑たぬき村>
    信楽陶苑 たぬき村は、信楽高原鉄道「雲井駅」から徒歩約10分のところにある、信楽焼の製作体験ができるスポットです。
    到着後、たぬき村の大鳥居をくぐって、真っ先に出迎えてくれるのがこちらの巨大なたぬき。日本で一番大きいそうで、たぬき村一の撮影スポットでもあるそうですよ。たぬき村には大きく分けて三つの建物があります。
    陶芸体験ができるのは大鳥居をくぐって左手の「新館」です。正面にあるのは「たぬき館」で、信楽の食材を使った四季折々の料理がいただけます。器はもちろん信楽焼が使われています。
    右手にあるのがギャラリーや食器の販売所がある「本館」です。直売価格のため、通常よりもお安くお買い求めいただけます。

     

     

     

    <写真06_alt:信楽焼のたぬき>

    新館の陶芸体験には
    1.手びねりコース(初心者向け・約1時間)
    2.絵つけコース(絵付けのみ・約30分)
    3.電動ロクロコース(一番人気・約1時間20分)
    4.狸作りコース(名物狸の制作・約1時間30分)
    の、4つのコースがあります。
    先生が丁寧に教えてくださるので、初めて陶芸をされる方でも安心です。造った作品は、後日ご自宅まで郵送されます。
    完成したオリジナルの作品を手にしたときの喜びは、たまりません。ぜひ信楽を訪れた際には、オリジナルの信楽焼を造ってみては。

     

    信楽焼「狸の置物」 誕生物語

    最後にちょっとした小話を。
    信楽焼といえば、「狸の置物」を想像される方が多いのではないでしょうか。信楽焼は約1270年もの歴史を有しますが、信楽の狸はなんと80年ほどしかありません。

     

    では信楽の狸はどのようにして信楽のシンボルとなったのでしょうか。そのはじまりは、陶芸家の藤原銕造にあります。銕造は京都で修行していたある夜のこと、月光の下で狸たちがポンポコとお腹を叩いているのを目撃しました。
    そのことを親方に話すと、「何人に一人しか聞けぬ狸の腹鼓だ」と言われます。そして銕造は子たぬきを飼って、日々観察していたそうです。いよいよ1935年に銕造は「縁起物」の狸の置物を造り始めました。

     

    銕造と狸の不思議な出会いによって生まれた、信楽のたぬき。
    全国的に知られるきっかけとなったのが、1951年の昭和天皇 信楽町行幸です。昭和天皇をお迎えしようと、たくさんの信楽の狸に日の丸の小旗を持たせて沿道に並べました。すると昭和天皇は連なる狸の情景に感動されて、歌を詠まれたのです。
    それが逸話として新聞各社で報道され、全国に信楽の狸が知れ渡ることとなりました。

     

     

    その後「縁起物」として扱われ、たぬきが「他を抜く」に通じることから商売繁盛を願って店の軒先に置かれるように。丸々とした体型の狸が編み笠を被り、少し首をかしげながら右手に徳利を、左手に通帳を持つ、いわゆる「酒買い小僧」型が定番となっています。

     

     

    信楽焼特集、お楽しみいただけましたか。
    日本独自の美意識「わびさび」を感じさせる信楽焼に魅せられて、何度も信楽の地を訪れる方もいるそうです。
    みなさんも奥深き信楽焼の世界へ、一歩踏み込んでみませんか。