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頼山陽の生涯とゆかりの地「頼山陽史跡資料館」へ

  • 江戸時代のベストセラー「日本外史」の著者、(らいさんよう)をご存知ですか。幕末から明治の人々に影響を与え尊王攘夷の思想を作り上げたのが「日本外史」。その著者である人物なのでもちろん優等生と思いきや、頼山陽はとんでもない幼少期を過ごしました。そんな彼の人生と幼少期を過ごした屋敷をめぐります。

     

     

    「敵は本能寺にあり」で有名な「日本外史」の著者、頼山陽とは

     

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    頼山陽は江戸時代後期の歴史家、思想家、漢詩人です。1780年に大阪で生まれました。
    頼山陽は青年期を広島で過ごしました。父親の春水(しゅんすい)は、当時私塾青山社を開いていましたが、広島藩が学問所を創設する際に朱子学者として迎えられ、頼山陽は1790年から、ここ「頼山陽史跡資料館」施設内の屋敷に住みました。その後1797年に江戸で学問を学ぶために一年間遊学します。

     

    江戸を知った山陽は、1800年には広島藩を脱藩し京都へ行きますが、当時脱藩は重罪。すぐに連れ戻され、屋敷内の離れの一室に幽閉されることになりました。
    この幽閉されていた離れが現在「頼山陽史跡資料館」施設内にある頼山陽居室であり、下写真がその頼山陽居室の現在の姿です。
    頼山陽はこの幽閉さえていた約5年間、著述に専念し、晩年に完成する「日本外史」の草稿をまとめました。

     

    幽閉が解かれてからも著述に専念し、現在の広島県、備後の塾で儒学などを教える先生になったのですが、さらに脱藩を企て、京都でみずから塾を開きます。そうして後半生を京都で送り、執筆活動に勤しみ、頼山陽は47歳で「日本外史」を老中の松平定信に献上しました。

     

    「日本外史」が出版されると大ベストセラーに。これは幕末の尊王尊王攘夷運動に影響を与えました。伊藤博文や坂本龍馬、近藤勇、西郷隆盛などが、山陽の書物を熟読しており、「頼山陽を知らずして尊皇攘夷を語るなかれ」と言っても過言ではなかったようです。
    そんな「日本外史」、どんなことが書かれてあったのか気になりませんか?幕末の志士たちを動かした「日本外史」の内容をご紹介したいと思います。

     

     

    江戸時代の大ベストセラー「日本外史」人々を引き付けた名著とは

     

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    日本外史の内容は、平安時代の源平争乱から徳川家康による江戸幕府開闢までの「武士の歴史」を綴ったものでした。歴史上のさまざまな合戦の様子が、スポーツの実況中継のようにスピーディに、ドラマティックに展開していきます。

     

    江戸時代にも、「日本外史」という現代でいう司馬遼太郎の作品のような、臨場感のある著書が頼山陽によってうまれていたのですね。さらには江戸の大ベストセラーとなり、人々の行動にも影響を与え幕末の維新へとつながったのです。

     

    頼山陽は、著書の中で、「平家が滅び、鎌倉幕府が滅びたのは、歴史の動きに取り残されて、政権を担当する力を失ってしまった当然の結果だ」と主張しています。歴史は必然的にせわしなく動いていき、そうした歴史観が、尊王倒幕の意気に燃える幕末の志士たちを動かしたのでしょうか。
    「幕府の上に天皇がいる」ことを明確にした日本外史。内容尾は、幕府への批判とも受け取られかねませんが、頼山陽は幕府を部分的には評価していたため、流罪にはなりませんでした。山陽には、政治的嗅覚もあり、自身の身を守っていたのですね。

     

    幕末を動かした頼山陽が幼少期を過ごした頼山陽史跡資料館へ

     

    <写真07_hirosima頼山陽史跡資料館入口>

     

    アストラムラインで城北駅から本通駅に向かい、本通駅から歩いて5分。
    次は頼山陽史跡資料館を訪れました。被爆時には、日銀の陰になったため倒壊を免れ、そのまま被爆後も使用された塀・門は、戦前のまま保存されています。頼山陽が青年時代に過ごした屋敷が歴史資料館に。館内には風雅な庭園や茶室も備えています。
    史跡資料館には頼山陽がまさに「日本外史」を執筆した、頼山陽居室があります。

     

    <写真08_hirosima頼山陽居室>

    資料館の内部には、頼山陽の生い立ちに関する展示や、歴史書や思想書、書道作品の展示があります。多種多様な作品で、頼山陽の多才ぶりを実感します。

    <写真10_hirosima頼山陽書道>
    「日本外史」は歴史書ですが、その特徴を学芸員様にお伺いしました。
    特徴の一つ目は、ずば抜けた人物描写があります。
    例えば「敵は本能寺にあり」という描写はこの本に描かれています。多くの人に楽しんで読まれていたことがうかがえます。
    二つ目は、盛者必衰の思想です。
    文章の締めくくりは、幕府が栄華の頂点を極めたとしていますが、裏にはそれには終わりがあるという意味であったので、尊王攘夷論へ繋がりました。
    頼山陽という人物と「日本外史」を知り、幕末の歴史をより楽しめるようになりました。
    幕末に影響を与えた人物ゆかりの地を訪れて、より詳しく幕末を味わいませんか。
    所在地 :広島県広島市中区袋町5-15
    いかがでしたか。頼山陽という一人の人物と、歴史を動かした思想の観点から広島の歴史に触れる場所をめぐりました。
    一見幕末とは関係の無いように見える広島ですが、歴史を動かした人物の幼少期を感じに、ぜひ訪れてみてください。