世界遺産石見銀山 世界に知られた大田市の「銀鉱山王国」当時の姿へ
島根県大田市にある世界遺産石見銀山(いわみぎんざん)。
「名前は知っているけど何がすごいのだろう」と感じる人も多いはず。
しかしこの場所を実際に訪れるとわかります。
この場所が世界遺産に選ばれた理由が。
石見銀山と大森地区の魅力あふれる道のりをお届けします。
この記事の目次
大田市が持つ世界遺産石見銀山と重伝建への道のり
島根県のほぼ中央に位置する大田市へのアクセスは車・新幹線・飛行機があります。
今回私は飛行機で出雲空港へ行き、バスに乗り出雲市駅へ、その後山陰本線 快速アクアライナーに約20分乗り、島根県大田市駅へとやってきました。
所要時間は出雲空港から約1時間30分でした。
駅に降りると、石見銀山の看板がありました。
これからの旅への期待が膨らみます。
私が訪れた季節は秋でしたので出雲市駅から大田市駅の間には両側に山があり、稲作をしている田畑がずらりと並び、とんぼが飛び、とてものどかな景色でした。
電車は田舎ならではの1両編成ですが席に座ることができ、ゆっくりと道のりを楽しんでいただけるのではと思います。
大田市駅に着き、そこから石見銀山がある大森へはバスで約50分。
いたるところに世界遺産石見銀山の案内があり、大田市駅でははやくもその大森の雰囲気を感じられるようになっています。
これから向かう大田市大森銀山は、鉱山町で、1987年に重要伝統的建造物保存地区に指定されました。
重要伝統的建造物保存地区は江戸時代に幕府が銀の生産活動の場を柵で囲って管理した銀山地区と、その北側の大森区域の町場からなります。
銀山川が流れる谷に沿って、多くの伝統的建造物が建ち並び、寺社や当時の生活の営みを思わせる墓地や石段、水路なども見られることができます。
伝統的建造物とこれらを結ぶ生活を思わせる道が一体となり、鉱山町の歴史的景観を残しています。
大田市にはいたるところに遺跡があり、暮らしを感じる伝統的な建物が並び、周りには自然があふれ、非日常の空間がひろがっています。
大田市石見銀山がなぜ世界遺産に?この地が持つ重要な歴史的背景とは
大田市駅から約50分バスに揺られ、石見銀山席遺産センターへと到着します。
ここでは世界史に刻まれた鉱山遺跡・石見銀山についてわかりやすく紹介されています。
大航海時代、石見銀山は日本の銀鉱山としてヨーロッパ人に唯一知られた存在でした。
かつてこの銀山は世界の産銀量の3分の1を占め、当時制作されたヨーロッパやアジアの地図には「銀鉱山王国」「銀鉱山」と記されています。
この地が2007年に世界遺産に登録されましたが、その理由として3つ挙げられます。
1,銀生産を取り巻く生産・流通・防衛の遺構が残され、
2,文化的景観を形成し、
3,産出された銀が東アジアの政治・経済・文化の交流に大きな影響を与えたこと。
この石見銀山世界遺産センターではほかにも当時の人々の暮らしや鉱山技術などを見学できます。
空いているときにはセンターの人が展示を回りながら説明をしてくれます。
他にも丁銀づくり体験ができたり、この地で作られるお土産が売っていたりもします。
所在地: 〒694-0305 島根県大田市大森町イ1597-3
石見銀山で何が行われていた大田市龍源寺間歩坑道跡で学ぶ人々の生活
石見銀山には「間歩(まぶ)」と呼ばれる銀鉱石を採掘するための坑道が大小合わせて600か所以上存在しています。
今回は私たちが実際に中に入り見ることができる二つの坑道を散策していこうと思います。
まず1つ目は龍源寺間歩(りゅうげんじまぶ)。
こちらは世界遺産センターからバスに乗り約5分の大森というバス停で下車し、到着します。
その隣にある弥七という店で自転車を借りて向かいます。
およそ15分かけて坂を上ってゆくと龍源寺間歩が見えてきます。
この龍源寺間歩の長さは本来600mほどあるが1989年に157mのところから新しく行動が設けられ、観光用に公開されました。
現在、唯一常時公開されている坑道になっています。
坑道の中はきちんと安全に整備され、江戸時代その当時のすがたを肌に感じることができます。
出口付近には「石見銀山絵巻二巻」が電照板で掲示されていました。
歴史を感じながら、その背景を知ることができます。
ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。
龍源寺間歩 所在地 : 島根県大田市大森町
世界遺産石見銀山とその重要的建造物群保存地区に選定された大森。
この地では昔からの人々の生活や歴史が現代に受け継がれています。
実際に訪れ、目にすることで得られることができるもの行ってみてはいかがでしょうか。