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大阪富田林寺内町の発展の産業を知る まずは「寺内町センター」へ

  • 大阪府富田林市寺内町(じないまち)

    富田林は1997年10月31日、「寺内町・在郷町」として重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

    寺内町とは、お寺を中心に形成された自治集落のことです。

    当時のまちの発展の様子がわかる寺内町センターで予習をしてから周るまちはより特別なものになるのではないでしょうか。

     

     

     

    町歩きで必須注目ポイント 富田林寺内町センターで知る商人の町

     

    大阪から1時間、近畿日本鉄道長野線の富田林駅に到着しました。

     

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    大阪府南東部の南河内(みなみかわち)地方に位置する富田林 (とんだばやし)市。

    中心部の旧市街地には江戸時代中期以降に建てられた商家や町家が約40軒、往時の姿そのままに保存・継承されています。

     

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    富田林の名前の由来にもなった富田が芝と呼ばれた荒地は、今から約450年前、戦国時代の最中に興正寺別院 (一向宗・浄土真宗)を中心に宗教自治自衛都市・寺内町 (じないまち)として開発され、発展しました。

    今も戦国時代の東西南北の碁盤目状の町割(都市計画)を留めています。

    目的地の寺内町センターへは、駅から徒歩10分ほどで到着することができます。

     

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    旧杉山家住宅の向かいにある寺内町センターの建物の前では、黒い猫ちゃん達がお出迎えしてくれます。

     

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    中に入ると、写真や当時使われていた商いの備品などがあります。

    「町屋を構成する細部のデザイン」や「まちなみ点景」もあり、まちの見どころの予備知識を得ることができました。

     

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    センターに辿り着くまでに気付かなかった点景ポイントが沢山あることに驚きました。

    上には鬼瓦や鐘馗(しょうき)、そして下には馬をつないでいた「駒つなぎ」。

    様々な歴史が生きた後がありました。

     

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    「南河内の富はすべて富田林に集まる」といわれるほど蔵が建ち並び繁栄したまちを、先人たちの細かい建築の工夫までぜひご堪能ください。

     

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    寺内町センター所在地:大阪府富田林市富田林町15-4

     

     

     

    寺内町発展のヒミツには「河内木綿」が! 商いに賭けた職人の想い

     

    寺内町のおこりは、「本願寺一家衆興正寺14世の証秀上人が富田の荒れ芝地を百貫文で申し受け、周辺の4つの村から集めた人々に開拓の指揮をとらせたことからはじまります。

     

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    6町7筋からなる、この町には戦国の世を生き抜く先人たちの知恵が詰まっています。

     

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    富田林は、東高野街道、富田林街道などが交わる交通の要衝であり、石川領域で収穫される米、綿、菜種などの農作物と良質の水に恵まれたことで、河内一の商業地として発展しました。

     

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    寺内町は産業が盛んな中、特に「河内木綿」の商いが盛んなまちでした。

     

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    「黒山屋」、「喜志屋」、「新堂屋」などの木綿商が近江の国に出向いたと伝えられているそうです。

    厚地の白木綿が圧倒的に多く、染色糸で縞模様を織り込んだ木綿も見受けられたそうです。

     

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    商いに使われる木綿仕切り帳などの商い道具の数々も展示されており、当時の暮らしや商売の様子がうかがえます。

    当時の人々が実際に使用していた数々の品を見て、活気があった街並みを思い浮かべました。

     

     

     

    寺内町で愛される存在 雑誌『明星』で活躍した石上露子にせまる

     

    寺内町センターには、寺内町を語るには欠かせない著名人、石上露子の生涯の歴史をたどることができるパネルも置いてあります。

     

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    石上露子、本名杉山孝(タカ)は1882年6月11日、富田林寺内町の旧杉山家の長女として生まれました。

    江戸時代に酒造業で財をなしたとされています。

     

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    名家に生まれ幼いころからの英才教育を受けていた彼女は、とりわけ文才に優れており、1903年に孝は与謝野鉄幹が主宰する新詩社(しんししゃ)の社友になり同社の雑誌『明星』に短歌、小説を寄稿するようになりました。

     

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    そしてかの有名な、「小板橋(こいたばし)」が誕生しました。

    彼女の人生は順風満帆にもみえるかもしれません。

    しかしそうではなかったということが、寺内町に訪れることでだんだんと分かってくるようになりました。

    恋する相手とも結ばれず、結婚後は夫と息子に若くして先立れ、とても悲しい人生を歩まれたということがわかりました。

    それでも筆を置かず、表現を続けた石上露子。

    彼女が見て愛していたこの寺内町の景色を、体感しましょう。

     

     

     

    富田林寺内町に来た際、まず寺内町センターに立ち寄ることをおすすめします。

    まちの発展の理由や点景ポイントを答え合わせするように巡るとより一層特別な旅になるのではないでしょうか。

    現在寺内町の存続を願う人々のまちに対する愛情、石上露子への敬意を見ることもできます。

    富田林寺内町には様々な紡いでいくべき歴史が生きている。それらを実感できる場所でもあります。