北のウォール街と呼ばれた街、小樽に残る歴史的建造物まとめ
小樽運河や寿司屋通りと様々な観光スポットがあふれる小樽。実は小樽は、ニシン漁で栄え北海道の中心地域として数多くの銀行が建てられました。北のウォール街と呼ばれるようになった小樽の銀行街の姿はご存知ですか?
当時の歴史を伝える建造物が小樽には沢山残ります!小樽の銀行たちを巡る旅に出かけましょう!
この記事の目次
日本の近代化を支えた!「小樽」と「鰊」の歴史とは
スキーや海鮮などを楽しみに多くの人が訪れる小樽。実は日本の近代化の歴史が詰まった、歴史的な場所だということをご存知でしょうか。
戦前の小樽は北海道の各地で採掘された石炭の最大の積出し港として、ニシン漁の最大の拠点として、さらにはロシアを初めとする海外との国際貿易港として栄え、日本経済を支えていました。
当時、石炭やニシン、豆類などの穀物は相場商品として資産運用の対象とされ、ロシアとの交易や海運業には為替や保険などの対応が発展に伴い求められることになりました。そういった金融としての機能の必要性の高まりから、小樽初の銀行支店である旧第四十四銀行小樽支店が1878年に開設されました。
産業による小樽の爆発的な発展により、1878年を皮切りにたくさんの銀行が小樽へと進出し、小樽初の銀行支店開設から遅れること15年後の1893年に日本銀行小樽派出所が開設されることになります。
小樽の町はこうして発展し形成され、いつしか「北のウォール街」と呼ばれるようになります。そんな「北のウォール街」と呼ばれるエリアには今も建物が残っており、銀行としての機能は果たしておりませんが、様々な形でリノベーションされ、利用されています。
小樽観光を楽しむのであれば、ぜひ知っておきたい知識、日本近代化に拍車をかけた小樽。
「小樽には何回も来た」、「今回が初めて!」などなど、どんな人でも楽しめる、当時の様子を今に伝える北のウォール街をめぐってみましょう!
当時の最先端!非日常空間に泊まる「旧北海道拓殖銀行小樽支店」
まず訪れたのは、小樽運河から徒歩約1分という場所にある旧北海道拓殖銀行小樽支店。北のウォール街交差点にあった4つの金融機関のひとつで、1923年に建設されました。当時の最先端の技術で建てられました。現在は当時の趣きを残したまま「ホテルヴィブラントオタル」として改装されています。
小樽経済の絶頂期に建設され、三菱、第一各銀行小樽支店と共に北のウォール街の交差点を飾っています。銀行に貸事務所を併設する当時の北海道を代表する大ビル建設で、銀行ホールは2階までの吹き抜け、6本の古典的円柱がカウンターに沿って立ち、光を受けた様は圧巻です。
現在、行員が働いていたロピーは、ホテルのフロントとして利用されています。
金庫室などユニークな仕様の客室があり、銀行だった特色を生かした空間で、当時にタイムスリップしたような感覚に浸れます。見学だけでも雰囲気を楽しめますが、歴史的建造物に泊まれるという貴重な体験もおすすめします。
【蟹工船の著者、小林多喜二も働いていた!】
「蟹工船」の著者小林多喜二。なんと彼は小樽で過ごしていた歴史があります。4歳から小樽に移り住み、多喜二は後に現小樽商科大学に進学しました。大学卒業後は北海道拓殖銀行に入行し小樽支店へ配属され、仕事の傍らで執筆活動を行っていたそうです。
そんな歴史も残る「ホテルヴィブラントオタル」で、様々な想いを馳せながら過ごしてみてはいかがでしょうか。
ワインカフェ&ショップとして再出発した「旧北海道銀行小樽支店」
続いて旧北海道拓殖銀行小樽支店から小樽駅へ向かって歩くこと1分。「旧北海道銀行」へ。1912年に、日本建築界の草分けである辰野金吾の弟子、長野宇平治の設計で建設された建物です。小樽市指定歴史建造物のひとつとして知られています。
ルネッサンス様式の外壁は札幌の軟石を使用し、バランス良く組み合わせて作られたデザインなどにセンスの良さを感じられる建物です。現在は北海道中央バス本社と「小樽バイン」というおしゃれなワインカフェ&ショップに改装されています。
「小樽バイン(B I N E)」の店名の由来は、ワイン (W I N E )の頭文字W を小樽バインの経営母体のバス会社「北海道中央バス」のB、また建物が元銀行(BANK )だった事で、頭文字のBを入れ替えてBINEとなったそうです。
カフェでは、毎日10種類のグラスワインを楽しむことができ、さらにはワインに合った本格イタリアン料理を堪能することができます。イタリアンメニュー表の横には、おすすめマリアージュのワインの銘柄が記入されているうれしいサービスも!
ぜひ散策の一休みに立ち寄られてみてはいかがでしょうか。
ガイドさんと一緒にまわる「日本銀行旧小樽支店」へ
小樽バインの向かいにある「日本銀行旧小樽支店」。設計には、東京駅の設計をしたことで有名な辰野金吾と、その弟子にあたる長野宇平治らが携わり、1912年に完成しました。
「日本銀行旧小樽支店」は、金融資料館として資料を展示しており、14時~14時30分、15時~15時30分に開催されているガイドツアーに参加することができます。私も参加してきました!
ツアーでは、日本銀行の歴史に加え、北のウォール街を模型で再現し、日本銀行の当時の役割を解説していただきました。
さらに、日本銀行の仕事を日常の生活をふまえながら説明している業務展示ゾーンがあり、ガイド付きだとより細かな仕事内容がわかりました。
日本銀行の建物内外には、アイヌの守り神とされていたシマフクロウをモチーフにした像が、なんと内壁に12体、外壁に18体おり、職員がいない夜にフクロウが見張っていたとされているそうです。
日本銀行のお札の偽造防止技術を知るコーナーがあり、お札に「NIPPON GINKO」や「10000」、「5000」、「1000」と書かれた小さな文字が印刷されていることやお札の表の印章に紫外線を当てるとオレンジに色に光るなどの偽造防止技術があるのだそうです!
「ここまでしているのか!」という驚きがありました。なんと実際に偽造防止技術を見ることができます。
お札の知識が身につくコーナーや、1億円の重さを体験できるコーナーなど体験型の展示もあり、楽しみながら日本銀行の歴史、仕事内容を知ることができました。
ここでしか
所在地:北海道小樽市色内1-11-16
ポーツマス条約に関する会議も開かれた「旧日本郵船小樽支店」
重要文化財に指定されている「旧日本郵船小樽支店」。1904年着工、1906年10月に落成した近世ヨーロッパ復古様式の純石造2階建ての建築物です。設計者は工部大学校造家学科(東京大学工学部建築学科の前身)第一期卒業生の佐立七次郎。
佐立七次郎は西欧の建築様式を初めて本格的に日本で教えたイギリスの建築家ジョサイア・コンドルから学んだ人物です。
「旧日本郵船小樽支店」は、当時の最先端技術で建てられた洋風建築となっています。使用されている石は小樽で採れた凝灰岩を使用しており削りやすく火災に強いという特徴があります。
館内には、当時日本郵船が使っていたものを展示しています。中には、当時の資料や実際に小樽に来ていた船の模型、金庫などが展示されています。
二階には貴賓室、会議室などを見ることができます。
1906年11月にポーツマス条約に基づく日露の樺太国境画定会議が二階の会議室で開かれました。会議後に貴賓室で祝盃が交わされたという歴史もあるそうですよ!
展示には、当時の技術の最先端がここ、「旧日本郵船小樽支店」にあったことが記されていました。
所在地:小樽市色内3丁目7番8号
いかがでしたか?どの銀行もとても美しく立派で、小樽が短期間で発展したことがよくわかる建物群でしたね。
北のウォール街と呼ばれる小樽の銀行街は、ただ歴史を伝えるだけではなく、時の流れに合わせてホテルやカフェ、資料館などと、様々に形を変えて私たちを楽しませてくれます!ぜひ余すことなくめぐってみてくださいね。