浅草の歴史を今に そして未来へと伝える 重要な文化財をその目に
長い歴史を紡いできた、そしてこれからも紡いでいくまち、東京の浅草。
浅草で、その長い歴史を人々と共に歩んできた、重要な文化財たち。
そんな文化財をこの目に納め、昔の人々の技や思いを直接感じに出かけてみましょう。
この記事の目次
国の重要文化財に指定 江戸時代初期の古建築 二天門に歴史を感じる
東京駅から東京メトロ丸ノ内線で銀座まで行き、同銀座線に乗り換え浅草駅まで約26分。
それから地上に出て徒歩約4分、あの有名な雷門こと「風雷神門」に到着します。
そこから仲見世を抜け、宝蔵門をくぐること約5分で浅草寺が見えてきます。
その浅草寺の境内には、たくさんの文化財があります。
まず1つ目が、浅草寺の本堂の東に建つ朱塗りの門「二天門(にてんもん)」です。
当初は1618年(元和4年)に建立され、当時は境内にあった東照宮の随身門とされていて、豊岩間戸命、櫛岩間戸命を守護神像(随身像)として左右に祀っていたそうです。
今の門は、1649年(慶安2年)に浅草寺の東門として創建されました。
本瓦葺き切要造りの八脚内という造りで、境内に残る江戸時代初期の古建築として貴重であるとされ、国の重要文化財に指定されています。
二天門には左右に二天の像が奉納されており、門に向かって東が「持国天(じこくてん)」、西が「増長天(ぞうじょうてん、ぞうちょうてん)」です。
裏から見た門も鮮やかな朱色がとても素敵でした。
二天門は夜にライトアップはされていませんが、門の間からライトアップされた浅草寺がのぞいているのもまた良い眺めでした。
所在地 :東京都台東区浅草2-3-1
公式HP :浅草寺 二天門
東京都指定文化財 都内最古の木造建造物である 六角堂を拝見しに
続いて浅草寺の本堂の北西に建つ、寄棟造りの堂宇の影向堂の境域にある「六角堂(ろっかくどう)」です。
六角堂は、室町時代の建立として東京都指定文化財に指定されており、都内最古の木造建造物です。
本尊は日限地蔵尊で、日数を決めて祈るとその願いが叶うとされています。
また、同じ影向堂の境域には、現存する都内最古の石橋もあります。
石橋は、1948年(昭和23年)、文部省より重要美術品に認定されています。
そしてその寄進者は、徳川家康の娘振姫の婿、紀伊国和歌山藩主浅野長晟になります。
影向堂の境域には、このようにいろいろな文化財や、文化財に指定されていなくとも、歴史的な建造物などがたくさんあります。
所在地 :東京都台東区浅草2-3-1
公式HP :浅草寺 影向堂
江戸の鋳物 観音菩薩坐像 そして二天門とともに古い薬師堂を眺める
続いて六角堂から南に約1分のところにあるのが「銅造観音菩薩坐像(どうぞうかんのんぼさつざぞう)」(聖観世音菩薩)です。
本像は、1720年(享保5年)、廻国聖、孝山義道が浅草寺に天下奉平、国土安全を祈願して「法華経」の奉納を期して造立したもので、神田の鋳物師、小沼播磨守藤原長政が制作したものです。
そしてこの鋳物師は、江戸時代の鋳物師を考えるうえで基準となる作例の1つであり、江戸鋳物師の作風を伝えるものとして貴重な遺品です。
また、像や台座に刻まれた銘文は、江戸時代前期の信仰、宗教活動を知る上で貴重な資料でもあります。
そのため、台東区有形文化財(彫刻)として登載せれています。
これは、影向堂の南に建つ、三間四方の堂宇で「橋本薬師堂」と呼ばれています。
当初の薬師堂は本堂の北側にあったので、「北薬師」と呼ばれていましたが、1649年(慶安2年)、三代将軍徳川家光が本堂の北西に再建しました。
これが現在の建物で、浅草寺に残る江戸時代以前の建築では六角堂、二天門とともに古いものとなっていて、かたわらに小さな橋があったため、家光によって「橋本薬師堂」と名づけられたそうです。
浅草寺の境内には、建造物だけでなく、信仰や宗教、文化財を伝えるものもあるんです。
銅造観音菩薩坐像
橋本薬師堂
所在地 :東京都台東区浅草2-3-1
公式HP :橋本薬師堂
浅草寺の境内にある沢山の歴史的なものは、建造物や建築物など目に見えるものだけでなく、目に見えない昔の人の暮らし、思想や文化を伝えてくれます。
有名で多くの方が知っているものだけでなく、あまり知られていないもの、気づかれないものもあります。
隅から隅までたっぷり見て、多くのモノを感じに行きませんか。