東京の浅草といえば「浅草寺」美しく輝く五重塔と朱色の楼門の絶景
東京の浅草と言えばここ!浅草のシンボル「浅草寺」に朱塗りの楼門、そしてそびえたつ朱色の五重塔。
毎日多くの外国人が訪れて手を合わせる観音様が祀られている浅草寺の歴史に触れてみましょう!
この記事の目次
朱塗りの楼門と仁王尊像のお出まし 門前町の中心・浅草寺の参拝口へ
東京駅から東京メトロ丸ノ内線で銀座まで行き、同銀座線に乗り換え浅草駅まで約26分。
地上に出て4分ほど歩くと、あの有名な「雷門(らいもん)」に辿り着きます。
「雷門」をくぐりぬけ、仲見世通りを進んでいくと見えてきました、堂々たる朱塗りの楼門、浅草寺の「宝蔵門(ほうぞうもん)」です。
浅草は外国人観光客にも人気な町で、宝蔵門でも記念撮影する多くの旅人で溢れていました。
阿形像と吁形像の仁王像の間を通り門の裏側へ行くと目にはいってくるのは左右の大わらじです。
山形県村山市有志より2008年(平成20年)に奉納されたもので、1941年(昭和16年)の初回以来、7回目になります。
この大わらじは、両端の二間に奉安されている仁王さまのお力を表し、「こんな大きなわらじを履く者がこの寺を守っているのか」と驚いて、間が去っていくと言われています。
ぜひ、凛々しい仁王さまと存在感ある大わらじを訪ねてみてください。
所在地 :東京都台東区浅草2-3-1
公式HP :浅草寺 宝蔵門
朱色も鮮やか、江戸四塔の一つで慶安のランドマークだった五重塔
仲見世通りの突き当りにさしかかり、宝蔵門が大きく見えてきた頃、北西の方角を見ると、木々の間から五重塔が見えてきました。
宝蔵門をくぐり左をむくと、、朱も鮮やかな五重塔のお出ましです。
現在の五重塔は1973年(昭和48年)に再建されたものですが、浅草寺に塔が初めて建立されたのは942年(天慶5年)、平公雅によるとされています。
当時の塔は三重塔であり、本堂に向かって2つの塔が左右に配された薬師寺式伽藍ではなかったかという見解もあるそうで、当時は、本堂の東側に五重塔、西側に三重塔が建ち、2つの塔が並存していたそうです。
そして焼失後、1648年(慶安元年)に徳川家光が五重塔を再建するものの、三重塔は復興されなかったそうです。
五重塔の最上層には、スリランカのイスルムニヤ寺院から1966年(昭和41年)に奉戴した「仏舎利(ぶっしゃり)」が収められています。
江戸時代には「江戸四塔」の一つとして親しまれ、浅草のランドマークにもなっていました。
夜にはライトアップもされており、五重塔だけでも、遠くから浅草寺や宝蔵門と一緒に眺めるのもまた、趣があって良いのでおすすめです。
所在地 :東京都台東区浅草2-3-1
公式HP :浅草寺 五重塔
徳川との蜜月時代から庶民の町へ 東京都で最古のお寺「浅草寺」本堂
五重塔から徒歩約1分、いよいよ浅草のシンボル「浅草寺」の本堂です。
浅草寺はなぜ、「せんそうじ」と読むのか。その理由は、昔からの習慣にあるそうです。
その昔からの習慣というのは、「神社は音読み」お寺は「訓読み」というものです。
訓読みは、日本古来の”大和言葉”に中国から輸入した漢字を当てたもので、音読みは、漢字の輸入と共に付いてきた中国読みです。
そして、仏教は中国から来たので、神社が訓読み、お寺が音読みとなったという説があります。
浅草寺は、ご本尊の聖観世音菩薩を奉安することにちなみ、観音堂とも呼ばれる堂宇です。また、本堂の創建は628年であり、東京都で最も古いお寺です。
ご本尊は聖観音菩薩であり、また、浅草名所七福神の一神 大黒天さまもお祀りしています。
浅草寺の側面に回って本堂を横から見てみると、その壁の装飾は美しく、卍や鬼の姿も見られます。
そして、こちらも日没からライトアップされます。
夜の闇に浮かび上がる鮮やかな朱色には心奪われます。ぜひ、実際にご自分の目で確かめてみてください!
所在地 :東京都台東区浅草2-3-1
公式HP :浅草寺 本堂
観光地としても有名で、今や外交人観光客でも賑うまち、浅草。
初めて訪れる人も、何度目はお訪れの人も、温かく迎え入れてくれるまちです。
そんな浅草のシンボル、浅草寺を形成する朱色の歴史たちに目を奪われ、何か日常と違うものを感じる旅に出かけてみませんか。