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縮景園をディープにご紹介 広島城とセットで行きたい縮景園へ

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    旅の途中、普段の喧騒から離れて自然豊かな場所で癒されるのもいいですよね。今回は、広島市街地でアクセスのいい自然を満喫できる日本庭園を楽しめる縮景園をご紹介します。
    歴史旅には欠かせない悠久の歴史を感じながら自然で癒されましょう。

     

    縮景園を作らせた!浅野長晟とは

     

     


     

    縮景園を語る上で外すことができない広島城とその城主たち。縮景園は広島城の城主の命によって作られました。さっそく、縮景園の理解を深めるため、広島城の歴代城主と縮景園を作らせた人物についてご説明します。

    広島城はもともと豊臣秀吉が作らせた大阪城を手本に、毛利輝元が築いたのがはじめです。その後、毛利氏が関ケ原の戦いで西軍についたことにより、山口県の萩に流されてしまいます。
    その穴を埋めたのが福島家、しかし、福島正則は徳川幕府の許可が下りないまま石垣などの修築工事を行ない、1619年に身分を落とされ、信濃川中島に移されました。

    そこで現れたのが縮景園を作らせた浅野長晟(あさの ながあきら)です。この浅野家がその後明治時代まで広島を収めました。

    浅野長晟は、北政所(高台院)の甥で、幼い頃より豊臣秀吉の小姓として活躍していました。関ヶ原の戦いの後は徳川家康に仕え、家康の娘、振姫(ふりひめ)を嫁にもらったりなど、徳川家と姻戚(いんせき)関係があるほど。

    長晟は領土の発展に力を尽くし、農村支配の基本となる『郡中法度』の発布、城下町への人口流入を黙認し商業経済の発展の促進、また海運業に力を注ぐなど、現在の広島市の基礎を築きます。その後46歳で広島で亡くなっています。
    長晟は広島城に入城した翌年に別邸の庭園として縮景園をつくらせました。
    縮景園が作られるきっかけはわかりましたか?

    作庭者は茶人として知られる家老の上田宗箇が担当しました。では次に浅野長晟こだわりの縮景園の作庭者である上田宗箇について説明します!

     

    武将として活躍後は庭師に?縮景園の作者「上田宗箇」とは

     

    上田宗箇は、戦国武将として、さらに趣味を生かした作庭(さくてい)家や茶の湯の世界で活躍しました。宗箇は、茶道の上田宗箇流の流祖でもあります。
    宗箇の人生は、一言で言ってしまえば、趣味で成功し、道を切り開いていった人生です。

     

     

    10歳で丹羽長秀の重臣だった父親の重元を失い、元服後は長秀の小姓となって14歳で初陣を果たします。その後秀吉のもとで活躍。秀吉が柴田勝家が戦った賤ヶ岳の戦いに勝利すると、越前に1万石を領する大名にまで出世しました。
    武功を重ねる傍らで、千利休に茶の湯を学びます。

     

     

    秀吉の死後の関ケ原の戦いでは西軍に就いたため、敗戦後に所領を没収されます。秀吉の正室・北政所の計らいで命は助けられ、摂津国に流れて出家して宗箇と名乗りました。やがて作庭の腕を買われ、徳島城表御殿の庭園「千秋園」の作庭と茶の湯指南を任され、これを機に宗箇は作庭家として一気にブレークすることとなりました。

     

     

    やがて徳川家康の許しを得て浅野家の家臣となり、還俗して武将に復帰し、武功を挙げます。
    その後、姻戚関係にあった浅野氏が安芸広島藩に移封されために広島に移り、1万2000石を与えられました。以降は茶道と造園を趣味として悠々自適に暮らし、浅野家の別邸である縮景園をはじめ、徳川家に請われて名古屋城二の丸庭園の作庭を担当したりなど活躍しました。

     

    浅野氏と上田氏の関係はおわかりになりましたか?それではさっそく縮景園に訪れてみましょう!

     

    これぞ日本庭園 自然と和の雰囲気に心洗われる 広島の名所縮景園

     

    JR広島駅で下車し、南口から出ました。縮景園ㇸはバスでもアクセスが可能ですが、本数が少ないので徒歩をおすすめします。駅を背に右手に進み、途中橋がでてくるので橋を渡ります。
    道なりに進むと標識などがでてくるので、そこで右折すると徒歩約12分で縮景園に到着しました。
    縮景園の一番の特徴は、なんといってもその名の通り、幾多の勝景を縮めて表現しているというところにあります。園内は、山や渓谷、橋、茶室などが配置されとり、それを一本の道でつなぐ回遊式庭園という形式が用いられています。

     

     

    園内に入って真直ぐ進むと出てくる清風館(せいふうかん)。縮景園のほぼ中心に位置しています。数奇造りの杮葺き(こけらぶき)の屋根の造りとなっています。茶室としては国内最大の大きさを誇り、園内にあるその他の全ての建物は、清風館から眺める景観によって配置されています。
    建物の西側は書院造の様式を備えた贅沢な造りとなっており、東側には上部が尖頭アーチ状の窓である花頭窓が設けられいます。


    清風館の奥には、園内にある大きな池、濯纓池(たくえいち)が見えます。縮景園はこの池を取り囲むようにして造られています。細かな入り江など、眺める場所により様々な表情を見ることができます。池に浮かぶ島々や、それぞれ趣の違う橋など見所が沢山あります!

     

     

    続いて園内でも茅葺の造りが印象的な建造物、悠々亭(ゆうゆうてい)に来ました。
    ここでは、かつて納涼茶会や歌会などが催されていました。亭内は現在も入ることができるので、ゆったりと濯纓池を眺めながら一休みもできますよ!

    実際年々外国人の数が増加しているそうです。主要言語のパンフレットも存在するので、海外からの旅行にも楽しめます!

     

     


     

    速足で園内を一周しても40分ほどかかったのですが、途中ベンチでゆっくりしながら一時間ぐらいかけて楽しんでください。
    季節によって景色も変わる縮景園。ぜひ旅の目的地にしてください。
    所在地 : 広島市中区上幟町

     

     

     

     

    いかがでしたか?広島城、原爆ドームと多くのスポットがある広島ですが、日本最大の日本庭園、縮景園もとてもおすすめです。
    浅野氏や上田氏など日本が誇る戦国武将がつくった縮景園に訪れ、当時の様子に思いをはせることもいいかもしれませんね。ぜひ訪れてみてください。

     

     

     

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